第八話 アキリ
俺がベッド代わりにしていた古毛布の上に、見知らぬ小柄な人影が丸まっていた。
何者かは知らないが、いい度胸をしている。俺は腰のナイフに手をかけ、音もなくゆっくりと近づく。
屋根の隙間から差し込む月光を受けて輝く、見たこともないほど美しい銀色の長髪。
女? それも子供がひとりでこんな所に?
「おい」
俺の呼び声に合わせ、その子が長い睫毛を震わせ、ゆっくりと瞳を開ける。
「ん……」
暗闇の中でもはっきりと分かる、吸い込まれるような紅い瞳が、俺を真っ直ぐに捉えた。
「……誰?」
怯えて逃げ出すかと思ったが、ぽつりと呟くとゆっくり身を起こす。
その動きからは全く危機感が感じられない。こいつ、今までどうやって生きてきたんだ?
「俺はアルトラ。お前は?」
「ぼくは、アキリ」
驚いたことに、声と話し方からすると男のようだ。
「……ここは俺の家だ」
「ごめんなさい。誰もいないみたいだったから、空き家だと思って……勝手に入っちゃった」
コシコシと目を擦りながら、気の抜けた返答を返してくる姿に、流石の俺も毒気を抜かれる。
「ごめんなさい、すぐに出ていくね」
ふらふらとした足取りで出ていこうとするアキリ。こいつが夜のスラムをうろついて、五体満足でいられるとは到底思えない。
俺とは関係ない。だが、自然と言葉が口をついて出た。
「待て。出ていけという訳じゃない。ここに居たいならそれでもいい」
「本当? ありがとう!」
弾けるような笑顔。それだけ見ると女にしかみえない。
少しの携帯食料を分けてやると、大して美味くもないだろうに嬉しそうにはぐはぐと噛んでいる。
その時、小屋の扉が外から遠慮がちにノックされた。
「アルトラさん。いるかい?」
外に出ると、暗がりの中に一人の男が立っていた。ロッソの下で小間使いをしていたジミーだ。落ち着きなく目をしきりに動かしている。
「失せろ。お前のくだらない話に付き合ってる暇はない」
「冷たい事言うなよ。ロッソの野郎が死んで、この辺りのショバ代の集金がストップしてるんだ。回収に『顔役』として立ち会ってくれないか?」
ジミーは周囲を気にするように声を潜め、ニヤリと黄色い歯を見せた。
「テレーゼ様がバックについてるってのは、もう皆知ってる。俺の横に立って睨みを利かせるだけでいいんだ。誰も逆らえねえよ。集めた金は山分けだ。悪くない話だろ?」
他人の威光を笠に着て小銭をせびり取る。いかにもスラムの小悪党が考えそうな、底辺のビジネスだ。
だが、ここでは金になるなら選り好みしていられない。
「……わかった。その仕事、受けてやる」
俺の答えに、ジミーの顔がパッと明るくなった。
「本当か!? 流石だぜアルトラの旦那!」
「今日は疲れてる。具体的な話は明日にしろ」
「わ、わかった、明日また来る! 期待してるぜ!」
馴れ馴れしい。俺が露骨に眉をしかめて見せると、不穏な空気を感じ取ったジミーは早口で告げ、逃げるように去っていった。
小屋に戻ると、アキリが不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたの?」
「ああ、仕事の話だ。そうだな……お前もついてくるか?」
「いいの? ぼく、頑張るよ!」
仕事の役に立つとは思えないが、俺と一緒に居る所を印象付けておけば、手を出されにくくなるだろう。
――
翌日。埃っぽいスラムの市場で、ジミーを先頭にして、俺とアキリは立ち並ぶ露店やバラックの間を歩いていた。
「へへっ、アルトラの旦那が後ろにいるってだけで、皆ビビり上がってやがる」
ジミーの言う通り、俺の姿を見た連中は蜘蛛の子を散らすように道を開けた。俺の隣を歩くアキリに奇異の目を向ける者もいたが、俺がひと睨みすると慌てて目を逸らす。目論見通り、これでこのスラムでアキリに手を出す馬鹿はいなくなるだろう。
「おう、親父! 溜まってるショバ代、回収に来たぜ」
ジミーがふんぞり返って声をかけたのは、ガラクタを山積みしたジャンク屋だった。
脂ぎったハゲ頭の店主は、俺をチラリと流し見ると。奥から小箱を持ち出してきた。
「せ、先月の前借り分の利子と、場所代の基本料金、ツケの分を差し引いて、と」
店主はもっともらしい計算をしてみせて、数枚の札と小銭をジミーの手に握らせた。
「チッ、これっぽっちかよ……」
ジミーが不満げに金を受け取ろうとした、その時だった。
「ねえ、計算がおかしいよ?」
俺の後ろで大人しくしていたアキリが、ひょっこりと顔を出した。
「あぁ? なんだ! このガキ!」
店主が顔をしかめるが、アキリは全く動じることなく、澄んだ声で告げた。
「先月の前借りが三百、その利子が二割で六十。基本料金が千で、ツケの相殺分を引いても、あと二百四十足りないよ。おじさん、誤魔化そうとしてるでしょ」
その場にいた全員の動きが止まった。
ジミーは目を丸くして手元の金とアキリを交互に見比べる。店主は図星を突かれたのか、顔からスッと血の気を引かせた。
スラムの住人は計算の細かい所まで理解できていないことが多く、そこにつけ込んで誤魔化そうとする者も少なくなかった。アキリはその不正を一瞬で見抜いたのだ。
「て、てめえ……! 適当なこと言ってんじゃ――」
逆ギレした店主がアキリに掴みかかろうとした瞬間、俺は無言で一歩前に出た。
「……ロッソの後釜がガキだからって、甘く見ているようだな?」
俺が低く囁くと、店主はガチガチと歯の根を鳴らし、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ひっ……! す、すまねえ! 出来心だったんだ!」
この手の舐めた輩が続かないように、見せしめにする必要がある。
俺は店主の胸倉を鷲掴みにすると、鼻面へ容赦なく一発くれてやった。
ドチュッ、と鈍い音が響き、鼻血が吹き出す。
「ひいいいい!」
頭を抱え、亀のように丸くなった店主の背中を踏みつけたが、ロッソの時のような高揚感は無かった。




