第五話 審判の日
「ガハハハ! 痺れて動けねえか! 楽にしてやるよォ!」
頭上で、処刑人が凶悪な笑い声を上げながら、両手のガントレットを高く振り上げた。そのまま、俺の頭をスイカのように叩き割るつもりだ。
その瞬間、麻痺していた体に、痛みが駆け抜けた。
本来ならばそれは地獄の時間だが、今はその痛みこそ俺の手足を認識する導となった。
闘技場に、爆発音のような轟音が響き渡り、もうもうと砂埃が舞った。
歓声を上げていた観客たちが、一斉に息を呑み、静まり返る。
「……なんだと!?」
巨漢の顔から笑みが消え、信じられないものを見るような驚愕の表情が張り付いた。
全体重を乗せて振り下ろされた鋼鉄のガントレットは、俺の残像だけを叩き潰し、足元の砂利にすり鉢状の巨大なクレーターを作っていた。
「この野郎! なんで動ける!」
苛立ちと驚きが、巨漢の動きを雑にさせた。大きく横薙ぎ振られた腕をかいくぐると、無防備な腹が目の前にあった。
「……こっちの番だぜ」
俺は弾かれたバネのように大地を蹴り懐へと潜り込むと、腰から抜き放ったナイフの刃が、スルリと吸い込まれるように巨漢の肋骨の間へと消える。
「あ?」
何をされたのか理解できず戸惑いの声を上げた男が、自分の腹に異物が突き立っている事に気がつく。
「やめ……」
命乞いを聞くつもりはない。そのまま肋骨に添わせて刃を振り抜いた。
「ぐあああああ!」
血飛沫を撒き散らし、二メートル超えの巨体がたたらを踏む。
俺はそのまま背後に回ると、背中からナイフをもう一度突き立て、捻り上げた。
ビクリ、と短く痙攣すると、男の巨体が糸の切れた人形のようにドサリと崩れ落ちる。
完全な、沈黙。俺は血まみれになった拳を振り払いながら、ゆっくりと顔を上げた。
「おい、マジかよ……ッ!」
「あの『処刑人』が、あんなガキに……!?」
水を打ったような静寂は一瞬にして破られ、闘技場は熱狂とパニックが入り混じった狂騒のルツボと化した。
その喧騒の中、はるか頭上のVIP席を見上げると、あの借金取りが上役らしき男に床へ引き倒され、怒りに任せて何度も顔面を蹴りつけられているのが見えた。
どうやら、大穴を開けられて内輪揉めをしているらしい。ざまあみやがれ。
俺は一歩を踏み出そうとして――強烈な眩暈に襲われた。
「ガ……ッ、あ……!?」
先ほどの万能感が嘘のように消え去り、代わりに全身の細胞が内側から千切れるような『激痛』が襲いかかってきた。
毒を喰らい尽くし、強制的に肉体を編み直した代償。オーバーヒートした筋肉が悲鳴を上げ、視界がチカチカと明滅する。
スローモーションの世界は終わり、容赦のない現実の重力がのしかかってきた。ただ一歩、足を前に出すことすら、今の俺には地獄の責め苦に等しい。
それでも俺は壁にすがりつきながら、覚束ない足取りで換金所へと向かった。
ズリ、ズリと血まみれの足を引きずり、鉄格子の向こうにあるカウンターを叩く。
「……払戻金だ。出せ」
震える手で投げ出したのは、わずかな掛け金の札。だが『無敗の処刑人を瞬殺する』という大穴に賭けていたオッズは天文学的な数字に跳ね上がっている。
青ざめた顔の換金係が、震える手で分厚い札束の山を押し出してきた。これでしばらくは食うに困らない。
その重みを上着の懐にねじ込んだ、その時だ。
「……待てや、クソガキ」
背後から、ドス黒い殺意を含んだ声がかけられた。
振り返ると、そこには顔面を無惨に腫らし、鼻血を垂れ流した借金取りの男が立っていた。その後ろには、上等なスーツを着込んだふてぶてしい態度の男と、完全武装した屈強な護衛が二人。
「テメェのせいでこっちは大赤字だ。……その金、置いてけや」
借金取りの男が、折れた歯の隙間から血を吐き出しながら凄む。
護衛の二人が一歩前に出て、剣を抜いた。処刑人を殺した俺を前にしても余裕なのは、俺の足がガクガクと震え、立っているのがやっとの状態だと見抜いているからだ。
「ハッタリは通用しねえぞ。大人しく置いていくなら、命だけは助けてやらァ……」
全身の骨が軋み、指一本動かすのすら億劫な状態だ。
だが、俺は懐の札束から手を離さず、腫れ上がった借金取りの顔を真っ直ぐに睨み返した。




