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Lesson.9 『冷凍睡眠』

 はい、皆さんこんにちは……講師役を務めさせて頂くアイリス……なんですが……。


 あはは……死んじゃいましたね……「私」。「私」がここで命を落とすことを私は知っていました。これはトワの旅における必然だったから。だけど、本当はあの子を泣かせたくはなかった……。


 少し切ない出だしになってしまいましたが、気を取り直して今回のお話を進めますね。私はちゃんとここにいますから。

 そうだ、まず冷凍睡眠の前に……トワがあんな様子だからたぶん皆さんにお伝えできていないと思うので、「私」の事を少し説明しておきます。実は「私」、ヴェリザンで「クレナシス症候群」に感染していました。


 感染対策には気を配っていたつもりだったんですが、事態の急転でつい気を抜いてしまったのが良くありませんでした。思い返せば感染したのはおそらくメナと初めて対面した通信施設の前の出来事。私につかみかかってきた男がキャリアーだったのです。

 体調不良を疲労と誤認してしまっていた事、そして仮に感染しても冷凍睡眠すれば治療できるという思い込みがあったんです。迂闊ですよね、「私」。今にして思えば、ヴェリザンを出航する際に既に発症の予兆もあったんですけどね……。


 まぁ、今さら言っても手遅れですし、きっと「私」じゃなくて私でも同じ事になっていたとは思います。ですが「私」が命を落とすことになった直接の理由はクレナシス症候群ではありません。冷凍睡眠に入れば病原体が駆逐できるという話は事実でしたから。ではどうして「私」は命を落とすことになったのか……?それが今回お話しするテーマにも関係してくるんです。



 冷凍睡眠技術は私達の世界では比較的ポピュラーなものです。医療技術として、恒星間を渡る旅行の手段として。恒星間を渡る旅に必要な時間は長く退屈なものです。私達が初めて経験した恒星間航行は「比較的」近距離への旅でしたが、それでも体感時間で2ヶ月を要しました。航宙船の乗組員さん達にとって船旅は仕事であり生活そのものですが、私達旅客にとっては単なる「移動時間」でしかありません。そのため旅客の時間を節約する方法が2つ、用意されているんです。


 1つが今回お話しする冷凍睡眠。もう1つは低代謝薬と呼ばれる特殊な薬剤を使用して身体の代謝速度を極限まで鈍化させ、体感時間を緩やかにする方法で、停滞(ステイシス)フィールドの超長期バージョンのようなものです。低代謝薬は非常に高価な薬剤ですが、これを使えば安全に体感時間が1/10程度になるので、2ヶ月の船旅も6日程度の少し長い旅行に感じられる訳です。

 本来「私」が計画していたクレリス行きはペレジスでこの低代謝薬を使った客船に乗る予定だったんですが、諸々の理由で船に乗りそびれてしまったのが運の尽きでした。お金ですか?私はギルドの高位幹部ですし、トワもSランクのシンガーなので富豪とまではいいませんが、安全を買える程度の所持金はありました。けど、過ぎた時間はお金では買えなかった……という訳です。


 そしてもう1つの方法、冷凍睡眠による旅行――いえ、旅行と言うよりも荷物扱いで運ばれる運送、という方が適切かもしれませんね。凍結された乗客は食料も酸素も消費せず、時間経過も感じずに目的地に到着する事ができます。しかも冷凍ポッドの使用料金を除けば旅費は「貨物」扱いなので格安です。お金のない人がどうしても恒星間を旅しなければいけないときに利用する、リーズナブルな旅行手段。一見すると良いことだらけですが、実はこの航行法には1つ問題がありました。それは……今回の「私」のように。


 解凍蘇生に失敗するリスクがある。


 ということです。まさか身をもってそのリスクを立証する事になるとは思ってもみませんでしけど……。本編では描写されていませんが、実は冷凍睡眠で航行する際には乗船時にある誓約書を書くことになっています。その内容は――冷凍睡眠による航行は5~7%の確率で死亡を伴うことを理解した上で乗船します――というものです。つまり、100人が冷凍睡眠で航行すれば数名が命を落とす。それだけの危険性のある航行法なのです。


 ただしこの死亡確率は全乗客が一律で負うリスクではありません。例えば基礎体力の少ない人。極度に疲労している人。栄養状態の悪い人。高齢の人。連続して冷凍睡眠を行っている場合。冷凍睡眠期間が長期にわたる場合。そして……病に罹患している人。そういう悪条件が重なることで死亡率はどんどん高くなります。逆に言えばそれらの条件に該当しなければ死亡率は0%に限りなく近づきます。もちろん0%にはならないんですけどね。

 えっ、今回の「私」の死亡確率ですか?少なく見積もって54%、状況的にそれ以上だったと思います。「私」も知っていたはずなんですけどね、この数字。


「クレナシス症候群の致死率は劇的に……54%に低下した」


 エルドさんからそう教えてもらっていたので。クレナシス症候群の患者を冷凍睡眠で助けようとしても46%しか助からないんです。病は治癒できますが、発症後の体力減退状態では冷凍睡眠に耐えられない。しかも医療用の短期冷凍睡眠ではなく恒星間航行の長期冷凍でしたから……なので、それが「私」の死因なんです。

 今回「私」がどれだけ冷凍されていたか、ですか?ヴェリザンからクレリスまでの距離は約2.9パーセクなので、惑星上の時間だと9年半ぐらい、船内での経過時間だとだいたい5ヶ月ぐらいになると思います。

 ね、結構長く冷凍されてたでしょ?なので、おおよそ1/2の賭けに負けちゃったんです、"私"は。そのあたりの話はトワもプレストン船長から聞いてると思うんですが、なにぶん今のトワはあの状態なので……たぶん聞いても理解できていないか、耳に入っていないと思うので、代わりに私が説明した次第です。



 さて、自分の死因を語るのもあまり気の良い話ではないので、冷凍睡眠の話に戻りますね。

 まず冷凍睡眠を行うためには専用機材が必要です。本編では冷凍睡眠ポッドとかカプセルとか呼ばれているものですが、形状によって呼び方が違うぐらいで機能的には同じものです。通常は命のために時間を稼ぐ必要のある場所……救急救命とかの医療機関で使われるものなんですが、先ほどお話したように航宙船での航行にも利用されています。

 ポッドに入ると特殊な冷凍ガスによって内部は-196℃まで冷却され、同時に内部の人体の水分構造が変化して「ガラス化」現象を誘発します。この状態だと代謝が完全に止まるので長期間を「眠って」過ごすことが出来るという仕組みです。

 ですが-196℃では微小な化学反応が発生するためあまりにも長期間の冷凍睡眠を行うとDNAが損傷するリスクがあると考えられています。


 それなら絶対零度まで下げればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが……そうすると今度は蘇生時の成功率が下がるらしくて、結果として-196℃で運用するのが最もリスクが低いと判断されています。えっ、トワは千年以上冷凍睡眠していた……ですか?状況的にはたぶんそうだと思いますが、古代の設備がすごいのか、あの子が冷凍睡眠に対する耐性の強い体質なのか……そのあたりはまだ判りませんが、かなりのレアケースであることは間違いないですね。ほんとあの子ったら、異例ずくめなんだから。


 次にポッド内での服装についてですが、本編でも言及があったように冷凍睡眠専用のスーツ……コスモスーツみたいなものを着用する事を推奨されています。ただ、実際専用スーツを着ることで冷凍睡眠の事故確率を下げることができるかどうかは微妙らしくて、ポッドを製造している会社が収益目的で販売しているという噂も……。

 そもそも、航宙船で緊急事態に陥った時にいちいち専用スーツに着替えて冷凍睡眠ポッドへ入るなんて事できる訳ないですから、緊急対応時には薄手の服――例えばトワのTシャツ――であれば問題はないと冷凍睡眠ポッドの製造企業からも公式にアナウンスされています。服装に関する決まり事は皆さんの世界の「レントゲン」なんかを利用する際と似ているかもしれませんね。


 そしてポッド内への物品持ち込みについてですが、これは原則的に禁止となっています。なにせ極低温ですから、持ち込んだ物が壊れちゃいますし……。「私」もフォトンタブは外してましたよね。

 ただ、非金属製のアクセサリであれば持ち込んでも問題は無いそうです。"私"もトワから預かってた虹水晶のペンダントを持ち込みましたからね……。あ、ちなみに金属製だとどうなるかと言うと、金属と触れていた部分の皮膚が冷凍やけどのような症状になっちゃうんです。あのペンダント、水晶と革紐は非金属なんですけど、留め具が金属だったから……ほら、見てくださいよ……右手のここ、こんな感じに乙女の柔肌に痕が残っちゃうんですよ。


 あとは……「私」も言ってましたが、冷凍睡眠をしても代謝が止まっちゃうので睡眠とは名ばかりで疲労の回復はありません。そして脳の活動も止まっちゃうんですが……記憶については一時的な混乱はありますが、基本的には冷凍睡眠前後で連続性を持って覚醒することができます。

 意識の回復や記憶の連続性を取り戻す回復速度は人によって異なりますが前回冷凍睡眠を経験した「私」はトワより比較的早く回復していましたよね。そこはお姉ちゃんの貫禄というやつです。


 そして興味深い話なんですが、記憶と違って感情の方は冷凍睡眠によって一時的にニュートラルな状態に戻るという報告があるそうです。感情は脳内の化学変化によるものですから、その化学反応が停止することで感情も一時的に止まってしまうんでしょうね。

 ただ、感情の原因となった出来事は記憶に残っているので……時間と共に同じ感情が戻ってくることは避けられないようですが。……それでも一度キャンセルされた感情なので、どこか少し他人事のように感じられるらしくて、記憶に基づく感情が冷凍睡眠を繰り返す度にどんどん鈍っていく……という報告を見たことがあります。


 ……そう「私」の死で悲しむトワは冷凍睡眠を行う事で一時的に「悲しみ」を忘れることができるんです。でもあの子の記憶の中に「私」の死が残っている限り、悲しみは何度も訪れてしまう。あの子は優しすぎるから、たぶんずっと引きずってしまう。

 少しずつ悲しみが鈍りながら、それでもずっと悲しみ続ける……そんな苦しみにあの子は冷凍睡眠に対して救いを見いだしてしまうかもしれない。冷凍睡眠を繰り返すと蘇生失敗のリスクが高まります。だから……トワが冷凍睡眠依存にならないか、心配なんです。今の"私"じゃ、あの子に手を差し伸べてあげられないから。


 ……湿っぽくなっちゃいましたので今回のお話はここまでにしましょうか。ではまた次回お会いしましょう!


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