6.グッバイ、白雪
「ちょっとやりすぎじゃないかしら?」
純白のドレスに身を包んだ白雪は、お人形のごとく乙女たちにめかしこまされていました。肌はより白く、ほおはほんのり赤く、唇はもっと赤く染め、黒い髪はきれいに結い上げ、バラの髪飾りを差しました。髪を上げたことであらわになった首の絞めあとも、なんとかおしろいで目立たなくなりました。
「少しもやりすぎてなんかいないわ。これから王子様が迎えに来るんですもの」
「そうよ、まかせて。あなたがいちばん魅力的になるように仕上げているんだから」
「ねえ、鎖骨にもう少しはたいといたほうがいいんじゃない?」
病み上がりの白雪姫はおしろいの粉にむせながら、別のことを気にかけていました。
「小人さんたちのこと、よろしくね。あなたたちだけが頼りだから」
「わかってるって。茶色の小びんをお墓にぶちまければいいのね」
「なんだかちょっとばちあたりな気がするわね」
「そんなことで本当に生き返るの?」
白雪姫は首を振りました。
「わからないわ。でもやれるだけのことはやっておかないと」
成り行きとはいえ王子とお城に行くことになった白雪姫は、まきぞえになった小人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「はい、出来上がり」
最後にぎゅっと胸紐を締め上げられた白雪姫はまたしても呼吸が止まりそうになり、こっそりと自分の手で紐をゆるめました。
「準備は整ったか?」
王子の召使いが、玄関の戸をたたいて言いました。彼らには、白雪姫のはなむけにきれいに着飾ってやっているところだと説明してあります。
「もうすぐ終わるわ」
乙女のひとりが答え、白雪姫は棺の台の上に横たわりました。
「ありがとう。あなたたちのこと、忘れないわ」
白雪姫が言うと乙女たちは涙ぐんで、それぞれに白雪を抱きしめました。
「元気でね」
「成功を祈ってるわ」
「お幸せに」
乙女たちがガラスの覆いをかぶせると、白雪姫は目を閉じました。そうすると、以前よりももっと美しく、透きとおり、神秘的に見えました。
召使いたちが入ってきて、白雪姫が入った棺を丁重に運び出しました。外には里の人たちが押しかけ、列をつくっていました。その中心に、四頭立ての立派な馬車と兵士たちと、王子が待っていました。
人々は以前にも増して美しくなった白雪姫を見て歓声を上げました。なかには手を合わせるものや、感激の涙を流すものもいました。葬列というより、結婚式の参列のようなにぎわいようです。
王子が進み出て、棺の前に立ちました。
「おお、なんと美しい。昨日見たときよりも、千倍は美しく見える」
王子は棺の前でひざまずき、白雪姫に敬意を表しました。そして、里の人々に向かっていいました。
「みなのもの、白雪姫はこの世でもっとも美しい人としてあり続けるよう、わたしが責任をもって取りはからう。どうか安心して任せてほしい」
王子の真摯な態度に人々は心揺さぶられ、万歳をしました。
こうして白雪姫は馬車へ運び込まれ、熱烈な拍手と歓声で送り出されたのです。
城への道中、王子は棺のそばを片時も離れようとしませんでした。いつもなら愛馬に乗ってさっそうと駆けていくのが好きな王子でしたが、白雪姫を手に入れた今、その魅力にとりつかれていました。おかげで白雪姫はそのあいだずっと死んだふりを通さねばならず、大変な思いをしました。もしも乙女たちが気を利かせてやわらかいクッションを体の下に敷いてくれていなかったら、悪路の馬車の中では5分と持たなかったでしょう。
「それにしても美しい。初めて目にしたときはもっと病的な美しさだったが、今はもっと生き生きして見える。棺をひっくり返したらびっくりして目を覚ましそうだ」
白雪姫はじんわりと冷や汗をかきました。
「いやいや、何をばかなことを考えているんだ。そんなの、死者への冒涜だ」
王子は首を振って考え直しました。
それともおとぎ話のお姫様のように、キスをしたら呪いがとけて目覚めるのだろうか?
王子は思いました。
内臓をえぐって綿をつめるほうがよっぽど冒涜的よ。
白雪姫は思いました。
王子はガラスの覆いを取り外し、白雪姫をもっと近くで観察することにしました。
黒々とした髪と、透きとおるような白い肌と、ほんのり色づいたほほと赤い唇。見れば見るほど、死んでいるなんて嘘のようでした。
いったいこの少女の身に何があったのだろう?
王子も里の人々と同様に、白雪姫が何か凄惨な事件にまきこまれたとしか知りませんでした。状況から死因は毒殺だろうということでしたが、確証はありません。里のだれも、毒を検出する技術を持っていませんでした。
小人の家で起こった、里でも評判の美少女殺人事件。その真相は何か?
実を言うと、王子はその真相にとても興味がありました。しかし、犯人の有力候補であるらしい謎の美青年は事件以来行方をくらまし、家の中の食器やナイフはすっかり片づけられ、小人たちは全員土の中に埋められています。はからずも、里の人々は真犯人を特定しうる証拠をきれいさっぱり葬り去ってしまったのです。
しかし今、王子の目の前に唯一の手がかりがあります。
王子は検死を始めました。
「おや、昨日見たときは首に索条痕があったと思ったが」
きっとおしろいの下に隠されているのだろうと、王子は思いました。そこで、拭きとってもっとよく調べようと、白雪姫の白い首筋に手をかけました。
「おい、今何か音がしなかったか?」
召使いのひとりが言いました。
「さあ。どんな音だ?」
「なんかこう、破裂音みたいな……」
「心配ならご様子をうかがってくればいい」
召使いは少し考え、首を振りました。
「いいや、やめておこう。殿下はあの美人死体に夢中だ。ひょっとすると、取り込み中なのかもしれん。邪魔をしてはいけない」
王子は突然死体にほおをひっぱたかれ、飛び上がりました。
「なんだ、何が起きているんだ!?」
白雪姫はしまったと思いましたが、もうあとには引けません。
「死人に手を出そうなんて罰当りな人ね。おかげで目が覚めてしまったわ」
王子は混乱していましたが、さすがにそんなことではごまかされませんでした。
「今にも動き出しそうだとは思ったが、まさか本当に動くとは! じゃあ君は、ずっと死んだふりをしていたのか!?」
「……ずっとではないわ。話すととっても長くなるのだけれど」
「ふむ、驚いた、生きていたのか。それは困った」
王子のもの言いに、白雪姫はぴくりと眉を跳ね上げました。
「どういう意味かしら?」
「失礼、今の言い方はまずかった。君のような少女が生き返ってくれて喜ばしいとは思っているよ。話せばとても長くなるんだが」
「聞いたところで、納得できるとは思えないわ」
「話したところで、君の気分を悪くするだけだろう」
白雪姫と王子はしばし睨みあいましたが、白雪姫の忍耐強さに王子はとうとう根負けし、手を挙げました。
「悪かったよ。君に危害を加えるつもりはなかったんだ」
「信用できないわ。さっきあなたがしたことを思うと」
「さっき?……あれは、君の首のあざを調べたかっただけなんだが。そうだな、たしかにぶしつけだった。この通りだ」
王子があたまを下げたので、白雪姫はかえって恥ずかしくなってしまいました。さきほどは取り乱していて気づきませんでしたが、王子はよく見ると白雪姫の好みの顔でもありました。
「こちらこそ、急にたたいてしまって悪かったわ」
「いや、無理もない。何か望みがあれば言ってくれ。お詫びしよう」
「まあ……それじゃあ、このままあなたの国に連れて行ってほしいわ」
「そんなことでいいのか? 服でも宝石でも、欲しいものを言えばいいのに」
「そういうのは命あっての物種でしょう? 生きたままで送り届けてくれるのがいちばんよ。とりあえず、馬車の速度を上げてくださらない?」
「何かわけありということか。しかし、こんな山道でスピードを出したら、ひどい乗り心地になるぞ」
「かまわないわ。なんだって死ぬよりはまし」
白雪姫が息を吹き返してから、すでに1日以上経っていました。そろそろ王妃様が気づいていてもおかしくないと、焦っていたのです。
そしてまもなく、白雪姫の心配事は現実になりました。
王子の家臣がどん帳を上げて声をかけました。
「殿下、後方から不審な人物が馬で追ってきます」
「なに、どんなやつだ?」
「黒衣に身を包んだ、美しい巫女です。殿下が運んでいる死体は災いの種だと叫んでおります」
「お母様だわ!」
白雪姫は叫びました。
召使いは驚いて馬からずり落ちそうになりました。
「なぜ死体がしゃべっているのですか!? まさか、怪しい錬金術のたぐいを……」
王子は召使いの言葉をさえぎりました。
「話せば長くなるらしいから、あとでな。白雪、お前の追手というのは母親なのか?」
白雪姫はためらいがちに話しました。
「ええ、そうよ。わたしはあの人に何度も殺されている。小人たちもそのまきぞえになったの。あなたが王子であろうと、じゃま立てすれば容赦なくかかってくると思うわ」
「なるほど、それはちょうどいい」
白雪姫は耳を疑いました。
「あなた正気なの?」
「おっと、今のは失言だった」
王子はあごをおさえました。
「そのような極悪非道な人間を放っておくわけにはいかないな。そのうえ、白雪の命が狙われているとあってはなおさらだ。これはもう、刺しちがえてでも止めなければならない!」
「ごめんなさい。とても本心から言っているとは思えないわ」
王子はきまり悪そうに肩をすくめました。
「実はわたしの母が、若い女の肝をご所望でね。食べるといつまでも若々しく、美しいままでいられるという迷信を信じているんだよ」
「まあ、なんて怖ろしいことを!」
「わたしも父上とともになだめようとしたのだが、まったく聞き入れない。それどころかいっそう意固地になって、肝を手に入れるまでは何も口にしないと言っているんだ。そこで、ちょっと遠出して山の方でイノシシでも狩ってごまかそうとしていたところだったんだが……」
「ちょうど若い娘が死んだといううわさを聞いたわけね」
「ああ。里の人たちをだましたのは悪かったと思っているよ。母上が満足したら、丁重に葬るつもりだったんだ。そこは信じてほしい」
「どっちだってわたしには大差ないわよ」
そこで白雪姫はハッと息をのみました。
「もしかして、お母様を殺して肝を取りだそうと考えているの?」
「君の話が本当なら、あの女は大罪人だ。まずは捕らえて裁判にかける」
「でも、結局は狙っているのよね?」
「……最終的にどうするかはわが国の法と母上にゆだねる」
王妃様は白雪姫が知っているだけでも8人殺しています。死罪はまぬがれないでしょう。
「たしかにお母様はまだ若くてきれいだけれど、そんな話簡単に受け入れられないわ」
「だろうね。しかし放っておけば、君は命を狙われつづけるぞ?」
「わたしに、お母様と話をさせてくれないかしら」
「だめだ。さっき君を無事に国へ連れて帰ると約束したばかりじゃないか」
「大丈夫よ。わたしにはお守りがあるから」
白雪姫は服の中から茶色の小びんを取りだしました。
「小人の長命薬よ。もしものときは飲ませてちょうだい。それでも生き返らなかったら、あなたのお母様に肝臓でもなんでも差し上げて」
王子はあまり気が進みませんでしたが、しぶしぶ小びんを受け取りました。
「わかった。だが彼女が怪しい動きをしたら、遠慮なく割って入らせてもらう」
「ありがとう」
白雪は王子にあたまを下げました。
王子は腰に剣をぶら下げ、馬車を止めさせました。
白雪姫は、懐にもうひとつ隠し持ってした紫の香水びんをにぎりしめました。
「王子様、どうかお聞きください! 白雪という娘は恐ろしい災いのもとです。死んでいようが、生きていようが、王子様の身に黒い影を落とします。王子様、どうかお聞きください!」
王妃様はよく通る声で何度も叫びつづけました。すると、しばらくして馬車の一隊が止まりました。
王妃様がかけよって馬から降りると、王子が従僕とともに馬車から出てきました。
「さきほどから騒がしくしているのはお前か?」
王子が訪ねると、王妃様はうやうやしくひざをつきあたまを下げました。
「ご無礼をお許しください。しかし、どうしてもお伝えせねばならないことがあるのです。わたくしは、かの里に住む巫女です。以前あの白雪という娘を見かけたときに、非常に禍々しいものを感じ……」
「やめよ」
王子は言いました。
「そなたの正体はすでに知っている。白雪が、話があるそうだ」
従僕のうしろから白雪姫が進み出てきました。王妃様の目に、怒りの炎が灯りました。
「やはり生きていたのね」
王妃様は取り繕うのをやめました。
「お久しぶりです、お母様」
白雪姫は王妃様まであと一歩のところで止まりました。
王妃様は鼻で笑いました。
「たしかに、親子として面と向かうのは久しぶりね。今さら話すことなどないけれど」
「わたしにはあるわ、お母様」
白雪姫は握りしめていた手を開き、紫の香水びんを見せました。王妃様の目が見開かれます。
「お前、それはたしか……」
「お城にいたころ、わたしがお母様の部屋から盗んだ香水びんよ。本当は中身がなんなのかも知っているわ」
「だとしたら、なんだというのよ?」
白雪姫は、王妃様だけに聞こえる小さな声で言いました。
「わたしはお母様にこれ以上罪を重ねてほしくない。でも、お母様がよその国で殺されてしまうのもいや。わたしといっしょにお父様に許しを請いに行きましょう。さもなければ、わたしはこれを飲むわ」
「なにをばかなこと言っているの? 王様がわたしを許すはずないし、あなたが毒を飲んだところでわたしは痛くもかゆくもないわ。それこそ、わたしの望むところよ」
「本当に、心からそう思っている? わたしのことは、ただ邪魔でしかない?」
王妃様の瞳が揺れましたが、それはほんの一瞬のことでした。
「ええ、そうよ。わたしはあなたが生きていると、幸せになれない」
「わたし、死んでいるときに夢を見たの。お庭でいっしょに手をつないでいたときのことよ。幸せだった……」
白雪姫は香水びんを胸の前に掲げました。
王妃様の中にも、そのときの記憶がよみがえりました。
庭のりんごの木を指さし、いっぱい食べたいねと笑う小さな白雪姫……
「もう一度あれが現実にならないかと思ったの。でもやはり、夢で見るしかないようね。さようなら、お母様」
白雪姫は香水びんに口をつけました。
「おやめ、白雪!」
王妃様は黒衣の内側で握っていたナイフを投げ出し止めようとしましたが、間に合いませんでした。白雪姫はびんの中身を一気に飲み干すと、その場に崩れ落ちました。血の気が失せ、みるみる体温が下がっていきます。
「白雪、すぐに吐き出しなさい! 白雪ったら!」
王妃様は無我夢中で白雪姫を揺り動かしましたが、白雪姫が答えることはありませんでした。王子も臣下たちもどうすることもできず、王妃様の声が枯れてなくなるまで立ち尽くしました。




