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59・アヤカ……

 完全に女性口調に戻ったブリギッタは、さらに批判を続けた。


「団長はウジウジウジウジ悩んで前に進まないし、アヤカを引きとめないし! アヤカはさっさと元の世界に帰っちゃうし! あんた達、本当に恋人同士らしくないわ……私は部外者だけれど、色々と心配になってくる」


 ユスティンは、神妙な顔でブリギッタの訴えを聞いている。


「……今までの僕の非は認めます。あの時は、アヤカのためと思い泣く泣く手を離したわけですが、そのあとの後悔は計り知れないものでした。もう二度とあんな思いはしたくない――今後、僕は何があっても、アヤカを元の世界に返しません」


 一方的な彼の言葉だが、アヤカはそれを聞いて、なぜか嬉しいと感じてしまった。

  結局、ユスティンはブリギッタの提案を受け入れることにしたようで、そのことを前提に二人の間で話が進んで行く。

 アヤカも意見を聞かれたが、反対する気はなかった。一人きりでこの世界を彷徨うより、ユスティンと一緒に、定住して暮らせる方が良いに決まっている。


「私も遊びに行くからね、アヤカ。女同士でお泊まり会なんて、楽しそうよね」


 そう告げたブリギッタは、またアヤカに抱きついた。

 女口調に戻ったせいか、いつものブリギッタと同じように感じられて、特に抵抗する気持ちは湧かない。


「……ブリギッタ、姑息な手を」


 ニコニコと笑みを浮かべたユスティンからは、懐かしい威圧感が感じられた。



 そして、数ヶ月後――


 アヤカとユスティンは、揃って辺境の地へ移り住んでいた。

 二人は、ブリギッタが所持しているグリモの牧場で働くことになったのだ。

 新設された牧場には、数人の従業員もいる。 

 その中で、アヤカは散歩と餌やりの係、ユスティンは経営責任者兼調教師をしていた。


「大丈夫ですか、アヤカ? グリモの散歩で随分遠くまで行っていたみたいですが」

「うん、一人だけ帰りたがらない子がいて、気がすむまで遊んであげていたんだ。途中で疲れて転んじゃった、私を疲れさせるなんてグリモはすごいよね」


 グリモは大変力の強い鳥だ。

 怪力のアヤカでもない限り、遠くまで散歩をさせたり遊んだりすることは難しい。

 ユスティンは、ため息をつきながらアヤカの足を見る。


「怪我をしているじゃないですか……手当てをするから、足を出してください」


 彼は洗い場にアヤカを連れて行くと、綺麗に足を洗い始めた。騎士であるユスティンは、簡単な怪我の手当ても得意らしい。


(ものすごく、恥ずかしいんだけど。足、クサいと思われたらどうしよう)


 いつもは臭おうがどうでも良い足が、やたらと気になった。


「アヤカの足は、小さくて可愛らしいですね。」


 本人の心の内など知らないユスティンは、見当違いの褒め言葉を口にする。


「この世界の女の人は、男の人にむやみに足を見せないって、ブリギッタが以前言っていたのだけれど……」

「問題ありませんよ、僕らは恋人同士ですから」


 ユスティンは、爽やかな笑顔を浮かべてそう答えた。


(そんなものなのかな?)


 真実はわからないが、彼が言うならそうなのだろう。

 幽獣退治の日々が嘘のように平和な毎日だ。他の従業員達との仲も良好で、ユスティンの腹黒さも普段は鳴りを潜めている。


 国のはずれに移り住んでから、アヤカは髪を伸ばし始めた。

 弟に劣等感を抱き、彼と同じになろうと努力をしなくとも愛されるということを知ったからだ。

 ユスティンは、ありのままのアヤカを愛してくれる。

 今のアヤカは、彼と二人で牧場の近くに住んでいた。

 ブリギッタから家を二軒分与えられているのだが、最近はユスティンがアヤカの家に入り浸りになっている状態だ。


「思ったよりもひどい怪我ですね……」

「大げさだよ。どうせ、すぐに塞がる」

「だめです、あなたの「大げさ」や「大丈夫」は当てにならない。アヤカは、放っておくとなんでもひとりで抱え混んでしまいますから……いくら拒まれても、僕だけは心配することに決めました」


 すぐに塞がる傷だというのに、ユスティンは丁寧に手当てをしていく。


(なんだか、むず痒くて恥ずかしい)


 大切にされているという事実が、痛いくらいに伝わってくる。

 それは、アヤカ自身が幼い頃から無意識のうちにずっと欲していたものだった。

 彼と一緒に暮らし始めたアヤカは、ようやくそれを自覚するに至ったのだ。


 穏やかな生活に、優しい恋人、頼もしい友人――アヤカは今、満たされている。


 実の家族に虐げられ、異世界に落とされ、追われ、ブラック職場に就職し、幽獣退治をさせられ……今までさんざん苦労をしてきたが、アヤカはこの世界が好きだった。


(それに、今はホワイトな職場で働いているし、優しい恋人もいる)


 アヤカ達の働く職場は、黒字だった。

 騎士団のように税金で動いているわけではなく、ブリギッタは育てたグリモを国や神殿や企業に販売することで手堅く儲けている。

 最近ではユスティンが、指導した調教師を、国内の各地に派遣する仕事も始めた。

 ブリギッタも、グリモを使った郵便事業も新しく始めるらしい。

 どうしてアヤカがそんな情報を知っているかというと、月に一度以上は必ずブリギッタがこの場所を訪れるからだった。

 女装姿の彼は必ずアヤカの家に押しかけ、その度にユスティンが出動し、結局三人で仲良く過ごすというのが恒例になっている。

 あれ以来、ブリギッタがアヤカの前で男性の姿を晒すことはなかった。


「アヤカ、どうしました?」


 考え込んでいたことに気がついたのだろう。

 ユスティンがアヤカの方を伺うように見つめている。ここで「なんでもない」と答えても、今の彼は納得しない。そのくらいには、ユスティンはアヤカのことがわかるようになっていた。

 だから、アヤカは正直な気持ちを彼に話す。


「今、幸せだなあと思って……感慨にふけっていたんだ」


 実際、今のアヤカは怖いくらいに幸せだった。

 この幸せがいつまで続くのかはわからない。赤い夜は百年間来ないので安泰だとしても、アヤカの正体が露見すれば……きっとこのままではいられない。


「思い悩んでいる風にも見受けられますが?」

「うん……不安なことは多いね。聖人だと皆にバレたらどうしようとか、私のことを知る人に見つかったらどうしようとか」

「そうですね、前者の場合は一緒に逃亡しましょう、後者の場合は僕が相手の口を封じますので心配要りません。ブリギッタも協力してくれると思いますし」


 それに、五十年くらいは大丈夫だろうとユスティンは言った。

 近隣諸国との仲はそこまで険悪ではないし、女王も好戦的な性格ではないそうだ。


「どこへ行こうと、僕はあなたについていきます。もう、二度と逃がしませんよ?」


 アヤカの恋人はこの数カ月で、なにかの境地に至ったようだ。

 今の彼は、以前のように遠慮してアヤカを手放すような真似はしないだろう。たとえ、アヤカがそう望んだとしても。

 それは、アヤカにとって、とても安心できることだった。

 洗い場付近から見える牧場の景色は、どこまでも広大でのどかだ。


(私、ここに来られて……この世界に残れて良かった。)


 見上げた空には、茜色の光が差し込み始めている。

 赤い夜から数ヶ月が経過した今、上空を覆っていた不気味な赤さは、もうどこにも残っていなかった。

 こうして、元の世界に帰れなかったアヤカは、ホワイトな職場の従業員兼、その職場の経営責任者の恋人に収まったのである。

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