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15 神官イスマルクは第9神殿で休んだ

 

 ドリエータ城からヴィゴラスと共に遥佳が去った後、イスマルクは第9神殿長に頼みこんだ。


「どうぞ神子様をお探しする為の力をお貸しください。ここの兵士達は恐れ多くも神子様に矢を放ち、それが当たったとのことでしたが、今も見つからぬまま七日が経過したとなれば・・・。このままでは、ギバティ国王やドリエータ領主によってマーコット様にどんな更なる危害が加えられるかもしれぬのです。神子様をお守りすることができるのは神殿だけです」

「勿論ですとも。全ての神殿に連絡いたしましょう。ギバティ王国がどれ程に神子様を傷つけようとしても、神殿こそはお守りするのだと」


 さすがにそこで蒼白になったのは、ドリエータ伯爵家に仕える人々だ。

 また王弟が率いてきた一行も、慌てて口を挟む。


「待てっ。なぜ我らが神子様を傷つけると言いきるのだ、この無礼者めがっ」

「今に至っても、見つけて捕らえろとの命令を撤回しない方々に何を期待できましょうか」


 真琴が怪我を負ったというので、イスマルクも機嫌は最高に悪い。

 不眠不休で今にも倒れそうなぐらいに疲れきっていたが、その闘志だけが彼を立たせていた。


「私は女神シアラスティネル様、そして神子様方にお仕えする神官でございます。どなたが神子様を助けてくれるお気持ちを持っているのか、それを見極めれば自ずと行動も決まろうものにございます」


 脇でやいのやいの言っている騎士達など蛙の合唱に過ぎない。

 イスマルクは一番の権限を持つ王弟ラルースへ視線を合わせて言いきった。

 要は、

(王弟は神子様を助ける気はないんだよな? だからドリエータ伯の命令を取り消さないんだよな?)

という痛烈な皮肉である。

 そうなると年老いた第9神殿長もイスマルクに協力するだけだった。


「近隣の神殿全てに連絡せよ。神子様は少年の格好をなさっておられるが、十代の少女であること。そして背中に矢傷を負っていらっしゃることを。信者を集め、お救いする為の協力を呼びかけよ。ドリエータ領主、ひいてはギバティ王国は、神子様を本物かどうかも分からぬ盗賊としているが、神殿は全く違う立場であることを周知させるのだ。捕らえるための捜索ではなく、お助けする為の捜索であることを徹底せよ」


 ぐぅっと唸り声をあげた王弟ラルースをよそに、第9神殿長は神官達に命じていく。


(そもそも俺はっ、ドリエータ伯にまだ会ってもなくてっ、勝手にここで命令できる立場じゃないんだっ。俺が動かせるのはこの捜索隊だけに決まってるだろっ。しかもこの第3等神官っ、俺に話を通した方が一番確実だと踏んで要求ばかりしてきやがってっ)


 勿論、王子なのだからラルースもそれなりの用事程度は命令できる。

 けれども他の貴族に仕えている騎士や兵士に命令する権利はないのだ。その領主がいない隙に、いくら王族とはいえ、勝手に領主の命令を取り消して違う命令を出すような真似など許される筈がない。

 ラルースの内心など全く考える気のない神官達は、身勝手にも話を進めていった。


「では、私は第8神殿に参ります。詳しい事情を説明し、信者を緊急に集めるようお願いもいたしますっ」

「私は第10神殿に参りますっ」

「でしたら私は第11神殿に参ります。恐らくどこの神殿でも詳しい事情をと、引き留められると思いますので、そうでなくては次の神殿への知らせが遅れましょう。別個に向かった方がいいかと考えます」

「私は第9神殿に戻り、すぐさま信者を集めて事の次第をっ」

「私は自警団に知り合いがおりますので、そちらで捜索の人々を募りますっ」

「猟師達の組合長とは親しい仲でございますっ。彼らにも協力を呼びかけましょう。山であれば彼らにとっても庭のようなものっ」


 次々と、神官達が自分にできることを考え、第9神殿長へとそれを告げて去っていく。

 残った一人の神官が、イスマルクに声をかけた。


「どうぞ第25神殿長、第9神殿へおいでくださり、まずはお体を休めてくださいませ。大神殿からいらしたとのことでしたが、どう考えても不眠不休でなければここまで早くはおいでになれなかったでしょう。我らも全力を尽くします。まずはお休みになり、その後、ご協力くださればと存じます」

「・・・すみません。お世話になります」


 さっきから体がふらついていたイスマルクだ。

 その神官はハミトとレイノーにも声をかける。

 

「そちらの医師の方々もどうぞおいでください。神子様を神子様と知らず、それでも大切にしてくださっていた方々を、どうしておろそかに扱えましょうか。まずは神殿にてそのお身柄をお預かりいたしましょう」

「はあ。・・・どうする、ハミト?」

「勝手に牢を出てきてるしな。ここで戻るより神殿に行く方がいいだろ、何かと」


 治療院に戻りたいのは山々だったが、まさか神子が絡むとなればそうもいかないのは分かっていた。

 たかが小さな絵一つですら、地下牢に入れられたのだ。本物の神子達と一緒にいたとなれば、そんなどころではない事態だと二人も分かっている。

 ならば家や治療院にいて兵士達に再び連行されるより、神殿で保護してもらった方がいい。


「待てっ。まるで我らが悪者のように決めつけるなっ」


 王弟ラルースがぎりっと歯ぎしりをして彼らを睨みつける。

 このままでは神殿と民衆によって、ギバティ王城が悪人扱いとなるではないか。それこそ他国にどこまで嘲られることか。


「違うとおっしゃるのであれば、即座に命令の撤回をお願いいたします。絵を盗んだ罪人などではなく、何の罪も(けが)れもなき高貴なるお方であること、そのお方を無実の罪で傷つけたことこそ誤りであったと認め、直ちに()のお方を保護し、丁重に扱うようにと」


 イスマルクがよろけそうになる足を奮い立たせて要求する。

 さすがにラルースもここまでくると、対応しないわけにはいかなかった。


「それは勿論だ。・・・ドリエータ城の騎士達に告ぐっ。身なりはどうでもいいからと伯爵夫人を即座に呼び出すのだっ! 特例として伯爵夫人より城内全ての者を集めて命令させよっ! 現在、矢傷を負っていらっしゃる少年の格好をした姫君を即座に保護し、名医に治療を行わせ、丁重に城へとおいでいただくようにと! そしてドリエータ伯及びご子息方に早馬を飛ばし、その命令の追認をさせるのだっ! 現在、姫君を捜索している全ての者に、誤認されていた事実を早急に伝えるべく手配せよっ!」

「はいっ」


 その命令を受け、城にいた騎士達もその少年を狩り出そうとしている領主や捜索隊を率いる責任者達へ、命令撤回と新たな情報をもたらす伝令を出そうと動きだす。


「ちゃんと付け加えていただきたい。その姫君は、何の罪も汚れもなく比類なき高貴なるお方であることと、そのお方は無実無根の罪で傷つけられたのだと」

「・・・だそうだ。それも付け加えよ」


 しつこいイスマルクに、ラルースも折れた。

 そこでハミトとレイノーは、卵を盗もうとしては鶏に(つつ)かれ、泥んこになっては裏庭で山羊に頭突きされていた真琴を思い出して、顔を見合わせる。


――― 何の罪も汚れもない・・・。

――― 言うな、レイノー。


 不要になった物を入れこんであった地下の物置スペースを、探検しては埃で真っ黒になりながら変な物を見つけてきた真琴だ。それは今では使われなくなった医療器具だったりするのだが、

「これなあに?」

などと見せられるそれらは、時に声変わりもしていない少年には教えにくいもので、何とも取り上げて隠すのに苦労したものだった。


――― 高貴なお方っていうか、好奇なお方・・・。

――― 言うなって。


 少年ではなく少女だったと言われれば、あの顔立ちならそれも有りだなと、そんなものではあるが、どんな王女よりも高貴な存在だという事実が、あの真琴とうまく重ならない。

 全ての神殿に属する神官達の敬意を集める神子姫の一人は、馬の上で逆立ちに挑戦していた腕白小僧だ。


「これでよかろう。とりあえず最初から事情を説明せよ。一体、何がどうしてこうなったのだ」


 ラルースの言葉を無視し、イスマルクはがくっと膝をついた。


「イスマルクッ」


 慌ててハミトが駆け寄る。


「すまん。この地面でいいから寝かせてくれ」


 そうして本当に地面の上で寝てしまった第3等神官を見下ろし、第9神殿長は残っていた一人の神官に命じた。


「寝かせたままでお運びするのだ。もう気力だけで立っていらしたのだろう」

「なら運ぶのは俺達がやりましょう。これでも病人を運ぶのは慣れてるんです」


 そこでレイノーが申し出る。

 そんなイスマルクの様子を見ていたラルースは、付き従っていた騎士に命じた。


「ドリエータ城から馬車を借りて、その神殿とやらに送ってやれ。寝かせたままで運べるような馬車をな」

「かしこまりました」


 王弟一行やドリエータ城の人間にしてみれば、イスマルクは生意気で態度の大きな神官でしかない上、グリフォンに神子姫を連れて行かせた張本人だ。

 あそこでまだ神子姫が留まってくれていれば、もてなすことでどうにか失態をカバーできたかもしれないという恨みもある。

 しかし首都ギバティールにある大神殿でこの事態を知るや否や不眠不休で馬を駆けさせてきた上、こうやって倒れる程になりながらも牢にいた神子姫を逃がしてみせた手腕に、感じ入るものもないわけではない。

 男として、何があろうと守ると決めた信念に殉じたそれを。

 羨ましいと思うのは、感傷か。


「ふん。神官にもたまには気骨(きこつ)のある奴がいるようだな」


 そう言い捨てて、王弟ラルースは城へと入っていく。


(身なりを整える時間に半日かけるのが貴婦人だ。即座に引っ張り出せと命じたことでどれ程に荒れていることか。大体、どうして絵の確認で矢だの何だのということになっているのだ)


 大慌てで戻ってくるであろうドリエータ伯爵に対応する為にも、ラルースとて休息が必要な状態だった。

 不眠不休とまではいかないが、かなり急いで来たのである。

 

「すげえなぁ。まさかグリフォンが・・・」

「王子様なんて初めて見たよ」

「それを言うなら、神子姫様だろ」


 遠巻きにしていた人々は、今の出来事を声高に話し合わずにはいられなかった。

 ましてや騎士達はともかく、兵士達は治療院ともなじみ深い。

 ちょこちょことハミトやレイノーの手伝いをしていた大人しい女の子と、明るく元気な男の子が神子達だったと聞けば、その神子達に自分は食事を運んでもらったり、お菓子を一緒に食べたりしたのだと、感動がきてしまう。


「なんかよぅ、ハールカちゃんと先生が牢に入れられちまって・・・。なんかの間違いだと思ってたけどやっぱり間違いだったんだな。マーコットちゃんはどこにいっちまったのかねぇ。可哀想に」


 年老いた兵士の一人が涙ぐむ。

 自分が作った鶏小屋を、真琴は、

「すごーい。小父さん、とっても器用だねぇ」

と、感動して見てくれていたではないか。

 その鶏に追いかけられていた姿には大笑いしたが、今にして思えば、あれ程に戦場のようだった治療院がゆとりをもてるようになったのは、二人が来てからだった。


「先生。よけりゃ俺達がその薬師の先生を馬車まで運びますよ」

「もう交代の時間ですかんな。あのグリフォンも神子様達にだけは懐いてたし、ハールカちゃん、いや、ハールカ様はもう大丈夫でさぁ」

「薬師の先生は神官様だったんだな、やっぱり」


 身分の高い人達がいなくなれば、兵士達も名乗り出る。

 よほど疲れていたのか、そうやって運ばれていってもイスマルクは全く目を覚まさなかった。






 イスマルクが目を覚ました時、そこは見知らぬ部屋だった。客室らしいが扉が開け放されており、起きたら分かるようになっていたらしい。

 寝ている間に軽く顔や体は拭かれたらしく、寝間着を着ていた。


「あっ、お目覚めですか。それではお食事を運んでまいりますね」

「・・・有り難うございます。その前に浴室をお借りしてもいいでしょうか」

「勿論です、第25神殿長。どうぞこちらへ。本来は神官がお世話をさせていただく筈でしたが、神殿長が、

『第25神殿長は、それで侮られたと思って不愉快になる方ではなかろう』

と。見習いの私ですみません」

「世話してくださることを有り難く思うことはあっても、その相手の位をどうこうと誰が文句を言いましょう」

「あはは。本当にあの第25神殿長ですよね。ですが私が怒られますのでどうぞ敬語は不要です」

「・・・はあ?」


 軽く拭いてはもらったようだが、かなり埃だらけだったイスマルクだ。

 汚れを落とし、そして提供された着替えを身につけて、出された食事を有り難くいただく。


「現在、ドリエータ城と神殿の合同で情報を集約する臨時の集会所が設置し、ドリエータ領を通過する商人や旅人達にも情報提供を呼び掛けてます。マーコット様はとても目立つお方でしたから、お顔を知ってる人も多いですし、自分が見つけるんだって皆が総出です」

「目立ってた? そりゃ治療院では人気者だったが」

「世間一般大多数の意見として、面倒だからと二階の窓から壁を伝って出入りする少年がいたら目立つと思います。でもって、馬ではなく牛に乗って移動しようとして全く違う方向へ連れていかれたり、川に丸太を流してそれを舟代わりに浮かぼうと挑戦したりする少年がいたら誰だって注目するのではないでしょうか。樹齢100年の大木に登るのはいいですが、三階の部屋で二人きりの世界に(ひた)ってた恋人達に窓からコンニチハしたら、もうその二人はそこで会えませんよね? 密会できる場所ということで有名でしたが、様々な恋人達に要注意人物としてマーコット様は顔を覚えられたのです」

「い、いつの間にそんなことを。いえ、いつもはそんな危ないことしない子なんです」


 その見習い神官は、イスマルクの給仕をしながら色々なことを教えてくれたのだが、中にはイスマルクが目を丸くすることも含まれていた。

 うちの子はとても大人しくていい子なんです的な親バカ発言に、彼は憐れむような眼差しを向ける。


「そう思ってらっしゃるのは第25神殿長だけでしょう。さすが神子姫様の足を掴んで逆さづりしながら歩いていただけはあります」 

「ぶっ、ぶふぉっ。・・・い、いやよくご存じで」


 その時はまだ素性を知らなかったというのは理由になるだろうかと、イスマルクは冷や汗を流した。


「良かったらこちらの布を。・・・そりゃ第5等という高い地位の神官が、こんな田舎で薬師をし始めたら誰だって注目します。しかも道で会えば、素知らぬ顔で、

『おはようございます、神官様』

なんて挨拶してきてたんですよ?

『なんて白々しい。こっちが頭を下げなきゃいけないのに、あれを受け入れろと?』

『何らかの命令で一般人を装ってるんだ。ならば気づかぬフリするしかない』

『うちの調査に来てるのか? それともあの治療院に何かあるのか?』

『いずれにせよ大神殿の密命だ。あそこにはなるべく近寄るまい』

って、神官の方々も困ってました」

「・・・まさか、俺の顔が知られてるとは」


 見習い神官は更に同情する瞳を向ける。


「あなたを知らない神官がいたら、それこそ偽神官(モグリ)ですよ」

「え。何それ。俺、何になっちゃってんの・・・?」


 イスマルクは、自分という存在について疑問を抱かずにいられなかった。






 ― ☆ ― ☆ - ☆ ―


 長閑(のどか)な麦畑が広がり、今日も絶え間なく元気に(さえず)雲雀(ひばり)が朝を連れてくる。

 旅人も滅多にやってこない、自然あふれるその場所に第25神殿は存在した。


「おはようございます、神官様。今日もいい天気ですよ」

「・・・ああ、おはよう」


 づかづかづかと寝室まで入ってきた家政婦に大きく窓を開けられ、彼はまだ寝ぼけた声で返事をする。柔らかくカールする黒髪は、伸ばせば独特の雰囲気も出るのだろうが、洗髪料が勿体ないからと伸ばさない為、今日もあちこちに跳ねまくっていた。


「以前から言ってるが、女性が男の寝室に入ってくるのは感心しない。そういうのは見習いにやらせりゃいいんです」

「なぁに言ってるんですか。神官様に寝室へ連れこんでほしいお嬢さんは沢山いるんですからね。若い男の子がそれを見ちゃったら大変じゃないですか。私みたいなおばあちゃんだからこそ、うまくお世話できるってもんです。どんっと大船に乗った気で任せてください」

「・・・何故だろう。全く違う方向に思いやりが暴走中だ。何はともあれ、結婚もしていないのに寝室へ連れこむような失礼な真似、女性にするものではありません」


 陰りを帯びた蒼い瞳は、不誠実な真似を許さない。

 初老の家政婦は、やれやれと溜め息をついた。


「それはご立派なんですけどねえ、神官様。お祭りの日だからって襟元を広げておいたり、胸の大きさを強調するようなおしゃれをしたりしていたお嬢さん方に寒そうだからとストールかけるって可哀想すぎるでしょう。少しは誘惑に乗ってあげてくださいな。これじゃあ、いつ神官様は結婚できるんだろうって心配になっちまいますよ」

「女性と二人きりになることも多い神殿だからこそ、神官は身を慎まねばならないのです」


 そんな真面目で自分に厳しい彼は、この第25神殿ただ一人の神官だ。

 誘惑されることを恐れ、祭りの前には村の女性の数だけ薄くて軽いストールを用意する。小さな鞄に入るよう薄さを追求し、それらはシルクだ。

 おかげでこの村の女性はよちよち歩きの小さな淑女から80年前の淑女に至るまで、お祭りの日には彼からストールをプレゼントされるのである。

 そこまで自己防衛に走るかと、男の村人全てが呆れずにはいられない堅物神官。

 だが、それは彼の表の顔にすぎない。


 ひとたび指令が届いたなら、彼は豹変する。


「行ってくる。後は頼んだ」

「はい」


 見習い神官に第25神殿を任せ、彼は神殿の敵へと牙を剥くのだ。

 享楽的(きょうらくてき)な金持ちの息子を装い、神殿に魔の手を伸ばしていた男の恋人に近づく。


「驚いたな。こんな所に生きた黄金の薔薇がいるとは」

「まあ、ご冗談がすぎること」

小夜鳴き鳥(ナイチンゲール)の声を持つあなたを、黄薔薇(レイディオブジ)の姫君(イエローローズ)と呼んでも?」


 やや陰りを帯びたマスクが彼女を見て微笑み、口説き文句は彼女の為だけに紡がれる。やがて女は、本当の恋に落ちる瞬間を知るのだ。

 そうして夢のような甘い時間を過ごしながら、女は恋人を裏切り、彼へと情報を流す。


「ねえ、次はいつ会えるの?」

「毎日でも会いたい僕の気持ちを知っていて焦らすのは君じゃないか、僕のイエローローズ。空を飛ぶ小鳥を見れば君の声を恋しく思い、花にとまる蝶を見れば君をこの手で捕まえたくなる僕の気持ちを分かってるくせに」

「ふふ」


 だが、必要な情報を手に入れ、神殿の敵が失脚した時点で彼の誘惑時間も終わりを告げる。

 情報を取る為に近づいたのだと察した女から、黙って平手打ちを受け取ることだけが彼の誠意だ。 


「騙したのね」

「君はとても魅力的だった。それだけだよ」

「・・・少しは、私のこと、愛してた?」

「ああ。永遠に愛してる。さよなら、僕の黄薔薇」


 最後の口づけはとても冷たく、彼は振り返りもしない。


「嘘つき。・・・私に、夢を見せておいて」


 泣き崩れる女がどうなろうが、もうどうでもいいのだ。

 苦い思いを居酒屋の酒で紛らわし、彼は表の世界へと帰る。


 そうして朝日が差し込む第25神殿で彼は朝を迎えるのだ。


「まあ、神官様。そのほっぺたはどうなさったんです?」

「なんかねえ、せっかくのギバティールだからって夜の街を歩いてみたら、痴話喧嘩に巻きこまれて関係ないのに殴られたんだ」

「なんて災難な。だから恋人ぐらい作るべきって言ってるじゃありませんか。最初は文通から始めてみてはいかがです?」

「そうなんだけど、やはり女性に手紙を書くだなんて恥ずかしいよ」

「もう本当に神官様ったら」


 今日も家政婦は、この神官が真面目すぎてどうしようもないと呆れ返る。

 第25神殿長。

 それは闇に生き、光を守る宿命を持つ者の名だ。


 ― ☆ ― ☆ - ☆ ―



 それを読み終えたイスマルクは、心を宇宙へと飛ばした。


「大丈夫ですかぁ、第25神殿長」


 ひらひらと、第9神殿の見習い神官が彼の目の前で手を振ってみる。


「何なんだ、この変な妄想ストーリーは。しかもなんでドリエータにこんなのがあるんだ」

「他の神殿にもあると思いますよ? それ、おまけでもらったからって、私がお土産でもらった奴なんです」

「何のおまけで?」

「そりゃあ勿論、第25神殿長ストーリーのミニ冊子のおまけです。第25神殿長ストーリー、読んでるのは低位神官だけなんですけどね。中位や高位の神官はその冊子の存在を知らないと思います。あ、うちは出しっぱなしにしてたのを神殿長が読んじゃったので、みんな知ってるんですけど」


 見習い神官は、てへっと笑ってみせた。


「なんでこんなのが出回ってるんだ」

「さあ? 思うに大神殿か第25神殿の誰かが小遣い稼ぎにやってるんじゃないですか? そうじゃないと分からないことって多いですし。ところで、本当に村人女性全員のストールあげたんですか?」

「・・・ノーコメントで」

「そっか。本当だったんですね。となると第25神殿の人かな」


 既に第25神殿長の職は解かれている。犯人探しもできない。


(誰がこんなの書きやがった・・・! うちの見習いか、ご近所神殿の神官か、俺を呼び出しに来る奴か)


 イスマルクは知ってしまった。

 どうしてこの第9神殿で「あの」第25神殿長呼ばわりされたのかを。


(忘れよう。うん、忘れるんだ)


 イスマルクが目覚めたということで、もう一人の見習い神官が現在の情報を聞きに行ってくれている。

 待っている間、せっかくだからと見せてくれたのは好意からだったのかもしれない。

 だけど。


(知りたくなかった。というか、回収して全部焼き捨てたい)


 とりあえず祈りに行こう。

 イスマルクは精神安定の為、第9神殿で祈ることにした。






 現在、ほとんどの神官が出払っている為、閉鎖されている第9神殿。けれども神官しか入れない区域で休ませてもらっていたイスマルクは内部から祭壇まで向かうことができる。

 神殿なんてどこも造りは似たり寄ったりだ。


(仕立てのいい服だし、食事も腹に負担を掛けないようあっさりとしていたが、種類は多めだった。・・・いい人達だよな。なんか俺、泣きそう。普段、大神殿しか行かないから、神官から優しくされることってないし)


 普段は一般の信者たちでごった返しているであろう場所で大切な遥佳と真琴を守れなかったことを詫びる。

 それから神殿の横にある扉を開け、イスマルクは大気に向かって跪き、祈りと心を伸ばした。

 休息をとり、腹も満たしたせいだろう。今のイスマルクには、心の余裕も生まれている。

 怒りに我を忘れていたり、焦っていたりすれば分からなくもなるが、心さえ平常心を取り戻せばそれを読み取ることができる。


(大気の怒りが少し治まっている。マーコットの怪我を誰かが治療してくれたのか?)


 気づけば、近くに第9神殿長が来ていた。

 その背後には、見覚えのない神官達がいる。立ち上がり、まずは感謝を示すイスマルクだ。


「この度はご迷惑をおかけしました。神殿長にはお礼の言葉も見つかりません」

「いえ、何もしてはおりません。・・・まだ、神子様は見つからぬままです」

「ええ。ですが次の段階に移ってもいいかと」


 そこでイスマルクは祭壇にある女神を表しているご神体を振り返った。


「マーコット様は今も生きていらっしゃる。大気と大地の怒りが穏やかになり始めています。そして今、マーコット様がどこにいるかまでは分かりませんが、・・・少し歓びの歌が聞こえます。きっとどなたかがマーコット様を保護してくださっているのでしょう」

「それは、本当ですかっ」

「はい」


 年老いた白髪の第9神殿長に向かい、イスマルクは強く頷く。


「根拠は私の勘としか言えませんが、もう山を捜索する必要はありません。問題はどこの誰に保護されていらっしゃるのか、ですが、さすがにそこまでは・・・。マーコット様を利用しようと考える人じゃなければいいのですが」

「聞いてはおりましたが、第25神殿長はそういうことが分かるのですな」

「もう第25神殿長の位は解任されました。伝えるのが遅れておりまして申し訳ありません。今の私はただのイスマルクです」


 イスマルクは幾つかある扉から庭へと出て、その空を仰ぐ。


「神子様方がばらけてしまわれた上、世界中に散らばった聖神殿の欠片が私の探索を阻みます。更に神子様を傷つけられたことに対する世界の怒りは大きい。同時に、マーコット様が安全な状態であればこそ、大気と大地が歓びを歌っているのでしょう」

「世界の怒り、ですか」

「はい。聖神殿の欠片が放つ穏やかな優しさすら、シアラスティネル様の大事な姫君を傷つけられたことによる怒りが飲みこんでいきます。私に分かることは何もありません。けれどもマーコット様が傷ついたままならこんなものではすまないことだけは分かるのです」


 第9神殿長の後ろにいた神官が、そこで口を開く。


「もしもその神子様が傷ついたままならどうなったと?」

「分かりかねます。神子様はお三方いらっしゃいます。そして互いに大切に思い合っていらっしゃいました。そこにいるだけで大気は優しい風を運び、大地は実りを捧げる方々。けれどもどなたかが傷つけられて残りの神子様を怒らせたならばどんなことが起こるのか、・・・知りたいとも思いません」


 その第9神殿長の背後にいた神官は、他の神殿長なのだろうと思って丁寧に答えたイスマルクだ。

 とても辺鄙な場所にある第25神殿は辺鄙ゆえに他の神殿ともあまり交流がないし、たまに大神殿に出てきても特殊な立場のイスマルクは一人ぼっちでいることが多い。


「お世話になりました、第9神殿長。私は、マーコット様を見つけに参ります。申し訳ありませんが、マーコット様捜索は、今度はマーコット様を保護した方の名乗りを呼びかけるものにした方がいいかと」


 そう言って暇乞(いとまご)いをするイスマルクに、第9神殿長は言った。


「ならば神官を幾人かつけましょう。あなたの手助けをさせる為に」

「お気持ちは嬉しいのですが不要です。いいえ、かえって邪魔になるのです」

「それは何故かと訊いてもよろしいですかな?」

「気配が読めなくなるからです」


 イスマルクは女神を表すご神体へと視線を向けた。


「何も持たぬ一つの命として向き合って読み取れる世界の歌。けれども色々な場所で様々な歌が奏でられています。それを一つ一つ探りながら見つけようとする作業は、他人から見たら同じことを何度もやっているようだったり、時には意味のないことだったりするのです。そして世界のそれを聞いている時に声をかけられるだけでも、私は手繰(たぐ)り寄せていたそれを見失ってしまいます」


 誤解されないようにと、そこはイスマルクも丁寧に説明する。


「ですから私には誰もつけられないのです。常に単独で動くのは、どなたかと一緒に行動することで失敗することを避ける為でございます。それに・・・」

「それに?」


 何度か躊躇(ためら)ったが、イスマルクはそれを口にした。


「神子様方は、神官を嫌っておいでです」


 ざわっと、その場の空気が揺れる。


「神子様方は、ただ普通に生きてみたいとお望みでいらしたそうです。ですが聖火が消え、聖神殿に騎士や兵士達、神官達が押し寄せた為、その場を離れるしかなかったとか。その無遠慮な行為を行った王城と神殿を、礼儀も知らず信頼に足りぬ存在と(とら)えておいででございます。神官である私も信用できないと、そう言われました」

「だが、それは・・・」


 第9神殿長の背後にいた一人の神官が反論しようとして、しかし口を閉ざした。

 いつの間にか、その場には他の神官達も集まっている。


「しかし・・・。イスマルク殿は、神子様の信頼をいただいていた様子だとか。それは神官だからではなかったのでしょうか?」

「私の任務は神子様方を見つけて大神殿へと報告することでございました。ですが私は神子様方の所在を大神殿へ報告いたしませんでした。大神殿ではなく神子様のご意思に従ったのです。大神殿を裏切ることを表明し、実行したからこそ、あの方々の傍にいることをお許しいただけたにすぎません」


 さすがにその場にいた神官達も考えこむ。


「マーコット様が傷つけられたことから、ハールカ様は王城や神殿ばかりでなく既にこの国そのものを憎み始めておいでです。もうお一方の神子様もこの事態をお知りになったらどれ程にお怒りになることでしょうか。せめて私にできることは、この行動そのもので誠意を示すことだけでございましょう」


 イスマルクは軽く頭を下げて、立ち去ろうとする。その背中に、一人の神官が声をかけた。


「もう一人の神子様というが、イスマルク殿、あなたはそのお方もご存じなのか?」


 イスマルクは振り返った。


「いいえ、存じません。ですが、試されはいたしました」

「試された、とは?」

「はい。私の任務、三人の神子様方には把握されておりました。その上で私は大神殿か神子様かのどちらを選ぶのかを一方的に試されたのです。もし神子様を選ばなければ、私は今も神子様を見つけられずに放浪していたことでございましょう」


 そこでイスマルクは居並ぶ神官達を見渡して言った。


「神子様にお仕えするのであれば、両立はお許しにならない方々だと覚悟をお決めになることです。神子様とはいえ、まだ十代の潔癖なお年頃。それこそ病人に食事を食べさせてあげたり、話し相手になってあげたりする優しさを持ち、動物と触れ合ったり川や山で遊んだりしてはしゃぐ、可愛らしく純粋な少女でいらっしゃいます。神官の立場という大人の事情を受け入れてほしいと願えば、知ったことではないと拒絶され、お姿を消されるだけです」

「だが、神殿は女神シアラスティネル様に仕える集団。その神子様が、知ったことではないはないだろう」

「それはこちらの都合にすぎません」


 イスマルクはそう反論した。


「神子様にとっては、自分達の家に勝手に入りこんだ礼儀知らずな泥棒集団でしかないのです。そしてお忘れかもしれませんが、女神シアラスティネル様を敬愛するのは人間ばかりではございません。その証拠に、グリフォンも神子様だけはその背中に乗せました」


 そのグリフォンが単に餌付けされただけだとは言わないイスマルクだ。


(ああ、あの日、もっと早く俺が山から帰ってきていたなら・・・。ハールカの代わりに餌を与えて恩を着せ、あの駄犬をいいようにこき使ってやったのに)


 それが今も悔やまれてならない。


「あのグリフォンがハールカ様をどこまでお連れしたかは分かりませんが、その気になればゲヨネル大陸までも飛び去ってしまうことでしょう。そうなった場合、他の神子様もこのギバティ王国、いえ、ジンネル大陸に留まってくださるでしょうか」

 

 勿論、内心ではヴィゴラス一人でさっさとゲヨネル大陸に帰れと思っているイスマルクである。


(まあな。あんな無駄飯食らいで図々しいトリ犬でも、その実態を知らなきゃハールカに忠実な狂暴グリフォンだもんな)


 たとえ食べることと、遥佳達に宝石をつけてうっとりすることしかできない駄幻獣でも。


「神殿だの王城だのと、そんな小さなスケールで()()いをするつもりはございません。せめて人間という種族に愛想を尽かされぬよう、(つと)めるばかりです。今はマーコット様の探索を行い、むざむざと神子様の身を危険にさらした己の罪と向かい合うしかありません」


 立ち去るイスマルクを、もう誰も引き留めなかった。

 他の神殿を預かる神殿長達も浮かぬ顔である。


――― ちょっとちょっと聞きましたぁ?

――― 要はさ、大神殿に味方する神官なんてお断りってことだろ?

――― 小さなスケールで競り合うつもりはないって、王弟殿下と思いっきり競り合ってたよな?

――― だよな。神殿側の行動を当て馬にして王子を動かしたの、第25神殿長だろ?

――― 人間種族を無視してグリフォンに神子様を預けたのはどなたでしたっけ?

――― 清々しいぐらいにあの第25神殿長だよな。利用した後は捨ててくとこ。

――― ひどいわ。利用しただけだったのね。

――― 君達は素敵な神官だったよ。だけど別れの時が来ただけさ。

――― 少しは、私達のこと、・・・信じてた?

――― ああ。

――― 嘘つき。・・・私達に、夢を見せておいて。


 こそこそと、第9神殿所属の神官や見習い神官達は囁き合った。






 イスマルクが去った後の第9神殿では、近隣の神殿長、副神殿長が集まって話し合いの場がもたれた。

 

「どうして我らが神子様に嫌われねばならんのだ。聖神殿に乗りこんだ神官もいただろうが、それは我らではないっ」

「その通りだ。そんな恐れ多いことする筈がないっ。やったのは大神殿や第一神殿っ、一部の神官ではないかっ」

「女神シアラスティネル様を奉じる我々がどうして神子様以外の存在を優先しましょう」

「全くもって同意です。なぜ、第25神殿長にあそこまで言われねばならんのでしょう」


 何と言っても行方知れずだった三人の神子達は、幼女ではなく10代の少女だと分かったのだ。それこそ花も恥じらう乙女盛りを迎えようとする年頃の神子姫達。

 こんなにも近くにいたというのであれば、別に首都ギバティールにまで出向いていただく必要もない。

 本人が望んでいるのだ。

 自分達こそ神子姫の気持ちに寄り添う神官集団として、大神殿ではなくこちらの神殿にて穏やかにお暮らしになっていただけたら・・・。

 二人を神子と知らずにいた治療院の医師達や患者達とて、お二方とも毎日を楽しそうに過ごしていらしたと、そう言っていたではないか。

 

「では、大神殿にはなんと報告なさるのですかな」


 そこで年老いた第9神殿長が口を開いた。


「このような大事、報告せぬわけにはいきますまい。大神殿には、既に事実を連絡する使者を出しております。絵を盗んだとされた兄妹はお二人の神子様であったこと。お一方はグリフォンの背に乗って飛び去り、もうお一方は矢傷を負ったまま行方知れずであること。そして駆けつけた第25神殿長イスマルク殿がその行方知れずである神子様探索に当たっていることを」


 (わず)かに苦悩の色を浮かべ、第9神殿長が皆の内心を探るかのようにゆっくりと視線を巡らせる。


「おそらくイスマルク殿は自分の大神殿に対する裏切りをも報告されることは覚悟の上であそこまで言っていかれたのでしょう。そして出世や今後の神官としての人生を考えるなら大神殿には逆らうべきではないと、匂わせておられた。同時に神子様方のお傍に近づきたければ、大神殿ではなく神子様に忠実な人間でないと拒絶されるということも」


 考えたくなかったが、他の神殿長と副神殿長もそれには気づいていた。

 できることならば灰色の決着ですませたかった。


「皆様は、どちらをお選びになりますかな」


 その問いに即答できる者はいなかった。



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