10話。
暖かい部屋の中に、シチューの匂いが漂っている。
リティシアは、熱くなっている頬を片手で押さえながら鍋をかき混ぜる。その口からは、悪態がひっきりなしに零れていた。
「っるさい! わかったって!」
朝と同様、リティシアが料理をしようとした。しかし、ノナはそれを許さない。
一緒にやるって言ったのに……と恨みがましく見つめられ、お願いしたものだけやるという条件付きで、ふたりで作り出した。
そこまでは良かった。
先程の庭園で愛称呼びを許されたノナは、触れないようにしながらも、触れそうな程近い距離でまとわりついてくる。
「リティ。リティ」と何度も耳元で囁いては、嬉しそうに笑みを零すのだ。
ついに我慢ができなくなったリティシアは、木べらを放り出してノナを睨む。
睨まれてもなお、目を細めて嬉しそうに頬を緩めるノナ。口をぎゅっと噤み、睨みつけたままのリティシア。部屋には、鍋のコトコトという音が響いていた。
「…本当に、嫌だ」
痺れを切らし、固く閉じていた口を開いて零した言葉は、想像よりか細い。
そんなリティシアの声に、ノナは息を呑んだ。
「ご、めん! ごめんね、リティ」
「やだ」
「嬉しかったからいっぱい呼びたくて……。初めてだったから!」
つんと顔を背けても、ノナはその顔を追うように覗き込む。目一杯眉を下げて上目遣いで見てくるのを出来る限り視界に入れないように、リティシアは放り出した木べらを拾い、鍋へ視線を落とした。
琥珀の瞳が徐々に潤み、縁から雫が零れ落ちそうになるのが視界の隅に見える。
リティシアの嫌な気持ちに配慮しつつも、距離を縮められた嬉しさによって身体が勝手に動いてしまうのだろう。
きっと、そんなところだろうとリティシアも理解していた。
でも、今まで己を強く見せようと虚勢を張り、他人を近付かせないように関わらなかったリティシアにとって、過度なスキンシップはまだ早かった。
胸がきゅう、と締め付けられ、初めての感覚に戸惑い、脳がパンクしそうなほど熱くなるのだ。
リティシアに触れないように、近付きすぎないように。それでも、近くでそわそわと彷徨くノナの様子が視界の端に見える。
「〜〜ッもう! 黙ってられないのか!」
捨てられた子犬のようなノナに罪悪感が湧く。このまま放置してやろうと思っていたのに、思わずリティシアは叫んでしまう。
そのままノナの服の袖を乱暴に引っ張り、自身の腰に回すように手を導いた。
「り、リティ」
「黙ってろ」
背に触れる暖かい感覚。熱くなった顔に気付かないふりをして目を瞑り、わざとらしく背に体重を掛けた。
花と太陽と、薬草のような香りが鼻腔をくすぐる。
鍋の火を止め、ノナの胸元に後頭部をぐりぐりと押し付けたまま上を向いた。
「…いきなり過ぎるんだ。もう少し段階踏むとか……」
「ごめんね。でも本当に嬉しかったの。…リティのこと、困らせたかった訳じゃないんだ」
「…ふん。分かったならいい」
「ありがとう、リティ」
「ほら、出来たから…」
眉間にしわを寄せたまま目線だけをずらし、出来上がったシチューの入った鍋を指差す。
言いたいことを察したノナは、リティシアから名残惜しそうに離れると、くすんだミント色の陶器の皿にシチューを移していく。
少しだけ上機嫌になったノナの背中を見ながら、まだ熱い頬を手の甲で押さえ、リティシアは椅子に腰を落とした。
「はい。できたよぉ」
ノナは優しい笑みを浮かべ、リティシアの前に皿を置く。よそわれたシチューの上には、ご丁寧に香味野菜が飾られていた。
リティシアは食べられたら良いの精神で、盛り付けに拘ったりはしない。盛り付けをノナに頼んだのも、それが分かっていたからだった。
「ありがと」
スプーンを手渡され、少しだけ緩んだ頬に気付かれないよう、すぐに下を向いた。
満足そうに笑ったノナも向かい側に座る。
「こちらこそありがとう」
「別に」
まだこちらを見つめているノナに居た堪れなくなり、シチューとは別に置かれていたパンに齧り付く。
――感情のまま行動に移してしまうところも、また悪魔だな。
そう思いながら、頬杖をついた。




