13話。
逢魔時の蘇芳が渦巻く空の下、紅茶のベールに包まれたような草木を眺める。
闇に近づくことが出来ず、森から少し離れた低木の下で、リティシアは膝を抱えて座り込んでいた。
握り締めていた羽根は、力を入れすぎて地面に羽毛を落としている。
吹く風が木々を揺らし、時折鳴る音に顔を上げては、視線を探すように森へ向ける。
何度も繰り返し、それでもまだ帰ってこない同居人へ、理不尽な苛立ちが湧いた。
「遅すぎるんだ……折角迎えに来たのに」
勝手に来たのは自分なのに。
心配と孤独を誤魔化すように、リティシアは不服げに口を突き出し、空を睨んだ。
その時だった。
静寂の中に、風を切るような音と、高い位置で木々が揺れる音が響き渡る。
ハッと顔を上げ、音の方向へ目を向ける。
そして恐る恐る、声を上げた。
「ノナ……?」
森の奥から、こちらへ向かうように木々が揺れる。
飛び出す瞬間、葉がばらばらと舞い落ち、その中から黒い影が飛び出してきた。
一直線に空へ跳ね上がった影は、すぐに軌道を変え、リティシアの前へ落ちるように降り立つ。
「リ、ティ!?」
影が溶けるように、少しずつヒトの形を象っていく。
黒い液体のような影から腕が作り上げられ、そのままリティシアの肩を揺さぶるように掴んだ。
黒から現れた片側の眉を吊り上げた琥珀の瞳が、リティシアを睨み付ける。
何故ここにいるのか、と咎めるような視線に、思わず悪態をつこうと口を開いた。
「遅……ッ」
しかし。
影がすべて消え、全身が現れた瞬間、最後まで悪態が紡がれることはなかった。
片目は赤く充血し、その周りは青く腫れている。
出掛ける時と同じ衣服も泥だらけで、ぼろぼろだ。
身体中に痣が浮かび、小さな切り傷がいくつも散らばっている。
綺麗だと思っていた指先も、何本かの爪が剥がれ、痛ましい。
「何があった」
怒りや哀しみ、様々な感情が沸き上がり、眉間に強く力がこもる。
衝撃で息を呑んだからか、絞り出した声は掠れていて、低く、重かった。
「ッ、いや、そんな事よりここは危ないって」
「そんな事?」
己の現状を誤魔化そうとしているのか。
それとも、自分を軽視しているのか。
問いに答えず、まだこちらを咎めようとするノナに腹が立つ。
少し慌てた様子を見せながらも、なお目を吊り上げようとする相手を、リティシアは冷ややかな視線で睨みつけた。
「ねえ、ノナ。何が、あった?」
重く静かに。
わざとらしいほどゆっくりと、単語を区切って問い掛ける。
有無を言わせない声音だった。
それでも、ノナは下唇を強く噛み、目線を彷徨わせている。
その様子が、更にリティシアの怒りを増幅させた。
「……別に、大した事じゃ」
「大した事じゃない?」
被せるように冷たい声が落ちる。
リティシアは一歩、ノナへ近づく。
近付かれたことに、ノナは肩を震わせ、ほんの少し怯えた表情を浮かべた。
「その顔で?」
掠れた声だった。
「その手で?」
ノナの指先を見て、眉間に深く皺が刻まれる。
「それで、“そんな事”って言うの」
感情のまま、リティシアは手袋を嵌めていない手を取った。
瞬間、ジュ……と皮膚が焼ける音と痛みが走り、顔を歪ませる。
「リティ!!」
悲鳴に似た声を上げて手を引こうとするノナに負けじと、強く握り締める。
ノナの瞳が一瞬だけ揺れた。
それは痛みではなく、もっと別の何かに耐えるような揺れだった。
観念したように抵抗をやめて俯いたのを見て、リティシアは少し安堵の息を吐き、手を緩めた。
もうその手は焼けすぎて、あまり感覚がない。
「わかった、から……ちゃんと話すから。だから……手だけ離して……」
長い髪が垂れていて顔の表情は見えないが、雫が地面に落ち、小さな水たまりが出来る。
ぐす、と鼻を啜る音と共に、小さな声で絞り出すように話す言葉に、リティシアは手をゆっくり離した。




