14 遥佳と真琴はドリエータで囲まれた2
やっとの思いでドリエータにイスマルクが到着すれば、治療院は閉鎖されていた。人っ子一人いない。
玄関の扉には板が打ちつけられ、勝手に入れないようにされていた。
「ハミト、レイノー・・・。二人を、庇ったのか」
その事実に、イスマルクの顔から一気に血の気が失われる。
イスマルクはドリエータの街の中心部にある第9神殿へと向かった。第9神殿の中にいた神官を見つけ、声をかける。
「いきなりで申し訳ございません。こちらの神殿長にお会いしたく存じます。お取り次ぎ願えますか」
「ああっ、あなたは・・・っ。どうぞこちらへっ。誰か神殿長をお呼びしてこいっ。あの第25神殿長のおいでだっ」
神殿の奥にある、神官しか入れない区域へと招き入れられた、いや、引っ張りこまれたイスマルクは、名乗る前に応接用の部屋へと通された。
(あのって何だよ、おい。あのって)
すぐにやってきた年老いた第9神殿長を、イスマルクは知らなかった。しかし第9神殿長はイスマルクを知っていたらしい。
「おお、本当にあの第25神殿長ではありませぬか。いや、どういうご用件でありましょうか。どうぞお座りください。今すぐお茶もご用意いたしましょう」
「いきなり押しかけて申し訳ございません。旅の汚れも落としておりませんので、すみませんが立ったままで。すぐに立ち去りますので、お茶も不要です。早速ではございますが、このドリエータにある治療院で起きた出来事を知っておいでならばお伺いしたく参りました」
「なるほど。では、私共も見聞きしたわけではございません。あくまで街の噂として聞いた話でよろしゅうございますかな」
「是非お教えください」
何かとやっかまれたり、蔑まれたりすることの多いイスマルクだが、白髪の第9神殿長はイスマルクに対してそういう侮蔑を表すようなことはなかった。
高齢の為、立ったままでは足腰が辛い第9神殿長は椅子に座るが、その間にある机を挟んで、イスマルクは身を乗り出す。
その目の下に浮かぶ隈が、イスマルクの状況を伝えていた。
「始まりは、この地を治めているドリエータ伯爵の兵士達が、何やら街で聞きこみをしていたことにありました。ここにも問い合わせがきましたが、とある少年のことを調べていたようですな。家族や親の職業、そして何で生計を立てているのか。よからぬ者達と付き合いがあるのかないのか。そうしてあの治療院を騎士が率いた兵士達が包囲し、そこで手伝いをしていた少年を取り囲んだそうです」
「では、兵士達は武装、していたのですね」
頷いた第9神殿長に、イスマルクの顔が蒼白になる。
(マーコット・・・! どうして俺はここにいなかったっ。何の為に俺は・・・っ。あんな格好をしていてもマーコットは姫君だというのにっ)
震えるイスマルクの拳を見遣り、第9神殿長は話を続けた。
「そうして少年に対して絵をどうしたかと詰問し、渡さぬなら牢に入れて拷問すると脅したそうです。するとその少年の妹が、兵士が捜していた絵を差し出し、兵を率いていた騎士はそれを一度は受け取ったとか。ですが、その少年は絵を奪い返し、逃げたようです」
「そうですか」
逃げたと聞いて、イスマルクは少し安堵する。
「その少年は猿のように身が軽く、二階まで跳躍する程だったと聞きましたが、それは誇張でしょう。けれども逃げようとする少年に包囲していた兵士達が矢を射かけたのは事実のようです。それでも逃げられたそうですが」
「矢を・・・。まさか、それが当たったりなど・・・」
イスマルクの声は隠しきれない程に震えていた。
何ということか。
まさに騎士や兵士が正装で勢揃いし、その来臨を有り難がるべき姫君に、よりによって矢を放ったというのか。
「いや、そこまではこちらも・・・。何と言っても神殿の動きに城もピリピリしている有り様です。積極的に情報を集めることもなりませんでした。ですが、第25神殿長。街は大騒ぎでその少年を捜しています。そして妹を囮にしておびき出そうとしているとか。また、そんな少年少女を匿っていたというので、あの治療院の医師達も捕らえられたそうです」
「囮だとっ!? まさかっ、まさか・・・」
「ええ。少年の妹は捕らえられたそうです」
イスマルクは大きく目を見開いた。
「どこにっ、どこにその妹と医師達はいるのです? どうぞお教えくださいっ」
「領主、つまり伯爵の城ですよ。・・・ですが、第25神殿長。さっきからあなたはその少年少女ばかりを案じておられる。我らが女神シアラスティネル様の絵を王城から盗み出した大罪人とされているのに」
白い眉毛も垂れ下がった神殿長は、位としては第6等神官である。第5等のイスマルクの方が、若いこともあってかなり偉い筈だ。
しかし、イスマルクも自分の出世など所詮は上層部の都合だと思っている為、あくまで下位の者として話を聞いていた。
出されようとした茶も断り、人払いもしてもらった上で、それこそ急いでいるのだと椅子に座りもせずに話を聞く姿勢を、下位としての礼儀がなっていると見なす人はいないにしても。
「大罪人などではございません。それどころか、お守りできなかった私こそが何とお詫びすれば・・・」
震える声でイスマルクはそれを否定する。
(何が異能だっ。何が第7神殿があれば大丈夫だろうだっ。大切な姫君達をみすみす危険な状況に追いやっておいてっ。俺こそが大罪人じゃないかっ。こんなことなら大神殿への小細工など放置してずっと傍にいるんだった・・・!)
目頭が熱くなり、視界が歪んだイスマルクの足元に、ぽつりと何かが落ちる。
そんなイスマルクに、年老いた第9神殿長は静かな声音で語りかけた。
「このドリエータに、本来ゲヨネル大陸から出てくる筈もないグリフォンが舞い降り、しかもあの治療院に居ついたと聞いておりました。ここしばらく、あの治療院では豊かな実りがあるとも。そしてあなたは、身分を隠してあの治療院に出入りしていらした」
「ご存じ、・・・でしたか」
当たり前だろうと言わんばかりの顔で、年老いた第6等神官は頷く。
「何かと噂になる第25神殿長を知らぬ程、我々も枯れてはおりませんでな。しかしその理由が分からず、我らも静観しておったのですよ。そして治療院にいた少年がシアラスティネル様の絵を盗み出したと騒ぎになり、だからあなたが盗難への探りを入れる為にいたのか、ならばどうしてあなたがいて城の兵士に後れを取ったのかと、我らは首をひねっておりました」
「買い被りです」
イスマルクの謙遜を、第9神殿長は取り合わなかった。
「第25神殿長。あなたは聖神殿から持ち出された絵を持つ少年と少女を、罪人などではないと断言なさる」
年老いた神殿長が欺瞞を許さぬ瞳でイスマルクを見る。
「そういうことなのですね?」
「・・・あの方々は、それを望んでおられません。神殿にも王城にも行きたくないと仰いました。勿論、それは私の大神殿に対する裏切りと分かっております」
イスマルクは第9神殿長にその蒼い瞳を向け、微笑もうとした。
「神官として失格した愚か者よとお笑いください。ですが、私はあの方々のお気持ちこそをお守りする人間でありたいのです。こちらにご迷惑をおかけするつもりはございません。貴重なお話を有り難うございました。それでは失礼いたします」
「お待ちなされっ」
一礼して扉の方へと歩きだそうとしたイスマルクを、鋭く第9神殿長が制止する。
驚くイスマルクの腕に、その皺だらけの手をかけて。
「第25神殿長。この部屋は扉を閉めても、とある小部屋で会話を聞けるようになっております。今のお話、この第9神殿に属する全ての神官が聞いておりました」
「神殿長。それは・・・」
「第1等神官の命を受けて動くとされるあなたがやってきて、どうしてそれでただの盗難事件と思えましょう。そして我らも見くびられたものだ。・・・たかだか二十年そこそこしか生きておらん小僧に、腰抜け扱いされるとは」
その後半は低く唸るような声だった。
杖に寄りかかりながらも、第9神殿長が立ち上がる。
「我らが女神、シアラスティネル様がこの世界に残してくださった神子姫様の元へ駆けつけるなどというお役目、この第9神殿にいる神官の誰が第25神殿長に譲ると思われますかな」
「ですが第9神殿長。これは、場合によっては・・・」
「伯爵は国王の命を受けて動いているのです。本来のご身分を明らかにせずお助けするのは不可能。ならば神子様をこちらに取り戻し、その後、・・・神子様が散歩に出られて行方不明になることはありましょう」
「神殿長っ、ですがそれではあなた方が大神殿に処罰されますっ」
その言葉に、イスマルクも目を大きく見開いた。
「全ての栄耀栄華を拒否なさり、このドリエータの街で傷ついた人々の為にそのお優しい心を向けてくださった神子様のお気持ち、どうして我ら神殿の者が尊重しないことがありましょうや。彼らも同じ気持ちに違いない」
そこで、バンッと大きく外から扉が開け放たれる。
そこには、第9神殿に属する神官十八名が揃っていた。その背後には見習い神官達も控えている。どの表情にも迷いはなかった。
「神殿長っ。馬車の用意はできております」
「既に城へは神殿長が参る旨の使者を出しましたっ」
「第9神殿が出せる最高の権限を発動する旨、表明いたしておりますっ」
「ふむ。それでよい」
第9神殿長はここでイスマルクと話していたのだから指示などしていない。
だからこれはもう第9神殿の総意なのだと、イスマルクには分かった。
「第25神殿長。我らとて女神様に仕える神官にございます。ここで臆してどうして神官を名乗れましょうか」
「現在、この神殿は閉鎖いたしております。皆で参りましょう」
「どうぞ第25神殿長。神殿長とご一緒に」
次々とイスマルクに対して挑戦的に笑ってみせる顔は、抜け駆けをさせる気はないと雄弁に語っている。
「だそうですぞ。参りましょう、第25神殿長。ここは我ら第9神殿の縄張りですからな」
老いたりといえど、彼らを率いる第9神殿長はまっすぐに顔を上げて重々しく促した。
よろけながらも、その足取りは行き先を見失ってなどいない。
「はい」
自分の方が位は高くても、部下は見習い神官三人しかいなかった。
(いや、いいんだ。そうだよな、神殿の財力が違うんだよ)
自分よりもっと下位のここの神官達ですら、きっと自分よりお金持ちである。
イスマルクは、彼らに黙って感謝を示した。
ドリエータ伯爵が住むドリエータ城の地下牢に入れられていた遥佳達だが、その待遇はさほど悪くはなかった。
というのも、牢を見張る兵士達こそがハミトやレイノーの世話になっていた常連だからだ。
本来はじめじめした汚い牢なのだが、伯爵や騎士達には内緒で兵士達は牢内の汚れを洗い流し、清潔な毛布を用意した。
体を拭く布や水、着替えまでこっそり差し入れられている。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ハミトさん、レイノーさん」
性別の違いから別の牢とはいえ、鉄格子ごしに遥佳が涙ながらに謝るが、真琴に矢を射かけられたのを見てしまった二人は、ずっとそちらを案じていた。
レイノーも苛立ったように頭を掻きむしりながら毒づく。
「俺達のことなんざどうでもいい。ハールカが謝ることなんて何一つねえだろ。いや、あいつらこそ土下座して謝れっつーの。マーコットに矢なんぞ放つわ、ハールカをこんなとこ入れるわ、冗談じゃねえ」
「そうだな。牢の兵士じゃ騎士には何も言えないと言うし、身動きとれんのが痛い。まだ決定権のある奴が出てきてくれりゃどうにかなるんだが、問題はどう持っていくかだ」
ハミトは唇を噛んだ。
上下関係の激しい集団では、問われぬ限り、兵士では騎士達に声をかけることもできないのだ。
「女神様と神子様方の絵は、本来は黒一色のラフスケッチってか。俺達も間抜けだったよな、ハミト。そうと分かってりゃ拝んどくんだったぜ」
「そうだな。俺はこっそり祈っておいた」
「てめえ、そーゆー奴だよ」
そんな会話についくすっと笑ってしまった遥佳に、ハミトは安心させるように語りかけた。
「俺達は全く君達を恨んでないよ。だから泣かないでくれ、ハールカ。君は何にも悪くない。俺達はきっとそれを知ってる」
「問題はマーコットだ。せめてどこかであのグリフォンが助けてくれてりゃいいんだが」
「そうだな。ヴィゴラスさえマーコットを見つけてくれれば。だが、あの矢はどれ程の深さだったのか」
ハミトにしてみれば、今すぐ駆けつけたい程に真琴の身が案じられる。
けれどもこのドリエータ一帯を治める伯爵は、肝心の絵を持ち去られた失態こそが大きかったらしく、遥佳達を牢に入れたまま放置ときたものだ。
どうやら王城に早馬を出して問い合わせ、更に真琴の行方を追うのに城主自ら騎士と兵士を総動員しているらしい。
それでは話をすることもできない。
ハミトは、領主こそと話をつけなくてはならないと踏んでいた。
「ヴィゴラス、・・・怒ってる。私達が治療院にいないから。迎えに来たのに誰もいないから、だから今もずっと私達を捜してるの」
ぽろぽろと泣きながら、それを感じる遥佳がヴィゴラスをも案じる。ヴィゴラスは食事も摂らずにずっと遥佳や真琴の姿を、あちこち空を飛びながら捜していた。
(ヴィゴラス、お願いだから第7神殿に戻って。このままじゃあなたがまた倒れちゃう)
だからヴィゴラスは真琴を見つけていないのだ。真琴はどこまで逃げたのだろう。それともどこかで行き倒れているのだろうか。
あの絵を持って逃げたのは、遥佳を逃がす為だ。真琴は全ての追手を引きつけようとしていた。自分がきちんと逃げきっていられたならと、遥佳が自分を責める。
「ごめんなさい、本当に」
「いいや。君を一人でこんな所に入れる方がよほど辛い。まだ俺達が一緒で良かった。な、レイノー」
「ああ。たまにゃ強制的な休みもいい。ハールカ、大丈夫さ。ここの領主さえやってきたらどうにでもなる」
本来は湿っている筈の地下牢だが、爽やかな風が通り抜け、空気は乾いている。底冷えする筈の場所なのに全くそれがなく、空気に温もりすらある。
異常なそれこそが、ハミトとレイノーにその事実を実感させていた。
そこでざわざわっと大きく騒ぎ立てる声が響く。
「ふざけんなっ。こんな場所におしこめたのかっ!」
「今すぐ解放していただきましょうっ。もしや神殿全てを敵にまわされるつもりではあるまいなっ」
「お待ちいただきたいっ。いきなりやってきて、なんて乱暴なっ。このことは旦那様に申し上げ、国王陛下にも報告させていただきますぞっ」
「そうですっ。たかが一神殿長如きが何の権限があってっ」
「権限というのであれば、第3等神官の位を持って主張させていただこうっ。こちらは大神殿以下、全ての神官を代表して来ているっ。今すぐ、無実の少女を解放せよっ」
たとえまだ姿が見えなくてもその声の持ち主が誰かなど、三人に分からぬ筈がない。
遥佳が叫んだ。
「イスマルク! 真琴がっ、真琴がっ」
「ハールカ様っ。ご無事でいらっしゃいましたかっ」
「おいっ! 勝手に鍵を持ち出すなっ」
「うるさいっ! あのお方を牢におしこめた罪こそ、責任問題だと知るがいいっ!」
真っ先に駆け下りてきたイスマルクが、遥佳の顔を見てほっと息をつく。そうしてガチャガチャッと鍵を開けて遥佳を出した。
「ご無事でっ」
「イスマルクッ、真琴が矢をっ」
よろけるようにして小さな鉄格子の扉を出てきた遥佳が、イスマルクの服を両手でぎゅっと握り締める。
頼りなく揺れる体を、イスマルクが抱きとめた。
「ええ。すぐにお助けするべく総力を挙げて動きます。どうぞお任せください」
「・・・おいっ。罪人を牢から出して何を勝手なことをっ。この暴挙、正式に大神殿まで苦情を入れさせてもらうからなっ! ついでにお前も脱獄させた罪で地下牢行きだっ」
「勝手にしろっ。だが、その場合に刎ねられる首はお前のものだがなっ」
暗く蒼い瞳を底光りさせて、遥佳を抱きしめていたイスマルクが態度の大きい騎士を振り返る。その後から下りてきた他の神官達が遥佳を認めて顔を輝かせ、その場に次々と膝をついた。
「お初にお目にかかります、神子姫様。我ら、第9神殿に所属する神官にございます。お助けするのが遅れましたこと、申し開きの言葉もございません」
「こんな場所でさぞご不快な目に遭われたことでございましょう。どうぞ第9神殿までおいでくださいませ。神子姫様のお望みのまま、我々一同、従う所存にございます」
「地上で第9神殿長もお待ち申し上げております。ここまで下りてこようとしたものの、高齢の為、それもなりませんでした。どうぞお許しくださいませ」
その様子に、一緒に下りてきていた騎士や兵士達もぎょっとした顔になる。
「あ、あの・・・。すみません、ハミトさんとレイノーさん、私を庇って、無関係だったのに捕まってしまったんです。助けてください」
イスマルクが、そこで鍵を使って勝手に二人が入っていた牢を開ける。
「すまない。説明は後で・・・」
「分かってるからいい。それよりマーコットが矢をかけられた。二本は当たってる。しかもヴィゴラスはまだマーコットを見つけてないらしい」
ハミトが、謝ろうとしたイスマルクを制してそれを伝えた。
イスマルクも矢が当たったと聞き、ざわっと全身の肌を粟立てる。その言葉を、体の全てが拒絶していた。
「それは、・・・いつのことだ? 俺も詳しい事情を聞かずに走ってきたから、いつのことかもまだ聞いてないんだ」
震える声でイスマルクが情報を確認しようとする。
「多分、七日前だ。食事の時間が正しかったならだけどよ。ここじゃ太陽が見えねえから、推測だ」
「七日前・・・」
レイノーの言葉に、イスマルクががくっと床に膝をついた。
(その間、ずっと一人で逃げているのか。もう、もしも力尽きていたなら・・・。第7神殿に辿り着けているならヴィゴラスが見つけていない筈がない)
その会話を聞いていた神官達も、顔を青ざめさせている。
「しっかりしろ、イスマルクッ。早く見つけてあげなくてどうするっ」
そこで叱り飛ばしたハミトに、イスマルクはよろよろと顔をあげた。
「あ、ああ。ああ、そうだな。そうだ。見つけないと・・・」
そしてレイノーの腕に支えられながら立ち上がると、イスマルクは遥佳を振り返った。
遥佳は神官達に導かれるようにして、地上へと階段を上がりかけている。その不安そうな顔に向かって、イスマルクは無理に微笑んだ。
「まず、地上に出よう。話はそれからだ」
イスマルクに促され、数日ぶりに地上へと出たハミトとレイノーは、さすがに眩しいと太陽に目を細めた。
その向こうで、遥佳を前にして年老いた第9神殿長達が、膝をついている。
「神子様。この度はご不自由な思いをさせてしまいましたこと、どうかお許しくださいませ」
「あ、あの・・・。地面に膝なんてつかないでください。それに全くそちらのせいじゃないと」
膝や腰も悪そうな高齢者にそんなことをさせるのはと、遥佳がその腕に手を伸ばしてそれをやめさせようとした。
その場にいた全ての騎士達や兵士達も、あまりのことに目を白黒させて態度を決めかねている。
そこへ更に騒がしい、ガチャッ、ヒヒーンッ、ガッガッという、騎馬の音が響いた。わあぁっと、歓声も聞こえてくる。
「王城からのご使者がっ」
「旦那様はお留守だっ。どなたかお出迎えをっ」
「先程の神殿の暴挙をお伝えせよっ」
さすがに神官達にも緊張が走る。
だが、イスマルクは遥佳を背に庇ってそちらの方向を睨みつけた。
「イスマルク」
「何があろうと堂々としていてくださればいい。この場であなたこそが誰よりも高いご身分でいらっしゃるのだから」
そう遥佳に囁いて。
やがてその中庭に、王城からやってきたと思われる騎士達がどかどかとやってくる。
「王城から絵を盗み出したとされる兄妹を神殿が取り戻しに来たとかっ。どういうことだっ! 越権行為も甚だしいっ!」
大音声で言い放ったのは、先頭にいた若い男だった。
負けじとばかりにイスマルクも言い返す。
「どういうことだとは、こちらのセリフだっ! 無実のお方を地下牢に入れるだなどと、今回の大罪っ、王城とドリエータ伯はどうやって責任をとるつもりか、まずは申し開きでもしてみるがいいっ」
「はっ、大罪だと? たかが地方の神官如きがほざいてくれる」
ハッと鼻で笑った若い男だが、そのすぐ後をついてきていた騎士が大きく叫ぶ。
「こちらは王弟殿下でいらっしゃる」
さすがにざわっとその場が揺れた。
イスマルクは、なるほどと、薄く笑う。
「それは失礼をいたしました。私、大神殿に所属しております第3等神官、イスマルクと申します。王弟殿下にはご機嫌麗しく存じ奉りあげます」
そう言って頭を下げはしたものの、すぐに元の姿勢に戻ってイスマルクは言った。
「では、殿下もこちらのお方に馬から下りて膝をつき、きちんとご挨拶申し上げていただきましょう」
「なに?」
「このお方こそ、我らが女神シアラスティネル様の神子姫様とお呼びされるお一方、ハールカ様でいらっしゃいます。そう、このお方に対し、あなた方が罪人との冤罪をかけて地下牢におしこめられた暴挙についても、その理由をお伺い申しあげましょう」
「・・・なっ、なんだとっ?」
その場に驚きが満ちる。
「に、偽者・・・だろう」
弱々しく、王弟の背後にいた騎士が呟いた。
けれども第9神殿に属する神官達は、全員その少女に向かって膝をついているのだ。
「そうだ。神子様は金髪に夕焼け色の瞳をしていた筈だ」
騎士達は誰もが遥佳を見ては顔を見合わせる。
しかし、イスマルクはわざと挑発するかのように薄笑いを浮かべて言ってみせた。
「女神シアラスティネル様の神子様が金髪に夕焼け色の瞳でいらっしゃる? そんな思い込みは勝手に王城がなされたこと、どうして神子様がそれに合わせる必要などありましょうか」
崩れた聖神殿から持ち出された絵は、黒一色のラフなスケッチだったと知っている王弟は、そこで記憶を振り返る。
――― 女神の神子ならば同じ色の筈。
――― そうですな。
――― そうですとも。
誰かがそう言って皆が同調した。
事実は違うと言われたら、それはそれであり得る話だった。
だが、本当にこの娘は本物なのか。
神子は三人ではなかったのか。
「偽者ではないという証拠はあるのか? そもそも、神子とされるのは三人おられた筈だ。ましてやこの街にいたのは二人の兄妹と聞く」
いささか弱い口調になり、王弟ラルースが呟く。
「証拠? 我ら神殿の者が主と戴く女性は、女神シアラスティネル様とその神子様方のみ。これが私の身分を証するメダルでございます」
第3等ともなると貴族にも匹敵する高い身分である。
第9神殿に所属する神官達も、第25神殿長は第5等ではなかったのかとさっきから驚いていたのだが、この場合は高位であって困ることはない。だから驚きを顔には出さずに成り行きを見守った。
紛れもなく第3等神官であることを表すメダルを示され、王弟一行ばかりか誰もがその若さに驚く。
イスマルクはそこで振り返り、遥佳の前に恭しく膝をついて頭を下げた。
「我ら神殿に属する神官一同、あなた様のお命じになるままに。どうぞハールカ様、こちらの第9神殿長があなた様をお守り申し上げます。そして私はマーコット様をお助けに参ります」
王弟一行ばかりではなく、この城の騎士や兵士の目がある為、威厳があるように振る舞った方がいいのだと、イスマルクの心を読んだ遥佳が静かに問いかける。
「イスマルク。マーコットは私を逃がす為に反対方向へと逃げたの。そしてマーコットが持っていった絵は、父が私達を描いた私達のもの。それこそこの国の人間が、私達の暮らす聖神殿から盗み出したものにすぎません。私達を罪人だと言える人間が、この世界に存在しますか?」
「一人たりともおりません。恐れ多くも聖神殿から絵を盗んだギバティ王国こそが盗人のそしりを受けるべきでございましょう。あの絵はあなた様方の物。それを疑う神官は一人としておりません。いえ、このことが知られれば、ジンネル大陸のみならず全ての大陸に住まうものが、ギバティ王国の恥知らずぶりを詰ることでございましょう」
「では、私達の当然の権利を守るよう命じます」
「かしこまりました」
真琴が逃げた反対方向とは、つまり第7神殿とは反対方向の意味だと判断し、イスマルクが立ち上がる。
「では、第9神殿長。神子様をどうかよろしくお願い申し上げます。全力を尽くします、ハールカ様」
けれども遥佳はそこで頼りなげに視線を揺らした。
「だけどイスマルク。あなた、ずっと休みなしでここまで来たのに・・・」
「まだ大丈夫です」
安心させようと微笑むイスマルクはいつものように優しい。
(真琴を見つけてほしい。だけどもう、イスマルクは倒れそうな状態だわ。それでも笑ってイスマルクは無理をするのよ)
すると第9神殿長が口を挟んだ。
「ならば我らがイスマルク殿をお支えいたしましょう。どうぞご案じめさるな、神子様。あなた様が命じてくださるならば、どうして末端の神官に至るまでそれを厭うことがありましょうか」
「・・・ありがとうございます、神殿長様」
「なんと恐れ多いこと。さ、どうぞこちらへ。もうお一方の神子様は他の神殿にも協力させ、イスマルク殿の指示に従い、総力を挙げてお救いいたします」
第9神殿の神官達とその場を去ろうとする遥佳に、そこでハッと気づいたように王弟達一行がそれを留めようとする。
「神子様、お待ちをっ。そういうことであれば是非王城っ、いやっ、まずはこの城にご滞在をっ」
「そうでございますっ。非礼は幾重にもお詫びをっ。どうぞ神子様っ」
そうだ、もしもこの少女が本物の神子だとしたらと、王弟一行だけではなく、この城にいた全ての人々を恐怖が襲う。
イスマルクが宣言した通りに、ここぞとばかりに世界の非難がギバティ王国を襲うだろう。
勿論、先程の言葉はイスマルクがわざと言ってのけたものである。どちらの立場が上なのかをわきまえさせる為に。
「いやっ」
けれども遥佳は、伸ばされた手には絶対に触れたくないとばかりに斜め後ろへと後ずさった。
「近づかないでっ、触らないでっ。あなた達が矢をかけたくせにっ」
「そ、それは私共ではっ・・・」
「私達の絵を勝手に盗んでっ、それなのにマーコットに矢をっ」
真琴を傷つけた人達の顔など見たくもないという嫌悪感に、遥佳の瞳から涙がぽろぽろと流れる。
「神子殿。どうかお泣きになりませんよう。それについてはすぐに対処いたします。ですからどうぞ・・・」
手を差し出そうとした王弟ラルースだったが、そこで割りこんだのはイスマルクだった。
あの遥佳がここまでの拒絶を示すとはと、驚きのあまり対応が遅れたものの、二人の間に割り込んだイスマルクは、遥佳を背の後ろに隠す。
実際の事情はよく分からないものの、まずは話を聞いてしかるべく対応をしなくてはと思っていた王弟ラルースにしてみれば、到着早々、ドリエータ伯爵もいない状態でどうこの場を収めればいいのかという困った状況だった。
「神官如きに邪魔される覚えはないのだが」
「それこそ、神子様の歩みを止められねばならぬ覚えもございません」
二人の間で見えぬ火花が散る。
そこでハッと遥佳が小さく叫んだ。
「イスマルク、来るっ」
「えっ? 何がっ?」
「・・・ヴィゴラスがっ」
何も見えない青空を遥佳が嬉しそうに見上げる。
やがて、何もなかった空に小さな点が浮かび、そしてそれはどんどんと大きくなった。
「キュエエエエーッ!!」
「ここよ、ヴィゴラスッ」
グゥウウウッと、まるで飢えた猛獣のような唸り声をあげて、地上にグリフォンが舞い降りる。周囲を威嚇するのは、その状況が遥佳にとって好ましいものではないと感じたからだ。
「キエエエーッ!!」
不機嫌そうにそこらの木の枝をバキバキッと蹴り倒し、更に土埃が起きる程に地面を抉る強さで着地した強靭な四肢。
その首にかけられた黄金の鎖には、宝石を嵌めこんだ黄金の箱とプレートが輝いていた。
全てをその鋭い嘴で噛み殺そうと言わんばかりに、黄緑色の瞳が人々を睨みつける。
「うわあぁっ、馬がっ」
「ぎゃあっ」
何頭かの馬は逃げ出し、その際に振り落とされる騎士も出た。
混乱した馬はいななきをあげ、狂ったような動きで怯えまわる。
今から暴れまわることを予想させる動きのグリフォンに、誰もが慄かずにはいられなかった。
「何故っ、こんな所にグリフォンがっ」
「に、逃げろっ。まずは城内に逃げるんだっ」
「危険だっ、あの蹴りは岩すら砕くっ」
「殿下っ、神子様もどうぞこちらへっ」
馬や牛をも襲って食べる存在を前にして、たかが人の制止などどれ程の意味があるだろう。何頭かの馬は凄い勢いで障害物すら蹴り倒して走っていった。
「神子様っ、危険ですっ。どうぞ城内へっ」
王弟ラルースとその背後にいた騎士達が遥佳を城へ誘導しようとしたが、ヴィゴラスの動きから目を離さなかった彼らの制止など、遥佳にとっては何の意味もない。
「ヴィゴラス!」
凶悪な幻獣が苛立たしげにガツッガツッと地面を深く蹴りつけているというのに、笑顔で駆け寄った遥佳だ。
「なりませんっ、神子様っ」
制止しようとした声もあったが、自分で立てた土埃からその翼で遥佳を庇うようにして、不機嫌そうなグリフォンも遥佳だけは襲わない姿勢をみせた。
ヴィゴラスは遥佳を傷つけぬよう爪で包みながら、大鷲の頭で嬉しそうに頬ずりする。
(やっと見つけた。やはりハルカは俺だけを傍においておけばいい)
上空からでも確認できた強張った表情の遥佳。
それでも自分にだけは笑顔で駆けてきたという事実にヴィゴラスは満足したのだ。
「クルックー、キュイ、クルルル、キュッ、クルルン」
ご機嫌で遥佳に甘える幻獣に、イスマルクは叫んだ。
「ヴィゴラス! そのまま連れて行けっ。決して落とすなよっ」
「キィッ、クエェエエーッ。クェックィ、クルルグーッ(お前にうだうだ言われる覚えはない。したいようにする、それがグリフォン道なのだ)」
世界最高峰の幻獣というプライドにかけて、ヴィゴラスは胸を張った。
グリフォンに命令できる存在はなく、グリフォンは己の心だけを持って孤高に生きるのである。
「お前っ、聞く気ないなっ。この無能グリフォンッ! あれ程よくしてやっただろうっ!」
「グルル、クィ、キーキキッ、キッ、キィーッ、グェッ(やっと見つけたのだ。せめて空が暗くなるまではハルカを撫でていないと気がすまないに決まってるだろう。そんなことも分からんのかっ)」
大切な宝石を磨いてもらった恩など、ヴィゴラスの記憶の片隅にも残っていない
ヴィゴラスは、その大鷲の嘴から不機嫌そうな声をあげた。
「あ、あのね、ヴィゴラス。私、あなたと一緒にここから逃げたいんだけど」
(勿論だ、ハルカ。俺もそうしたいと考えていたのだ。なんて俺とハルカは気が合うのだろう)
途端に機嫌が良くなったヴィゴラスは、遥佳をそうっと自分の背中へ乗せる。
前脚に支えられて背中へと移動した遥佳が自分の首にある羽を握ったのを確かめ、驚かさぬようにゆっくりとグリフォンはその大きな翼を広げた。
「神子様っ、どうぞお待ちをっ。どうかこの失態を挽回させてくださいますようっ」
「嫌よ、もう嫌。・・・どうして私達を利用することしか考えないのっ。なんで私達があなた達と結婚するだなんて勝手に決めつけるのっ。こんな国、あなた達も大っ嫌いっ! 好きになるわけないでしょうっ!!」
遥佳が神子だと知った途端、騎士達の心に溢れたそれらは、遥佳にとって気持ち悪いとしか言いようのないものだった。
幼女であれば、大切な姫君として王城に迎えられて育てられただろう。
けれども今の遥佳は婚約者をあてがうにはいい年回りだと判断されたのだ。
(あなたもそう。人である前に私を利用する王族の一人なんじゃないっ)
国の為、自分を籠絡して取り込まなくてはと考えた王弟ラルースの心を読んでいた遥佳は、全ての言葉を拒絶する。
「ヴィゴラスッ、絶対に守れよっ」
「キェッ、クィー、キェーケッ。グルル、キキ、クェーッ(お前に言われる覚えはないっ、この考えなしっ。どうしてこんな場所にハルカを隠してたのだっ)
「・・・えーっと、ヴィゴラス分かったって言ってる」
「クェッ(言ってないっ)」
「怒らないで、ヴィゴラス。ありがとう、ずっと捜してくれていたのね」
「キュイッ」
可愛らしく鳴いてみせると、遥佳に負担がかからぬようゆったりとした動きながらも、グリフォンがその翼をはためかせて上昇し、やがて空の向こうへと消えていく。
二人ぐらい乗せられるくせに平気で自分を置いていったグリフォンを、言葉では言い尽くせない思いでイスマルクは見送った。
(ヴィゴラス。俺がそのリボンを買ったのは、・・・お前につける為じゃない)
ヴィゴラスの金の鎖に絡ませるように使われていた黄色いシルクリボン。遥佳と真琴を守ることすらできなかった役立たずグリフォンになど、荒縄で十分だというのに。
(あの欠片入り首飾り、没収してやる。番犬にもならん無能グリフォンが)
そんな思いを胸の内に隠し、イスマルクは第9神殿の神官達に向き直った。
「本来はそちらで神子様をお預かりいただく筈が申し訳ございません。ですが、あのグリフォンは神子様を傷つけることはございません」
「いや、さすがは神子様。あの狂暴な幻獣すら手懐けておいでとは。高貴なお方だと幻獣にも分かるそれを分からぬ人間がいたことこそ、恥じ入るものでございましょう」
痛烈な皮肉を王弟にぶつける第9神殿長である。
あれ程に人に対して気遣う遥佳がどうして王弟を拒否したのか、それに気づけばグリフォンさまさまだ。
公開でフラれたことこそ、ざまあみろと小気味よかった。
(何故、俺はいきなりフラれたのだろう。というより、俺、まだここに着いたばかりだったんだが)
ドリエータ伯爵の手の者の失態を全て負わされた王弟ラルースはいい面の皮だ。
「まずはイスマルク殿。もうお一方の神子様を」
「はい。まずは捜索の人員を用意していただけますか」
もうこれで遥佳は心配ないと安心したイスマルクは、真琴を思って唇の内側を噛んだ。
大神殿で、ドリエータの街で絵を盗んだ少年が逃走したと騒がれていた情報は、王城にいた神官が、ドリエータからの伝令が報告するのを立ち聞きして知ったものだ。
だから馬を飛ばして駆けつけたイスマルクが、真琴が矢を射かけられてから七日も経っていたのかと悔やんだものの、本来はあり得ない程にその期間は短かったと言っていい。
王弟ラルースもイスマルクも、普通ではあり得ないぐらいに早く到着していたのだ。
まさか絵を盗んだとされる少年こそが神子とは思わなかった為、どこか他人事のようなどうでもいい情報でもあった。
だから気軽な噂話となって出回る。やがてギバティ王国の首都であるギバティールのあちこちで、その噂は広まっていった。
全く手がかりのなかった神子達について、少しは掠る話だからだ。
だが、すぐにピンときたイスマルク同様、優理もそこで気づかぬ筈がなかった。
(真琴・・・!)
その噂を聞くや否や、優理は店にいた客を追い返し、すぐさま店を閉めた。
「あっ、姐御っ」
「当分休みにするからっ」
「ちょっとっ、どうしたんだよっ」
「大事な用ができたのっ」
そうして家に戻り、完全に戸締りをしてから優理は寝室にこもった。
(真琴・・・。どこ? どこにいるの? 無事なの?)
赤の他人ではない。自分達は常に一緒にいた三つ子だ。カイネなどよりも格段にその結びつきは強い。
ドリエータの街にまだいるのか。それとも捕らえられたのか。無事に逃げきったのか。
怪我などしていないだろうか。あの存在に傷などつけていたら、・・・この世界など滅んでしまえばいい。
寝台に体を預け、全身全霊で真琴を探ろうと、優理は完全に意識をそちらに向けていた。
第7神殿に戻った遥佳は、ヴィゴラスの空腹にも気づいていた。真琴も心配だが、まずはずっと食べていなかったヴィゴラスに食べさせなくては。
「ごめんね、ヴィゴラス。ずっと何も食べずに捜してくれてたのね」
(何があったのだ、ハルカ。泣くな、もうどこにも行かせないからな)
まずは生肉や野菜や果物を出してあげながら、それをヴィゴラスが食べている間に、肉や野菜入りのスープや煮込みなどを幾つもの大鍋で作る遥佳だ。
しかし調理には時間がかかるので、遥佳さえここに戻ってきたなら安心だと、ヴィゴラスは勝手に畑に行って足りない野菜を食べてくる。
そうしてスープとは別に、肉や野菜やパンをグリルし、遥佳はそれをヴィゴラスと一緒に食べた。
「あのね、ヴィゴラス。私、ちょっとお風呂に入ってから寝るから、お腹すいたらお肉とか野菜とか勝手に食べていいし、そこに作ってあるスープも食べていいからね」
(温泉に行くのか? 俺も行く。ずっとハルカと一緒なのだ。やっとハルカを見つけた。もう寂しくない。だけど置いていかれたら寂しい)
ここぞとばかりに甘えまくるヴィゴラスだ。
「ヴィゴラスとは一緒に入るなって言われてるんだけど」
(俺はハルカを湯に沈めたりなんかしないぞっ。お行儀いいぞっ。俺がハルカやマコトを踏むわけがないのだ)
ぷんぷんと反論してくるヴィゴラスに、遥佳は負けた。
「まあ、それなら・・・。いいわ、一緒に入りましょ。さすがに体は拭いてたけど、洗えないのは気持ち悪かったの。ヴィゴラスもブラッシングしてあげる」
男の子とはいえ、人間ではなくグリフォンだ。だから遥佳も妥協する。
「ヴィゴラスも凄い埃だらけね。ごめんね、こんなに大変な目に遭わせて」
(見つかったからいい)
外にある温泉に浸かりながら、ヴィゴラスの羽の隙間に入りこんだ汚れを洗い、下半身の毛並みも丁寧にブラッシングしてあげた遥佳は、泡立てた石鹸の汚れにびっくりしてヴィゴラスに謝った。
遥佳も頭と体を洗ってさっぱりする。
ご飯も食べたし、体もすっきりしたことだしと、まだ日は高かったが遥佳はパジャマに着替えて寝室へと行った。
「ごめんね、ヴィゴラス。私、しばらく起きないわ。真琴がね、矢をかけられて怪我して逃げたの。真琴がどこにいるか分からないから、かなり私、目覚めないと思う。どんなに起きなくても、こっちに心が戻ってこないだけだから心配しないで。ヴィゴラスは悪いけど一人で遊んでてね」
(矢? 何故だ。どうしてマコトがそんなことになってる)
「絵を盗んだって疑われたからよ。イスマルクも探してくれてる。だけどイスマルクよりも私が見つける方が早いかもしれない。だからごめんね」
あそこまで人々を総動員して見つからなかった真琴。ならば恐らく人の姿ではないのだと、遥佳はみていた。
だから見つからない。黒髪の少年でないなら、探索に引っ掛からないのも当然だ。
そうなると自分が見つけてヴィゴラスと共に迎えに行った方がよほど早い。
(俺も一緒に寝る)
のそのそと遥佳の横にグリフォンが寝そべる。
イスマルクの注意が遥佳の脳裏に蘇った。
「私、ちょっとやそっとのことじゃ起きないと思うから、ヴィゴラスに潰されても分からないと思うんだけど。ヴィゴラスが寝返りを打つだけで、私、潰れて死んじゃうんだけど」
(宝を潰すグリフォンはいない)
「そうね。だけど私、潰されなかったとしても、ヴィゴラスが寝ぼけて顔を塞ぐだけで窒息死しちゃうんだけど」
(宝の顔を塞ぐグリフォンもいないのだ)
「宝石に顔なんてあるの?」
ちょっとヴィゴラスは考えこむ。
「キュッ」
甘えるようにくりっと大鷲の首をまわして誤魔化してきた。
「もうっ。可愛いからってそれは反則よ、ヴィゴラス。そんなに寂しかったの? しょうがないわね。じゃあ一緒に寝ましょ、ヴィゴラス」
「キュイ」
「おやすみ、ヴィゴラス」
(うむ)
やがて、ヴィゴラスの首筋にかけられていた遥佳の手が力を失い、パタッとシーツの上に落ちる。
すぅっと寝入った遥佳を見下ろしていたヴィゴラスが、今の状況を考え出す。
(あのマコトに矢を・・・。だから人間は愚かだと言うのだ。忌々しい。こんな大陸にハルカとマコトを置いておけるか)
遥佳が心を読めると知って以来、きちんとした思考は遥佳が眠ってからにしているヴィゴラスだ。
自分達が使わぬ言語を理解できるグリフォンは、かなり賢い。ただ、趣味への傾倒が極端すぎるから頭の悪いダメ幻獣扱いされるだけで。
(あれほど二人に好意的な場所でそんなことが起こるとは。マコトはどこにいるのだ。ゲヨネルの民がそうと知ったら、この国を焦土と変えよう。・・・だが、そうしたらきっとハルカは泣くのだろうな。とても優しい娘だから)
起こさぬよう、傷つけぬよう、前脚の爪でその額に落ちた前髪をそっと掻き上げれば、ぴくりとも動かぬ睫毛に深い眠りについているのが分かる。
ヴィゴラスは己の首の下にある羽毛で、そっと優しく遥佳の頭を撫でた。




