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21 イスマルクと真琴はドレシアに向かった

 

 ギバティ王国内でも一番の活気をみせる港町といえばドレシアだ。

 大型船、貿易船ばかりか、通常の漁船もまた発着するそこは常に賑わいをみせている。

 様々な人種も集まるそのドレシアにある一軒の酒場(バー)で、イスマルクはバーテンダーをしていた。

 カウンターと幾つかのテーブルしかない小さな酒場(バー)だが、それなりに賑わっている。

 注文に応じて、色々な酒をブレンドしたりストレートで出したり、そしてビールを大ジョッキで注ぐ仕事だ。その合間に適当なつまみも作って出す。


(なんで俺、こんなことしてんだろう)


 イスマルクは、ただお土産を買っていただけなのだ。

 何と言ってもとても愛らしくて素直で目の中に入れても痛くない遥佳と真琴だ。ここは貿易港だから、色々と珍しい物が手に入りやすい。

 地下牢に入れられたり、弓矢で攻撃されたり、とても怖い目に遭(あ)ってしまった神子姫達だ。

 きっとしばらくはあの第7神殿にこもって、人とはなんて恐ろしい生き物なのだろう、とても怖かったと、思い出す度にしくしく泣き暮らしてしまうに違いない。


(可哀想に。ハールカ、マーコット。もう外になんて出ていきたくもないよな。二人が怖がらずにすむような人懐っこい小さな猫や犬、もしくは綺麗な小鳥も買ってあげた方がいいのかもしれない。いや、生き物は送れないか。せめて二人が少しでも心を慰められるような、綺麗で可愛らしい物でも買い求めよう。心の傷が癒(い)えるまで、何年ぐらい籠(こ)もることになるだろうか)


 そういう思考に至るイスマルクは幼い時に妹を亡くしている為、女の子という存在に対して儚(はかな)く壊れやすいといった思いこみがあった。

 遥佳が、

「え? プライバシー? えーっと、なんて意味だったかしら?」

な本業スパイ真っ青レベルなことをやらかしていることも、真琴が、

「カルシウム大事だって教えてあげたの。二階ジャンプもしたよ」

なことを大神殿で繰り広げていることにも、全く思い至らない。


(怖いことを思い出す度にぽろぽろ泣いてたら、ブラウスだって優しい肌触りじゃなきゃ瞼が擦れてしまう。あんなに仲がいい二人だ。抱き合って慰め合うに違いない)


 だから可愛らしい花模様などが刺繍(ししゅう)され、柔らかな素材でできたシャツやスカート、シルクの下着などをこれでもかという程、買いまくっていた。

 あの二人にどうして針と糸を持たせて縫い物などさせられるだろう。指を突き刺して怪我してしまったら悔やんでも悔やみきれない。

 世間では自分で布を織る人も多いが、イスマルクにとっては論外だ。


(織物(おりもの)も駄目だ。糸などを紡(つむ)いで目や腰に負担がかかったらどうする。だが、もう人間が怖くなってしまった二人を買い物になんて行かせられない。そんな残酷なこと、誰ができるというんだ)


 そう考えてしまえば、二人が身につけるものは特に気にかかった。

 自分が使うのなら洗いざらしの麻や木綿で十分だが、神子達には上質な繊維でできた、そのデリケートな肌が擦れて痛むことのないような物をと、そちらにだけは金を惜しまないイスマルクである。


「これもなかなか素敵でしょう? ざっくり織りあげてるんですよ」

「そうなんだが、ちょっと織りが粗いな」

「わざとそうしてあるんですよ」

「もっと滑(なめ)らかな生地のを見せてくれ」


 肝心の遥佳と真琴は、丈夫で吸湿性のいい木綿で十分だと思っていた上、別に人一倍弱い肌というわけでもなかったので、イスマルクが使っているような一般品レベルで十分だったのだが、イスマルクが二人に向けるその目はあまりにも曇り過ぎていた。

 現地調達している自分の日用品はそこらの投げ売りですませるくせに、婦人用衣類だけはこだわるというその買い物が、定期報告でドリエータ地方の神殿やドリエータ城に伝えられない筈がない。

 

『ほう。イスマルク殿が女性用の衣服を買っていると』

『雑貨は二つずつの購入か。なるほど、そこはどちらにも差をつけていないと』


『怪我を負われたであろう神子様を全く捜す様子もなく、二人分か』

『しかも彼に焦っている様子は全くないとか』


 そうなればドリエータ地方の神殿やドリエータ城が考えつくのは、イスマルクはとっくに神子の状態を把握しているということだ。

 そればかりか、買い物の内容を考えれば、誰だって落ち合う予定があればこそだと判断する。

 一般人にはイスマルクのような特異な能力はない為、

(マーコットはギバティール方面にいるような気がする。だから俺はドレシア行くか)

といった、まさに普通の人が聞いたら、「なんでそーなるの?」的な行動をしているとは、誰も思いもしなかった。

 どうしてギバティールにいる神子姫を探してドレシアに行く人がいるのか。だが、それがイスマルクだ。


『どっ、どうなさったのですっ!? 何を一体っ!?』

『いや、もうこの年だ。出世などを考えるより、神子様に寄り添いたい』

『お供いたします、神殿長』

『私も参ります』

『お待ちくださいっ。大神殿からの指示もまだ受けておりませんっ』

『そうですっ。我々は大神殿に背(そむ)くことなどなりませんっ』

『そなたはそれを待つがよい。神官として大神殿に従うのだ』

『大神殿に逆らうのは危険ですっ』


 それに似たやりとりがドリエータ地方の各神殿であったことも知らず、イスマルクは日々お土産を買い求めていた。

 毎晩、遥佳と真琴の分ということで別々にし、遥佳の分は先に治療院宛てで送るつもりだ。

 ハミトとレイノーなら預かるぐらいしてくれるだろう。礼代わりに珍しい薬草を入れておけば大丈夫に違いない。

 そうして真琴には自分が直接持っていってあげればいい。

 

(あんな存在が二人もいるとは幸せすぎて困るもんなんだな。どちらの笑顔も違う可愛さがある)


 イスマルクもほとんど兄馬鹿の様相を呈しているが、ぎりぎりのところで馬鹿ではない。可愛いのは神子達であって、ヴィゴラスは二人の番犬(ボディガード)にすぎないのだ。

 ドリエータ城でとても高かったシルクリボンの使われ方を見た後とあって、彼も反省していた。


(俺としたことが。あの心優しいハールカとマーコットが綺麗なリボンだからとあのトリ犬につけてやることを考えていなかったとは痛恨(つうこん)の極(きわ)み。・・・そうだな、あの二人は全ての恵みを人々に分け与えてしまう慈愛の権化。ならば野良犬にだって、シルクのリボンをつけてしまうだろう)


 そうして幻獣では使えないような物ばかり買うことにしたのである。

 遥佳や真琴から目を離して遊びに行った挙句、みすみす地下牢に入れられてしまうだの、弓矢で攻撃させてしまうだの、そんな目に遭わせてしまったトリ犬になど与えるのは残飯だけでいい。

 そうしてあれこれと買い物に勤(いそ)しんでいたイスマルクだが、ある日、

「おおっとぉっ。ごめんよ、どいとくれっ」

と、大きな箱を肩に担いで走っていった男に突き飛ばされ、

「うわぁっ、酒瓶がっ」

と、すってんころりん、転んでしまった男を見てしまった。

 どうやら船への荷物を運ぶ為、かなり急いでいたらしい男はすぐにその姿が見えなくなったが、突き飛ばされた男はたたらを踏んで、そうして石畳に思いきり手をついてしまう。

 その際に手を挫(くじ)いてしまったらしく、「痛(いて)えよう、痛えよう」と、呻き始めた。


「大丈夫ですか?」

「右手を挫いちまったよぉ。運よく割れんかったけどよぉ」


 その男が持っていた瓶などはぎりぎり壊れていなかった。


「この酒瓶、店に運ばなきゃならねえんだよぉ。けど、手が痛(いて)えんだよう」

「しょうがない。なら、その店まで運ぶのを手伝ってやるよ」


 たしかに痛む手で瓶を持っていくのは辛かろうと、イスマルクがそれを運んでやったところ、その行き先は酒場だった。


「こんな手じゃ酒も注(つ)げねえよぉ。おいらは一人でこの店を切り盛りしてんだぁ」

「・・・・・・えーっと」


 あまりにも哀れっぽく嘆く、その男の頬を流れる涙。

 イスマルクは、かつてハミト熊がハールカ鮭を一本釣りしたという真琴の話を思い出さずにはいられなかった。


「ここの売上がなきゃ暮らしてくこともできやしねぇ」

「・・・・・・はあ」


 そういうわけで、イスマルクはその酒場で、夜は臨時バーテンダーとして働き始めた。

 本来のオーナー兼バーテンダー兼ウェイターの男は、片手で開店前と閉店後の掃除をしている。


「すげえな、イッシー。ここのバーテンダーな、誰がどんな悩みを打ち明けても決してバカにしやしねえ、それでいて落ち着きのある色男って噂が出回ってんだぜ。お前(めえ)さんに会えてよかったや」

「ハハハ」


 イスマルクでは長いと、勝手にイッシーと縮めて呼ばれることになった。しかもそれが定着している。


(どうして俺はこんな場所でこんなことをしてるんだろう)


 そんな疑問を心に浮かべずにはいられない。

 酒場には似つかわしくない真面目さを持つその酒場のバーテンダーは、いくら客が酔っても酒を薄めてごまかすこともせず、そしてどんな会話も外には漏らさず、時には心にしんみりくる相槌を打ってくれるというので、地道に常連に愛され始めていた。






 イスマルクの中では織りの粗(あら)い木綿布でも肌が真っ赤になってしまうことになっている神子姫の一人、真琴は、小石が混じる土の上で今日も元気に野宿をしていた。

 天然素材100%の虎の毛皮の上で眠るのはなかなか気分がいい。その毛皮は手触りもさらさらしていて気持ちがいいのだ。

 

「おはよう、マコト。ほら、顔を洗ってこい」

「んー。おはよー、カイト」


 寝ぼけながら目をこすりこすりする真琴は、初めての野宿の割には風邪もひかずに元気についてきている。起き上がった拍子に、首に提げた袋の中でシャリンシャリンと音を立てるのは遥佳が渡してきた母のアクセサリーだ。

 初めて自分の群れに入れたのが妻でも実子でもないというのは意外な成り行きだったが、しかし悪くはないとカイトは思っていた。お坊ちゃん育ちの割に真琴は全く贅沢なことを言わない子供だったからだ。


(ちょうど気候のいい日が続いているからな。マコトにとっては有り難かった)


 日中は寝ていて、夜になったらカイトが自分の背中に乗せて移動しようかと言ったのだが、真琴は頑張り屋で、

「カイトにそんな負担ばかり、かけられないよ。ちゃんと僕も頑張って歩くよ」

と、そう主張した。

 正直なことを言えば、夜にカイトが虎の姿になって移動する方が早かったのだが、こういう時は子供のやる気を削(そ)ぐものではない。

 だからカイトは日中は真琴と共に移動し、夜は虎の姿になって真琴と一緒に眠っている。


(だが、そこで夕方、虎の姿で乗せてやろうかと言えば喜んで背中に乗るあたりが子供だよな。それで大幅に移動できてるからいいんだが)


 そうして程々のところで、虎の姿のまま野宿をするのだ。やはり人間の姿でいるよりも虎の姿の方が危険な動物は近づいてこないし、真琴にとっても寒い思いをさせずにすむからだ。

 だが、山の夜は冷えこむ筈なのに、奇妙な暖かさが続いていた。


「カイト、水も汲(く)んできたよ」

「偉い偉い、そしたら沸かしてくれ」

「うん」


 火打石はコツを掴むのに時間がかかるのだが、真琴は一発でマスターした。

 見ていたカイトにしてみれば、あれで火がつく筈がないといった打ち方なのだが、現実に火がついているのだから何も言えない。

 枯れ木の組み方もそれじゃ空気が入っていかないから火が消えてしまうだろうと思うのだが、真琴が組んだ滅茶苦茶な組み方でも火はきちんと燃え続けている。


(どうしてこれで燃えるんだろう。そこが分からん)


 そういうわけで、カイトは自分が分かっていないだけで違うコツというのがあるのだろうかと悩み、真琴が天然でマスターしているらしいやり方を覚えようと思ってはいるのだが、なかなかその原理は分からないままだった。

 しかし、種明かしをすれば簡単なことだ。

 真琴の周りに纏(まと)わりつく風の妖精(シルフ)は、姿を見せずに存在できる。

 第7神殿は取り巻く大地と大気が、遥佳と真琴が連れこむ意思をみせない生き物を遮断している為に入りこめなかったが、ヴィゴラスに乗って外に出てきた神子達の役に立てないだろうかと思って常に周囲を飛び回っていたら、野宿し始めて以来、真琴が火を熾そうと難儀している。

 俄然(がぜん)、風の妖精(シルフ)達が張りきらぬ筈がなかった。


――― うまく火を燃え移らせるんだ。

――― こんな小さな火如き、シルフにかかれば。


 だから薪の間にもよく燃えるように風を送り、同時に鍋の中身が焦げることのないようにと火力調節まで行っている。

 真琴にも自分達の姿は現していないのだから分からないと思うのだが、何となく気配を感じているようで嬉しそうな顔をするのを眺めるのが、風の妖精(シルフ)達の喜びにもなっていた。

 勿論、大事な神子なので眠る時には少し離れた場所から周囲を警護しているシルフだ。

 小さな風を作ったり止めたりすることしかできないので、何か危険そうな動物や猟師達がいればカイトにその気配を届けたり、カイトの気配をその動物に送ることで逃げ出させたり、そういう形で手助けしている。


「ついでに水浴びもしてくるか。マコト、一緒に行こう」

「やだ。僕、後で一人で行く。だってカイト、毛皮ブルブルさせるから冷たいんだもん」

「分かった分かった。人の姿で入ってやるから」

「体、比較されるからやだ」

「なんで俺がお前と比較しなきゃいけないんだ」

「ふーんだ。自分ばっかいい体してると思って」

「・・・しょうがないな。お前だっていつかは大きくなるってのに」

 

 子供なのだから体が小さいのは仕方ないだろうと思うのだが、真琴は絶対にカイトと一緒に水浴びをしたがらない。

 夜の水は冷たいので、二人は日中に水浴びをしていた。


(さすがに水浴びはちょっとね。私の全身を見られたら男じゃないってばれちゃうしなぁ。だけどカイトって、主張すれば何でもやらせてくれるっていうか、子供がしたいこと何でも許す人だよね。私じゃなかったらとっても我が儘な子が育っちゃうよ、ホント)


 そんなことを思いつつ、真琴もまた強引に連れて行こうとはしないカイトが有り難いところだ。

 逃避行の割にほのぼのとした二人の旅は、穏やかに過ぎていた。






 ギバティ王国にある港町、ドレシア。

 そこは大きな船が毎日のように行き交う。


「うっわぁ、海賊船みたい。かっこいいーっ」

「さすがに海賊船は堂々とここにはやってこんだろうな。ああいうのはちゃんと自分達用の隠れ島を持ってる」

「そうなんだぁ。いつか見に行こうね」

「おい。海賊の本拠地に行ってどうすんだ」


 念の為、ドレシアにある運び屋の組合支部に顔を出して、お尋ね者的な扱いになっていないかどうか、そういった貼り紙をもチェックしてきたカイトだ。

 どうやら自分はまだ手配されていないようだと安心したものの、単にそれは油断させる為だけかもしれない。

 そう思って自分の髪を茶色く染めたカイトは、チケット売り場へと向かった。


「マジュネル大陸行き。二人一部屋のを二枚」

「はいよ。窓があるのとないの、どっちにしとく? 窓無しの方が安い。どうせ日中は船内で寛(くつろ)いどきゃいい」

「そうだな。だが船酔いしたら困る。窓がある方で」

「ああ。窓から顔出して吐きゃいいもんな」


 真琴は温室育ちの子供だ。割高だが仕方ないと、二人一部屋のそれを選ぶ。

 チケットを売っていた男は、カイトが渡した金貨を数えてから銀貨と銅貨でお釣りを寄越してきた。それを興味深げに真琴が見上げている。

 真琴にはフードのついたマントをかぶせているが、その瞳にある好奇心がキラキラと輝いていることまでは隠せない。


「いつの出発だ?」

「マジュネル行きなら二日後だ。なあ、兄さん。あんた、もしかして獣人かい?」

「ああ」

「そうだよなぁ。あそこにゃ人間はまず行かねえからな」

「そうなのか? 俺も久しぶりの帰省でな」

「ああ。マジュネル行きなんざ魔物や獣人ばかりだもんよ。人間にゃ乗るのも汚らわしいってな」


 チケット係がそんなことを言う。


「別に嫌われる理由もないと思うんだがな。獣人も魔物も人間に悪さなんてしねえってのに」

「そりゃ俺はこういう仕事をしてっからそれも分かっちゃいるがね。どうしても人間ってのは自分より強い生き物ってのが怖いんだろうよ」

「他人事(ひとごと)みたいに言うなよ。あんたも獣人の血が入ってんだろ」

「・・・ばれたか。実は祖父(じい)さんが獣人だったのさ」


 そこでつんつんと、真琴がカイトの袖を引っ張る。


「どうしてこのお兄さんに獣人の血が入ってるって分かったの?」

「普通の人間よりも動体視力が良さそうだったからな。恐らくここでイカサマやって金額をごまかす奴らをチェックするのに役立ってんだろ」

「おや、ご名答。さすがはお仲間だ。・・・坊やは違うのかい? ん? 坊や、だよな?」

「ああ。うちの弟は人間の血が強く出ててな。だからそこまで能力はない」

「そっかぁ。まあ、そういうこともあるさ。大したこっちゃない。可愛いから飴をあげよう」

「ありがとう、お兄さん」


 チケット係にもらった飴を、お礼を言ってから舐め始めた真琴だ。

 獣人というのは基本的に「なるようになるさ」な人間が多いらしく、あまり深く突き詰めないで終わらせるらしい。それでも身体能力が優れているから、一方的に利用されたりはしないのだとか。


(だけどカイトはそうでもないような? ちゃんとお金を払い忘れたりもしないし、私を忘れてったりもしないし)


 個人差なのだろうか。

 しかし、「なるようになる」が過ぎて、たまに子供をどこかに置き忘れたり、家に帰ろうとして面倒になったら道端に寝たりと、そういういい加減なことも多いと聞かされると、あまりカイトが獣人っぽくなくて良かったとも思う真琴だ。


「二泊で頼む。俺と弟だ」

「あいよ。こっちの宿帳に書いとくれ」


 偽名で宿屋の手続きをすませたカイトは、まず部屋に入って洗濯を始める。


「いいか、マコト。船の風呂水は塩水になる。上がり湯は真水を使えるが、どうしても髪もばさばさになっちまう。今の内にきちんと洗って干しておいた方がいい。それから肌荒れしないようなクリームも買っておかなきゃな。船の中でも売っちゃいるが、割高だ」

「はぁい」


 せっせと洗って干してから、二人は買い物に出る。そうして色々な物を買いこんで宿屋に戻れば、真琴は自分で持てるような範囲での荷造りの仕方を教わった。


「薄くて頑丈な布が一枚あれば、生活関係はそれでこなせる。さっき買った奴で体を拭くのも洗うのも全部できるからな。そうしたら他の荷物を増やせるだろ」

「うん。だけどカイト、三枚、布を買ってたよね?」

「船の上だからな、予備だ。たまに怪我とかして使ってしまうことがある。それでもさほどは嵩張(かさば)らん」

「そうなんだ」


 港町は各地の珍しい物が集まる。

 せっかくだから美味しい物を食べに行こうと連れて行かれた店で、見たこともない煮込み料理や焼いた料理を食べながら、食材を説明されても分からなかった真琴だ。

 どう見てもお肉だと思うのにキノコだったり、魚だと思ったら野菜だったり、果実だと思ったら魚介類だったりする。

 

「だけどお腹いっぱい。ご馳走様でした」

「そうだな。じゃあ、宿屋に戻るか」


 そうして宿屋に戻って眠った二人だが、ふと真琴は夜中に目が覚めた。向かいのベッドは無人だ。


(あれ? カイトがいない)


 トイレかなと思いながらじーっと半目を開けて待っていても戻ってこない。やがて明け方近くになってから静かに扉が開けられてカイトが戻ってくる。

 寝たふりをしている真琴の頭を優しく撫でると服を脱いで着替えてから自分のベッドに入ったカイトからは、少し甘い香りがした。


(ふーん。ずるいんだぁ)


 なんかもやもやとする。とてももやもやとする。かなりもやもやとする真琴だ。

 というわけで。

 朝になって起こされてから、真琴はカイトのシャツを掴んでその胸元に自分の顔を寄せた。


「どうした、マコト?」


 甘えているのかと思ったらしいカイトが、真琴の頭を撫でてくる。


「甘い匂いがする。お化粧品みたいなの」


 ぎくっと、カイトの体が僅かに跳ねる。


(ちゃんと落としてきたよなっ? あ、いや、別れ際についたかっ? やべえ)


 顔をあげた真琴は上目遣いになって、焦っているカイトを睨んだ。


「自分だけずるぅい」

「いっ、いやっ、お前にはまだ早いだろっ?」


 慌ててぱたぱたと手を振ってごまかそうとしたカイトは、

「さっ、行こうか」

と、真琴の背中を片手で抱いて食堂へ行こうとした。

 そんなカイトの腰に両手をまわして、真琴は抱きつきながら両足を床について踏ん張る。


「ずーるーいー。自分だけ綺麗なお姉さんの所に行ってぇ」

「だっ、いやっ、・・・分かった、お前がもっと大きくなったら連れてってやるからっ」


 焦るカイトだが、真琴は自分が置いてけぼりにされたのが気に入らない。


「僕を置いてぇ」

「わっ、分かった。じゃあ今夜はお前も連れていってやるからっ」

「ぶぅー」


 本当は連れていってほしかったのではなく、自分と一緒にいてもらいたかっただけなのだが。


「なっ? ほら、機嫌直せって。まったく、背伸びしてぇ年頃なのかねぇ」

「もう大人だもんっ」

「嘘こけ」


 それでも今夜は連れていってくれるというので、とりあえず真琴はそれで許してあげることにした。


(しょうがねえ。なるべく客層のいい酒場にしとくか)


 出航前日は、船の中で食べる為の菓子や保存食を買いこむ為に使うんだと言って、カイトは真琴に色々なキャンディや焼き菓子を買ってくれた。それも真琴にとっては驚きの連続だ。


「なんかとっても大きい缶。量もたっぷりだよ。凄いよ、カイト」

「ああ。船乗りはちまちま買ってられないからだな」

「そっかぁ。そうだよね。海にいる間はお店に行けないもん」


 店に行けない期間を考えて買うという大切さを真琴は知った。

 カイトはとても強い酒やチーズ、サラミや干物、果物、果汁の入った瓶を買っている。


「船で全ての食事は出るが、つまみもあるといいんだ。果物は乗ってから食べよう」

「うん」


 大きな荷物が行き交う市場は危ないからと、肩車してくれたカイトの髪は茶色に染められていた。


(小さい頃、お父さんもよくこうしてくれたな。お父さんはもっと髪は黒かったけど)


 だけど優理や遥佳も抱っこしていたタイガと違い、今のカイトは真琴一人だけだ。


「ねえねえ、カイト。あそこに錨(いかり)が売ってる」

「・・・買わねえからな?」


 カイトの頭に手を置いて指差せば、すぐに返事が戻ってくる。

 それが嬉しくて、真琴は何かと目についたものをカイトに指差しては話しかけた。

 カイトにも分からないものは近寄っていったりして、二人で感心したりもする。

 やがて真琴が背負っている背嚢(ナップサック)には色々なお菓子が詰まっていった。





 カイトは日中かなり頑張った。灯台に真琴を連れていって景色を楽しませ、市場で自分達が選んだ魚介類をその場で調理してもらって頬張ったり、展示されている船を見学にも行った。

 だからもう真琴も夜は疲れきって出かけたくないと言い出すだろうと思っていたのである。


「な? もう眠いだろ? パタンキューってしたいだろ?」

「眠くないもん。行くっ。一緒に行くったら行くっ」

「・・・そうか」


 何だかなぁと思いながら、綺麗なお姉さん達が酒を注いでくれる酒場へ真琴を連れて行ったカイトだ。


「いやぁん、可愛いー」

「坊や、幾つぅ?」

「うーんと、16ぐらいかなぁ」

「まあ。お兄さんについてきたのぉ? 仲いいのねー」

「うん。仲良しなんだよ」

「あらあら、まだ子供ねぇ」

「なんで?」

「ふふ。分からない内はまだ坊やなのよ」


 くすくすと笑われながらも、酒場でジュースを飲む真琴は、

「綺麗なお姉さんばっかり」

と、目を丸くしているものだから、

「あらあら。本当はまだ14ぐらいかしら。ふふ、三年後にまた来てね」

と、可愛がってもらっていた。


「こちらはお酒でもいいのよね?」

「ああ。弟が俺だけ酒場に行くのはずるいと喚(わめ)くから連れてきたんだ。適当にあっちはジュースだけ飲ませといてくれ」


 そうしてカイトはしっぽりと酒を注いでもらいながら大人しく飲んでいたら、やがててくてくと真琴が寄ってくる。


「カイトぉ、目が回るぅ」

「・・・おまっ、酒飲むなって言ったろーっ!?」

「だぁってぇ、もう大人だもーん」

「ガキのくせに、何が大人だっ」

「こんだけしっかりしてるんだよっ」

「お前のどこがしっかりしてるんだっ」


 ぽてっと自分の膝に倒れ込んできた真琴を叱りつければ、全く反省していない真琴だ。


「あらあら。やっぱりお子ちゃまには早かったわねぇ」

「自分も飲みたいって言うから」

「ふふ、可愛いわねえ。精一杯おとなぶっちゃって」


 くすくすと笑う彼女達だが、何だかなぁと思うカイトだ。何が16才だ。誰がどう見ても10才・・・、いや、少し違うような・・・? 

 いや、酒のせいだろう。自分も酔っている。

 しょうがないと、カイトはそこで会計をすませて、酔っ払いを宿屋のベッドへと放り込んだ。


「んむぅ、もっと飲むぅ」

「アホな寝言をほざくな」


 ぎゅむっと真琴の鼻をつまめば、

「いやーん」

とか言って、くるりと体を下に向けて寝てしまう。


(何がいやーんだ。こっちがいやーんだっつーの。全くもう、これだからお子様は)


 綺麗なお姉さんのいる酒場では、理性を飛ばして楽しく明るく飲むものだ。それを子供連れのおかげで羽目を外すこともできなかった。

 それでも上掛けを掛けてやり、飲み足りないカイトは違う酒場へと出向いた。

 今度はもう静かに飲めればいい。チャラチャラきゃぴきゃぴフワフワした女はいらない。ストイックに心地よく浸りたい。


「いらっしゃい。何にしましょう?」

「そうだな。二日酔いせず、ついでによく酔える酒がいい」


 燻(いぶ)した香りとすっきりした味わいとどちらが好きかを問われて、スモーキーな方を選ぶ。

 そのバーテンダーはつまみにと、ピリッとくる辛みがアクセントになった、魚の練り物を出してきた。

 カウンターがメインの小さな店だ。余計な飾りも全くない。


「二日酔いしたくないってことは、出発は明日ですか?」

「ああ」

「なら、帰りにこちらも差し上げましょう。寝る前に飲むと、確実に二日酔いしませんから」


 どうやら酔いを醒ます薬らしい小瓶もカウンターに置かれる。黒髪のバーテンダーは、若い割に年寄り臭いところがあった。


「ありがとな。なかなか気の利(き)く酒場じゃねえか」

「どうでしょう。酔っ払って滅茶苦茶になりたい気持ちを分かっちゃいねえと言われたりもしています」

「なんだ、この仕事始めて短いのかい?」

「まあ、そんなところです」


 誰にでも事情はある。

 そう思いながら、せっかく綺麗所(きれいどころ)を侍(はべ)らせたというのに弟にとられて、しかも勝手に酒を飲んで酔っ払ってくれたものだから全く楽しめなかったと愚痴を零せば、そのバーテンダーもくすっと笑って頷いた。


「なるほど。弟さんはお兄さんをとられて寂しかったのですね」

「おいおい。俺の話、ちゃんと聞いてたか? 綺麗な姉ちゃんを全部とられて寂しい思いをしていたのは俺の方だっつーの。残ってくれたのは一人だけ、しかも酒を注ぐだけだったんだぞ?」

「聞いてましたとも」


 そうして先程カウンターに置いた小瓶の蓋を開けて、カイトに差し出す。


「早く帰って差し上げた方がいいですよ。弟さんは大好きなお兄さんが違う女の人達の所に行ってしまうのが寂しくて、そんな我が儘を言ったのでしょう」

「へっ?」

「だから本当に連れて行かれても、今度はそのお姉さんを一人占めして、あなたをとられまいとしたに違いありません。酔っ払ったと言っても、今頃は目を覚まして拗(す)ねてるかもしれませんね」

「・・・・・・いやいや、子供だぞ?」

「親が不在でお兄さんと二人なら、片時も離れたくないに決まってるでしょう」


 カイトは、本当かよ、おいと、そう思いながらもその小瓶の中身を飲んだ。

 

「釣りはいらねえ。とっといてくれや」

「有り難うございます。どうぞ良い航海を」


 そう微笑みながら送り出してくれた黒髪のバーテンダーは、暗い蒼の瞳をしていた。

 自分のことには鈍くても、人のことならとても細やかに気づく男である。


「あんたも良い夜をな」


 そう言って宿屋に戻ったカイトが、真琴の寝台に近寄って頭を撫でればよく眠っているようだ。


(なんだ。慌てて帰ってきて損した。よく寝てやがる)


 けれどもその脇に座って髪を優しく梳いてやれば、僅かに睫毛(まつげ)が震える。


(あ。タヌキ寝入りだ。あのバーテンダー、実は正しかったのか? そういや野宿ん時は毎晩一緒に寝てたからなぁ)


 一人で眠るのが寂しかったのかもしれない。

 カイトは寝間着に着替えると、真琴の頭にキスしながら小さく囁いた。


「ごめんな、一人にして」


 真琴は何も言わなかったが、目を開けて腕をカイトに伸ばしてきた。まるで泣きそうな顔をしている。

 それを受け止めて、カイトはゆっくりと真琴の下に滑り込むように寝台に入りこんだ。


(こいつ、いつも俺を敷マット代わりにしてたもんな。宿でゆっくり休ませてやれたと思ったが、心細かったのか)


 そんなにも自分の存在に依存していたのかと思うと真琴がとても可哀想で、そして自分が守ってやらねばという気分になる。


「大丈夫。俺はもうどこにも行かないから」


 ぎゅっとしがみついてくる指先を感じながらカイトは目を閉じた。ぽんぽんと真琴の背中を優しく叩いてやれば、ううーっと、拗ねているような小さな唸り声がまるでカイトへの恨み言のようだ。

 

(最初っから寂しいって言ってくれれば、無駄に酒場になんぞ連れて行かずにすんだのに)


 色々な事情があるようだが、双子の妹とは別れたばかりだ。それも情緒不安定の原因なのだろう。

 思えば傷ついた真琴を見つけてから、毎晩一緒に眠っては傷を舐めてやり、野宿の時は虎の姿になって温めながら眠ってやり、常に夜は一緒にいたから真琴にとってはそれが当たり前になっていたのかもしれない。

 それをカイトが他の女のにおいをさせて帰ってきたものだからショックを受けてしまったのか。


(いや。俺にも俺の事情というものが。それにそんなその場限りのそれを咎(とが)められても)


 自分にとって大事なのは、今この腕の中にいる存在だけだというのに。怪我をしていた真琴を拾い、そうして自分の群れの子にした時から、独り立ちするまでは真琴は自分のものだ。

 けれども獣人としてどう見ても出来損ないの真琴は、群れのリーダーであるカイトを特別に思う気持ちは持てないだろうと、だからそれを要求する気はなかった。

 けれどもちゃんと真琴も、カイトを唯一の存在としてみてくれていたのだろうか。


「誰よりもお前が大事だよ、マコト」


 頭を撫でて囁いてやれば、固く閉じられた睫毛に浮かぶものがある。

 その涙を舐めてやりながら、カイトは愛しいという意味を知った気がした。


「これからは置いていかない。ずっと傍にいる。約束する」


 暗い中、それでも真琴が嬉しそうに笑う。

 カイトの誓いに満足したのか、真琴の唇がカイトの頬に触れて離れていった。

 きっと仲直りのつもりなのだろう。


(お前も大人になれば、俺の気持ちが分かるさ。まあいいよ。まだお前はお子様だからな)


 やがて真琴が安心したかのような寝息をたてはじめる。

 それを確認してから、カイトも眠ることにした。

 あの小瓶のせいで酔いは完全に抜けていたが、よく眠れそうな気がした。



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