5.黄泉がえり
死の淵で、白雪姫は夢を見ていました。お城にいたころの夢でした。
ある春の日、王妃様と手をつないで庭を散歩していました。チューリップやスイセンが咲いていて、とてもきれいでした。白雪姫はあれこれと指さしては、なんという花なのか王妃様に質問しました。王妃様は魔法の鏡の私も顔負けなほど、すらすらとそれに答えました。
「あれは何?」
白雪姫は、低木の上にちょこんと白っぽく咲いている花を指さしました。
「りんごの花よ。秋になるとりんごの実がなるの」
「へえ、早く食べたいね」
「白雪ったら、食いしん坊ね」
「だって、お母様のつくるアップルパイは世界一おいしいんだもの」
「よしよし、じゃあ秋になったらいやになるほどつくってあげる」
「ならないよ。いくらでも食べられると思う」
「太っちゃうわよ?」
王妃様と白雪姫は笑いあい、庭を歩いていきます。
あっという間に秋になり、りんごの木は真っ赤な実をつけました。
「まあ、とてもおいしそうだわ!」
白雪姫はどれがいちばん熟しているかみきわめようと、たくさんのりんごを眺めました。
そして、ひときわ赤い実を見つけ手を伸ばすと、小人たちの声がしました。
「だめだ!」
「それは毒が入っている!」
「食べたら死んでしまう」
「とても苦しい思いをする」
「まあ、言ってもむだかもね」
「白雪はぼくらの忠告守らないから」
「どうするかは自分で決めるから」
白雪姫はりんごの実をもぎとりました。
「そうよ、わたしはやりたいようにやるわ」
そして、がぶりとひと口かじろうとしたとき、りんごの表面に黒っぽい穴があることに気がつきました。
「これは何かしら?」
よく見ようと顔を近づけたとき、ひょいっと小さないも虫が出てきたのです。
白雪姫は目を開けました。あまりの悪夢に叫ぼうとしましたが、のどがからからに渇いて声が出ません。
そしてすぐに、自分の体が異様な環境におかれていることに気がつきました。そこはガラスで隔てられたとても狭い空間だったのです。白雪姫はきちんと足をそろえ、手には花束を持ち、あたまには花の冠をのせ、お気に入りの白いドレスを着て、横たえられていました。
これじゃまるで棺の中の死人じゃないの!
なんとか起き上がろうとしましたが、体がこわばってうまく動きません。
そうこうしているうちに、だれかが家にやってきました。
「ああ、寂しいわ。もうここでお茶会ができないなんて」
「仕方ないわよ。人殺しのあった家でお茶会なんて、気味が悪いもの」
「それよりなにより、白雪ともう話せないのが残念だわ」
乙女たちが来たのだと、白雪姫はわかりました。
「本当に、死んでもかわいいままね。ちょっと妬けるわ」
「永遠に美少女でいてほしいとは言ったけど、こんなかたちは望んでいなかったわ」
「ああ、白雪。もう一度あなたのつくったカスタードケーキが食べたいわ」
乙女たちはしくしくと泣き出しました。白雪姫は意識が戻ったのをなんとか気づいてもらおうとしましたが、だんだん言い出しづらくなってきました。
ひとしきり泣き終わると、乙女たちは弔うように、持ちよったお菓子を食べはじめました。
「それにしても、人ってわからないものだわ。あんなにかっこいい人がこんな大事件を起こすなんて」
「ええ。でも本当のところ、ほかに疑わしい人がいなかったというだけで、証拠は何もないけどね」
「たしかに。動機がよくわからないのよね。でも、事件以来まったく現れなくなったのも事実だわ。一度くらいお参りにきてもいいのに」
「動機かあ。やっぱりほら、あれじゃない? かわいいから」
「手に入らないぐらいなら殺してしまえってこと? そんな猟奇的な……」
「でも、白雪は別に嫌がっていなかったわよ。むしろ好意を持っていたはず」
「うーん……じゃあ、自分より美しいものはゆるせないから殺しちゃえ、とか?」
「まさかあ。さすがにそんないかれたやついないでしょ。もっとありそうなのは、白雪が恨みを買うようなことをしていたという線ね。あの子、どういう経緯でここに来たのか教えてくれなかったじゃない?」
「なるほど、魔性の女ってわけか。むかし手ひどく振った男が報復に来て……」
「ちょっと、死者の前で不謹慎よ。だいたい、白雪はここへ来た時にたった7歳だったのよ。そんなメロドラマみたいなことあるわけないじゃない」
彼女たちの推察は実はかなり的を射ていましたが、そのひと言で楽しい妄想は終わりになりました。
「はぁ……これで白雪のかわいい姿も見納めかあ」
白雪姫の眉がぴくりと動きました。が、座りこんで話している乙女たちは気がつきません。
「まあ、ここにずっとおいておくわけにもいかないし。美しい白雪が朽ちていくのなんてだれも見たくないでしょうから……」
白雪の指先がぴくりと動きました。ぱくぱくと口も動きます。
「姿は見えずとも、こんな田舎にこんなかわいい子がいたということは、わたしたちの胸に永遠に刻んで生きていきましょう」
乙女たちは立ち上がり、ガラスの棺に向かって手を合わせました。
「さようなら、白雪」
「さようなら」
「さようなら」
カタンと、棺の中で小さな音がします。
乙女たちはびっくりして顔を見合わせました。
するとまたしても、カタンと音がします。
おそるおそる棺をのぞきこんだ乙女たちは、悲鳴を上げました。
「白雪が、白雪の目が開いてる!」
「ばか言わないで! 白雪は死んだのよ!」
「でも、あなたも見たでしょう!」
乙女たちはパニックに陥り互いに押し合いへし合いしましたが、棺の中からごほごほと渇いた咳が聞こえてきて、少し冷静さを取り戻しました。
「うそでしょ! あなた生き返ったの!?」
乙女たちは慌ててガラスのカバーを取り外し、白雪姫を助け起こしました。
白雪姫は青ざめていて死人のように冷たい手をしていましたが、水を1杯飲むといくらか血色がよくなり、話しはじめました。
「よかった、気づいてくれて……」
「よかった、じゃないわよ!」
「もうびっくりして心臓が止まりかけたわ!」
「どういうことなのかきちんと説明してちょうだい!」
白雪姫はぼんやりと茶色い小びんのことを思い出しましたが、そこは省いて王妃様とのこと、あの夜何があったのかを打ち明けました。
「なんだ、やっぱりあのいい男が犯人だったのね」
「ということは、私たち変装した王妃様に熱を上げていたってこと!?」
「わたしは最初からあいつが怪しいと思っていたわよ」
白雪は乙女たちの相変わらずな態度に苦笑いしつつも、少しほっとしました。
「あななたちとこうして話せてうれしいわ。もう少しで永遠にお別れするところだったのね。もしも土の中で目を覚ますことになっていたらと思うと、ぞっとする」
「えっ、土の中?」
乙女たちはいっせいに怪訝な顔をしました。
「ええ……さっきのさよならは、わたしを土の中に埋める前のお別れだったんじゃないの?」
今度は白雪姫が眉をひそめました。
乙女たちはその顔を見て、笑い転げました。
「笑いごとじゃないわ!」
白雪姫は唇をとがらせました。
「ごめんなさい、でもあなたがそんな顔するの、初めて見たから」
「大丈夫、その顔も十分かわいいわよ。たしかに、あんなこと言われちゃ勘違いするわよね」
「そうか、あなたずっと寝ていたから知らないのね」
「もう、笑ってないで何があったのか説明してよ」
乙女たちはにやにや笑いを浮かべたまま、白雪姫に話して聞かせました。
白雪姫が深い眠りに落ちたのは、7日前のこと。訃報を聞いた里の人々は、ほとんどすべてが小人の家にかけつけ、死を悼みました。そしてその美しい死に顔を見て、残念に思うのと同時に、不思議な恍惚感に包まれたといいます。
もちろん、私はそのすべてを見届けていました。人々は両手を合わせひざまずき、白雪姫はまるでご神体のように取り囲まれていました。
うわさは瞬く間に山を越え、偶然にもとなりの山で狩りをしていた王子の耳にも入りました。物見遊山でかけつけた王子に人々は驚きましたが、ことはそれだけでは終わりませんでした。王子は白雪姫の病的な美しさを一目見て気に入り、この遺体をゆずってくれないかと言い出したのです。必要なら金を出すのもいとわないという王子に、人々は困惑しました。しかし、王子の国には長いあいだ遺体を腐らせずに保管する技術があると聞くと、人々の意見は次第に傾きはじめます。王子は白雪姫をほめたたえ、その比類ない美しさを保つことの重要性を力説しました。
結局、白雪姫の美は永遠に保たれるべきだということで話はまとまりました。
「ただし、白雪は売り物じゃないからお金はもらわないことになったの」
「それはわたしたちが言い出したことだけれど、みんな納得してくれたわ」
「そういうわけで、あなたは明日、かの王子様とともにお城へ向かうことになったのよ」
白雪姫は目を白黒させました。
まさか知らぬ間にそんなことになっていたとは……
「ちょっと聞きたいのだけど、遺体を腐らせない技術って、どんなもの?」
乙女たちは首をかしげました。
「さあ、詳しくは聞かなかったけれど……」
「骨と内臓を抜いて綿をつめて……」
「薬品で処理をするって聞いたわ」
白雪姫は危うく再び気を失うところでした。
「人でなし! どうしてだれも止めなかったのよ! 生き埋めよりも百倍怖ろしいわ!」
「だってまさか生きてるとは思わなかったんですもの」
……というのが乙女たちの言い分です。
何はともあれ、これからどうするのかという話になりました。
白雪姫自信は、このまま里で暮らしたいと言いました。いつかこの家を出て裕福な家に嫁ぎたいとは思っていましたが、内臓うんぬんの話を聞いたあとではとても気が進みません。
乙女たちは総じて城に行くべきだという意見で一致していました。王子様に見初められるというめったにない機会を逃すなど、ありえないということです。
「だいたいあなた、ここにいてもお気楽な暮らしはできないと思うわよ」
「そうそう。なんだかみんな、あなたを女神様か何かのように崇めはじめちゃっているから」
「死から復活したと知れれば、その地位は不動のものになるでしょうね」
「……それだけは勘弁して」
結局、お城へ行く方向で話を進めることになりました。
次に問題になるのは、白雪姫がよみがえったことを知らせるかどうかです。
「もちろんそうすべきよ。そしたら、王子様の白馬に乗って城に行けるし」
「いやよ。里の人たちに神だなんだと騒がれるなんて、まっぴらごめんだわ」
「そうねえ。もしも王子様が死体愛好家だった場合、さっぱり興味をなくす危険性があるわ」
「そんな王子様、こっちから願い下げだけど」
「あ、だったら最初は死んでいるふりをして、お城についてから生き返ればいいんじゃない? 生ものにつき返品不可ってことで」
「そんな魚みたいな扱いしないでちょうだい……」
こうして、本人の意思はそっちのけで、白雪姫の嫁入り作戦は着々と練られていったのです。最後には白雪姫もあきらめ、乙女たちの愛と友情に満ちあふれた計画に乗ることにしました。しかし、どうしてもこれだけは質問せずにはいられませんでした。
「あななたち、その靴と、指輪と、ネックレス、とてもすてきね。高そうだけどどうやって手に入れたの?」
乙女たちはにこやかに答えました。
「白雪のことを王子に尋ねられて」
「友だちだって紹介したら」
「お近づきのしるしにってもらっちゃった」
自分の友だちは思った以上にしたたかだったと、白雪姫は気づきました。
次の日の朝、王妃様は自信たっぷりに尋ねられました。
「鏡よ鏡、この国でいちばん美しいのはだれ?」
私は事実を伝えるほかありませんでした。
「王妃様は美しい。けれども七つの山の向こうの白雪姫はさらに千倍美しい」
王妃様はすぐには事態を飲みこめませんでした。私の前を三度行ったり来たりし、深呼吸してからほおをつねって、もう一度お尋ねになりました。
「鏡よ鏡、この国にわたしより美しいものはいない、昨日はそう言ったわね?」
「はい、王妃様。しかし昨日の八つ時、白雪姫が生き返り、地位が逆転しました」
「なんですって!?」
王妃様は真っ赤になったり、真っ青になったり、怒りに肩を震わせたかと思うと、今度は高笑いしました。
「あなた、白雪姫を確実に殺すには七人の小人を殺せばいいと言ったわよね。このわたしに嘘をついたの?」
「私は嘘をつくことができません、王妃様。白雪姫はもともと、王妃様のつくった毒入りアップルパイを食べていなかったのです。白雪姫は王妃様に悟られる前に逃げようとしましたが、あやまって小人の長命薬を飲み、仮死状態に陥っていたのです。生死の境をさまよったすえ、白雪姫は生き返りました」
王妃様のはらわたがぐつぐつと煮えくり返る音が聞こえてきそうでしたが、私にはどうしようもありませんでした。私は問われたことにしか答えられませんし、過去と現在のことはわかっても、不確定な未来のことはわからないのです。
「経緯なんてどうでもいいわ。早くあの子の息の根を止めなくては、わたしの気が休まらない」
王妃様は護身用のナイフを持ち、そこに映る血走ったご自分の目を見て笑いました。
「もはやあの子はわたしの娘でもなんでもない。何度殺しても生き返る、おぞましい生き物よ。このナイフであの子の胸を切り開いて、穢れた血を一滴残らず絞り出してやらなければ。なに、簡単なこと。りんごに包丁を入れるように、さくっとやってしまえばいいんだわ」
長いあいだ慎重に慎重を重ねてきた王妃様でしたが、その思慮深さはどこかへ吹き飛んでいました。
「お前の知恵にはもう頼らない。わたしがこの手で、すべてをかけてやり遂げてみせる。わたしの姿をしっかりと映して、すべてを見届けなさい」
「わかりました、王妃様」
私は居室を出ていく王妃様の後ろ姿をしっかりと映して敬意を示したのですが、王妃様は振り返りもせずに、ただひとつ、白雪姫の命を奪うことだけを胸に、さっそうと行ってしまわれました。




