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辺境の月姫は、今日ものんびり人を救う  作者: 八咫


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7.クレーデン王国



――王都というのは、つくづく騒がしい場所だ。


人が多く、声が多く、思惑が多い。


五日間、山の静けさの中にいたラルスには、


その騒がしさが、かつてより少しだけ、余計に感じられた。




◇ ◇ ◇




王都クレーデンの正門をくぐったのは、山を下りて三日後の昼過ぎだった。


城壁の内側は、いつも通りの喧騒に満ちていた。市場の呼び込みの声、馬車の蹄の音、石畳を行き交う人々の足音。どれもが重なり合って、一つの大きな塊になっている。五日前まで当然だと思っていたはずのその音が、今は少しだけ遠く聞こえた。


ラルスは目立たないよう、商人の多い通りを選んで歩いた。王子の身分を隠して山に入った以上、帰還も密やかにするのが筋だ。馬は山の手前で預けてきたから、今は徒歩だ。それがかえって都合よかった。


城の裏門に回り込んで、番兵に目配せをする。顔見知りの兵だ。驚いた顔をしたが、余計なことは言わずに扉を開けてくれた。


城の廊下は冷えていた。石の床、高い天井、等間隔に並ぶ燭台。すべてが整然としていて、美しく、そして少しも温かくない。


――帰ってきた。


そう思うのに、どこか他人事のような感覚があった。


角を曲がったところで、鉢合わせた。


「ラルス様!」


声を上げたのは、二十代前半の青年だった。栗色の短髪に、真面目そうな顔。騎士の制服をきちんと着こなしている。ラルスの側近、セイルだ。


セイルはラルスを頭の天辺から足先まで素早く確認して、それから深く息を吐いた。


「ご無事で……本当に、ご無事で」


「心配をかけた」


「心配、などという言葉では足りません。十日間、どこにいらしたのですか。黒霊廟山に向かわれたとは報告を受けていましたが、その後は消息が途絶えて……」


「山の中だ。入ったら出られなくなった」


嘘ではない。ただし理由が違う。


セイルはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、廊下で話す内容ではないと判断したのか、ひとまず口をつぐんだ。


「……まず部屋へ。詳しい話はそちらで」


「ああ。それと、今俺が帰ったことは、誰にも言うな」


セイルがわずかに目を細めた。


「……アルゼード殿下への配慮、ですね」


ラルスは答えなかった。答えの代わりに、廊下を歩き始めた。セイルが後に続く。


石の廊下を歩きながら、ラルスは考えていた。十日間の不在で、どれだけの状況が変わったか。セイルの顔には、ただの心配以上の何かがあった。報告すべきことが、あるのだろう。


そして、その報告が、おそらく良い内容ではないことも、わかっていた。




◇ ◇ ◇




部屋に入ると、セイルは扉を閉めてから、改まった顔になった。


「ラルス様がご不在の間に、いくつか動きがありました」


「聞かせろ」


ラルスは椅子に座った。久しぶりにちゃんとした椅子だ。山の小屋の木の椅子より、ずっと立派なはずなのに、なぜかあちらのほうが居心地がよかったという事実は、今は考えないことにした。


セイルが一枚の書類を取り出した。


「まず、黒霊廟山周辺への王国調査団の派遣が、アルゼード殿下の名で上申されました。現在、国王陛下が検討中です」


ラルスは表情を変えなかった。だが内心では、速く動いた、と思った。


兄王子・アルゼード。第一王子にして、現在の王国内で最も多くの派閥を握る男。温厚な笑顔と巧みな弁舌の持ち主で、宮廷では人望が厚い。だがその笑顔の奥に何があるかを、ラルスはよく知っていた。


「調査の名目は」


「瘴気の流出被害の確認と、辺境地の安全調査、とのことです。ただ――」


セイルが少し声を低くした。


「アルゼード殿下の側近、カルナ卿が別途動いている情報があります。表の調査団とは別に、独自に黒霊廟山の情報を集めているようで」


――カルナ。アルゼードの右腕で、王国内でも指折りの術師だ。瘴気や封印の類に詳しい。


ラルスの手が、机の上でわずかに動いた。


――もし山の封印の存在が知られれば、それを制御しようとする者が必ず出る。あの封印の規模と精度は、軍事的にも政治的にも、途方もない価値を持つ。


――そしてその封印を維持しているのが、一人の少女だと知られたら。


ラルスは静かに息を吐いた。


「調査団の派遣は、いつ決定する」


「早ければ、二週間後かと。陛下がお体の優れない日が続いていて、上申への返答が遅れている状況です」


「父上の体は」


「侍医によれば、大事には至らないとのことですが……ご心配の向きは当然かと」


セイルの言葉は慎重だった。王の体調が優れないということは、つまり、後継者の問題が水面下で動き始めるということでもある。アルゼードがいま積極的に動いているのも、無関係ではないだろう。


ラルスは立ち上がった。


「わかった。今夜中に整理する。セイル、俺の帰還は明朝まで伏せておいてくれ」


「承知しました。ですが、ラルス様」


セイルが少し迷う顔をした。


「……黒霊廟山で、何かありましたか」


ラルスはセイルを見た。


「何かとは」


「目が、少し変わった気がしまして。悪い意味ではなく……なんといいますか、以前より、少しだけ」


セイルは言葉を探した。


「……温かい気がします」


ラルスは少し間を置いてから、


「気のせいだ」


と言って、窓の外に視線を移した。


セイルはそれ以上聞かなかった。





◇ ◇ ◇





翌朝、ラルスは正式に帰還の報告をした。


父王との謁見は短かった。王はここ数ヶ月で、目に見えて老けていた。以前は背筋の通った威厳のある人だったが、今は玉座に座っていても、どこか体が沈んでいる。それでも眼光は鋭く、ラルスを見る目に濁りはなかった。


「無事であったか」


「はい。ご心配をおかけしました」


「黒霊廟山の調査、結果は」


ラルスは一瞬だけ、間を置いた。


「瘴気の流出は、季節の変動による自然な揺らぎによるものと判断いたします。山の構造上、一定の周期で外部への漏れが発生しますが、現時点では人的被害を及ぼす規模ではありません。詳細な調査団の派遣は、費用と危険に見合わないかと」


すらすらと、よどみなく言った。


嘘ではない。瘴気の流出は確かに自然な揺らぎだ――リヴが封印を修復したあとは、なおさら問題ない。そして調査団が費用と危険に見合わないというのも、本当のことだ。あの山に大勢の人間を送り込めば、大半は帰ってこられない。


ただし、封印の存在も、リヴの存在も、一言も言わなかった。


王はしばらくラルスを見ていた。


「……そうか」


それだけ言って、視線を書類に落とした。ラルスは一礼して、謁見の間を出た。


廊下に出た瞬間、背後から声がかかった。


「やあ、ラルス。無事で何よりだ」


聞き慣れた声だった。


ラルスは振り返った。


廊下の奥から歩いてくるのは、黄金色の髪をした男だった。ラルスより五つ年上、二十六歳。顔立ちはラルスと似ているが、印象が違う。ラルスが翳りを持つとすれば、この男は光を持つ。近づきやすい笑顔、柔らかな物腰、誰にでも好かれる話し方。


第一王子、アルゼード。


「兄上」


ラルスは穏やかに返した。声に感情を乗せないのは、幼い頃から習慣になっていた。


アルゼードはラルスの隣に並んで、一緒に廊下を歩き始めた。自然な動作だった。まるで兄弟が仲よく話しているように見えるだろう。


「黒霊廟山の報告、父上にしてきたのか?」


「はい」


「どうだった。あの山、やはり危険か」


「調査団を送るほどではないと進言しました」


アルゼードは少し間を置いた。その間が、ほんの一瞬だけ、笑顔の下の何かを滲ませた。


「そうか。それは残念だな。俺は、あの山に興味があってな」


「どのような興味でしょうか」


「あれほどの規模の瘴気が、なぜあそこだけに留まっているのか。辺境の学者たちが長年解明できていない謎だろう。何か仕掛けがあるとしたら、非常に価値のあるものになりうる」


ラルスは正面を向いたまま、歩き続けた。


――やはり、知っている。あるいは、気づいている。


アルゼードはカルナを通じて、すでに何らかの情報を掴んでいるのかもしれない。封印の存在まで知っているかどうかはわからないが、「何かある」という感触は持っている。


「俺が調査した限りでは、特別な仕掛けは見当たりませんでした。山の地形と瘴気の流れが、偶然うまく噛み合っているだけかと」


「ふうん」


アルゼードは笑顔のままだった。


「まあ、いい。お前が言うなら信じよう。それより、久しぶりに夕食でも一緒にどうだ。話したいことがある」


「喜んで」


ラルスは笑顔で答えた。感情のない笑顔だったが、アルゼードは気にした様子もなく、では夜に、と言って廊下の向こうへ去っていった。


その背中を見ながら、ラルスは一つだけ確かめた。


――信じていない。アルゼードは俺の報告を、一言も信じていない。


――それはつまり、動きを止めるつもりもない、ということだ。


ラルスは廊下の窓から、王都の空を見上げた。晴れていた。山の空より、ずっと明るく、ずっと青い。


なのに、なぜかあちらのほうが好きだった。霧がかかっていても、瘴気が漂っていても。





◇ ◇ ◇





夕食は、城の小広間で行われた。


アルゼードの隣には、その側近であるカルナが座っていた。三十代半ば、細い顔に鋭い目をした男だ。術師の証である銀の耳飾りを両耳につけていて、物静かだが、その静けさは無害さとはまるで違う。観察している、という種類の静けさだ。


料理は豪華だった。七皿のコースに、王都の上等な葡萄酒。ラルスはそれを味わう気分にはなれなかったが、顔には出さずに食べた。


話題は最初、他愛のないものだった。宮廷の噂、隣国との外交、今年の収穫の見通し。アルゼードは話が上手いので、会話が途切れることはない。


四皿目が運ばれてきたころ、アルゼードが口調を変えた。


変えた、といっても、声の調子は変わらない。笑顔も変わらない。ただ、話の重さが変わった。


「ラルス、父上のお体のことだが」


「はい」


「侍医からは大事ないと聞いているが、俺は楽観していない。来年の春までに、後継の問題を整理しておく必要がある」


ラルスはグラスを置いた。


「それは、陛下が決めることかと存じます」


「もちろん。ただ、お前にも覚悟だけはしていてほしい。どちらに転んでも、混乱が起きないように」


どちらに転んでも、という言葉は、ラルスが次期王になる可能性を一応残した言い方だった。だが実際の意味は違う。俺の邪魔をするな、という意味だ。


――アルゼードの真意はわかりやすい。自分が王位を継ぐことを既定路線として動いており、ラルスに静かに退いてほしいと言っている。


カルナが、ここで初めて口を開いた。


「ラルス殿下は、今後の動きについてはどのようにお考えですか」


柔らかい声だった。だが、質問の芯は硬い。


ラルスはカルナを見た。カルナは笑っていた。口元だけで。


「王国の平穏が続くよう、できることをするつもりです」


「それは、具体的には」


「具体的な話は、時機を見て」


カルナは頷いた。表情は変わらなかった。


アルゼードが話題を変えた。また笑顔に戻って、今度は王都の劇場の話をした。先週上演された新作が良かった、次はぜひ一緒に見に行こう、と言った。


ラルスは相槌を打ちながら、考えていた。


――カルナが動いている。黒霊廟山の情報を集めている。時間がない。


――調査団の派遣を止めるためには、父王に対する別の理由付けが必要だ。費用対効果の話だけでは、アルゼードが別の角度から押してくる。


――辺境の防衛上の理由を立てるか。それとも学術的な調査の不要性を証明するか。


思考しながら、ラルスは葡萄酒を一口飲んだ。


良い酒だった。だが、リヴが作った薬草茶のほうが、なぜかずっと印象に残っている。苦いのに、あとを引く味だった。


――今ごろ、何をしているだろうか。


思考の端に、銀の髪がちらついた。ラルスはすぐに追い払って、アルゼードの話に戻った。





◇ ◇ ◇





夕食が終わり、部屋に戻ったラルスは、机に向かった。


書類が積まれていた。不在の間に溜まったものだ。セイルが整理してくれているが、それでも相当な量だ。


一つ一つを開いて、確認していく。国境の警備報告、辺境の税収記録、隣国との書簡の写し。どれも目を通すべきものだ。


山の中では、こういうものを何も考えずに済んだ。


――薬草を刻んでいた。あれは、思ったより難しくなかった。


ラルスは書類を読みながら、ふと思い出した。台所でリヴと並んで作業した午後のこと。二人分の気配がある台所は、思ったより居心地がよかった。


書類の山の中に、一枚だけ、自分の手書きのものが混じっていた。


山での観察メモだ。帰りの道中、宿で書いたものだ。瘴気の流れ、封印の概要、魔物の種類と分布。報告書を作るつもりで書いたものだったが、今はそれを書類の山の一番下に押し込んだ。


誰にも見せない。どこにも提出しない。


ラルスは書き物机の引き出しを開けて、その紙を一番奥にしまった。そして鍵をかけた。


――握りつぶした、ということになる。


――騎士として、正しい行為ではないかもしれない。


――それでも。


ラルスは机の端を指先でなぞった。鍵を握ったまま、しばらくそのままでいた。


あの山のことを王国に知らせることが、正しい選択である世界線というのが、果たしてあるだろうか。封印の管理者が一人の少女だと知れれば、彼女は保護という名目で連れ出される。あるいは利用という名目で縛られる。いずれにせよ、あの山の縁側で星を見ていた日常は、二度と戻らない。


それは、あってはならないことだと思った。


ラルスは窓を開けた。夜の王都が広がっていた。無数の灯り、遠くの市場の名残の声、城壁の向こうに続く民の家々の明かり。すべてが動いていて、すべてが騒がしかった。


視線を上げた。星が見えた。


ルアの星が、正北の方角にある。今夜も変わらず、そこにある。


――あの山の方角は、南だ。


ルアの星を基準にすれば、黒霊廟山がある方角がわかる。ラルスは自然と、そちらに視線を向けた。夜の暗さの中に、山の輪郭は見えない。遠すぎる。


でも、ある。確かにある。





◇ ◇ ◇





翌日から、ラルスは動き始めた。


まず、父王の侍医に接触した。王の体調の詳細を把握するためだ。次に、辺境担当の文官に会った。黒霊廟山周辺の行政記録を調べるためだ。そして、自分の派閥の貴族数名と個別に話した。アルゼードの調査団派遣上申に反対票を投じてもらうための根回しだ。


どれも、ラルスが得意とする種類の仕事だった。感情を表に出さず、正確に情報を読み、適切な人間に適切な言葉をかける。王子として育てられた十数年間で身につけた技術だ。


三日目の夜、セイルが報告を持ってきた。


「アルゼード殿下の調査団派遣案、国王陛下の判断が保留になりました。費用対効果の審議を改めて行うとのことです」


「そうか」


「ラルス様の根回しが効いたようです。辺境担当の文官たちから、費用の問題点を指摘する意見書が複数提出されたとのことで」


「文官たちが自分で考えた意見だ。俺は何もしていない」


セイルは苦笑した。


「……左様でございますね」


ひとまず、時間は稼げた。だがこれで終わりではない。アルゼードは別の角度から押してくる。カルナの動きも止まっていないはずだ。


ラルスはセイルに書類を渡した。


「カルナの動向を、引き続き追ってくれ。特に、黒霊廟山に関連する情報収集の動きがあれば、すぐに報告を」


「承知しました。ところで、ラルス様」


「なんだ」


セイルが、書類を整えながら、少し遠慮がちに言った。


「黒霊廟山に、何かいるのですか」


ラルスはセイルを見た。


セイルは視線を書類に落としたまま、続けた。


「お守るべき何か、あるいは誰か、がいるから、ラルス様がこれほど動いているのだろうと思いまして。見当違いならば申し訳ありません」


ラルスは少し間を置いた。


「……山がある」


「山」


「あの山は、今のままでいい。それだけだ」


セイルはしばらくラルスを見て、それからゆっくりと頷いた。


「……わかりました。引き続き、お力になります」


それ以上は聞かなかった。セイルはそういう男だ。聞くべきでないことは聞かない。だがひとたび動くと決めたら、誰より信頼できる。


ラルスは、それだけでも、十分だと思った。





◇ ◇ ◇





王都に戻って五日目の夕方、ラルスは書店に立ち寄った。


特に目的があったわけではない。城を抜け出して、少し歩きたかっただけだ。平民の格好に着替えて、目立たないように。


王都の書店は広い。学術書から物語本まで、何でも揃っている。ラルスは棚の間をゆっくり歩きながら、背表紙を読んだ。


そして、足を止めた。


一冊の本が目に入った。


『夜空の案内図――クレーデン王国全土から見る星座と星の名前』


厚みのある本だった。表紙に星図が描いてある。ラルスはそれを手に取って、開いた。


丁寧な図解で、星の名前と位置、見える季節、航海や農業での利用法が記されていた。子どもでも読めるように、説明が平易だった。


――これなら、喜ぶかもしれない。


ラルスは本を閉じた。


そして、気づいた。


――俺は今、あの少女のために本を選んでいる。


それが自然な流れで、まるで当たり前のことのように、手が動いていた。


ラルスはその本をカウンターへ持っていって、代金を払った。店の主人が、「良い選択です、星の図鑑は人気で」などと言っていたが、ラルスはあまり聞いていなかった。


書店を出ると、夕暮れの王都が広がっていた。石畳が橙色に染まっていて、人々が行き交っている。誰もが忙しそうで、誰もが何かを急いでいる。


ラルスは本を脇に抱えて、城へ向かって歩いた。


次にあの山へ行けるのは、いつになるだろう。アルゼードの動きを封じるのに、どのくらいかかるか。一ヶ月か。二ヶ月か。それより先になるかもしれない。


――長くなりそうだ。


――その間、リヴは一人で、山で、薬草を摘んでいる。


それはいつも通りのことで、ラルスが来る前からそうだったのだから、別に変わりはない。


なのに、それがわかっていても、胸のどこかに引っかかるものがあった。


脇に抱えた星の本が、歩くたびに少し揺れた。





◇ ◇ ◇





その夜、ラルスは久しぶりに夢を見た。


山の夢だった。


霧の中の木立、青みがかった雨粒、縁側から見た夜空。そして、銀の髪が風に揺れている後ろ姿。


夢の中でリヴは、空を見上げていた。指先でカレイアの三つ星をなぞるように、ゆっくりと動かしている。


ラルスが声をかけようとしたところで、目が覚めた。


天井があった。王都の天井だ。木彫りの精霊はいない。


ラルスはしばらく天井を見ていた。


夢に見るほど、考えていたのか。それとも、考えていなくても夢に出てくるほど、頭の中にいるのか。


どちらでも、結論は同じだった。


――俺は、あの少女のことを、放っておけない。


ラルスは起き上がって、机の上に置いた星の本を手に取った。月明かりで、表紙の星図がうっすらと見えた。


早く持っていきたい、と思った。


それが、今この瞬間、自分の中で一番正直な気持ちだった。


王都の夜は深く、城の中は静かだった。廊下の向こうで衛兵が歩く音がして、それが遠ざかった。


ラルスはもう一度横になって、目を閉じた。


今度はもう、夢を見なかった。


ただ、眠りに落ちる前の一瞬に、ふと思った。


――行ってらっしゃい、という声が、まだ耳に残っている。


――それはつまり、帰ってくることを、あの少女は信じているということだ。


――ならば、帰らなければならない。約束だから。それだけだ。


――それだけだ、と、ラルスはもう何度目かもわからないその言葉を、自分に言い聞かせた。




こんにちは。八咫です。

人生で初めて小説にチャレンジしています。

誤字脱字なども多々あるかもですが、暖かい目で見守っていただけますと幸いです。


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