55:騎士団長、泉を目指す
神殿の泉から少し離れた場所で……
薄曇りの空を見上げながら、ユスティンは何度目かのため息をついていた。
「迎えに行かないの、団長? 私は今から行こうと思うんだけど」
同じくため息をついているブリギッタが、無理な提案をしてくる。
アヤカが選んだ結論を、どうして自分が否定できようか。
彼女は、最初から故郷へ戻る気でいたというのに。そして、自分はそれに同意した上で、彼女と恋人関係になったというのに。
アヤカの意思を否定するようなことは、もうしたくない。
「団長はバカね、なんにもわかっていないわ」
「…………」
「アヤカは、自分から本音を言い出せる子じゃないのよ。そりゃあ、理不尽な目に遭えば文句を言うし、やられっぱなしになっているようなタイプじゃないけれど……私は、なんとなくわかるから放って置けない。やっぱり、泉へ行くわ」
立ち上がるブリギッタを慌てて止める。
「待ってください。僕らが泉へ行くことで、アヤカが帰れなくなったらどうするんですか!」
「そんなことにはならないわよ、たぶん。仮にこちらの意思が反映される場合でも、それでアヤカが戻って来てしまうのなら、数ヶ月一緒にいただけの私達の思いが勝ってしまうほど、あちらの世界とアヤカの縁が薄いということ」
「…………」
「団長……いいえ、ユスティン。あの子と一緒にいて、おかしいと思わなかった? あの子、どんな理不尽な目に遭っても、私達に泣き言ひとつ言わないのよ。いっそ、不気味なくらいにね」
彼の言葉に、ユスティンはアヤカとのやりとりを思い出す。
異世界に放り出され、当初は神殿から追い出されていたアヤカは、たった一人で騎士団へやってきた。常に飄々とした態度だったが……誰も知り合いのいない世界で、たった一人で生きて行くことを決めていたのだろう。
彼女が就職先に選んだアインハルド騎士団は、財政の苦しい小国の王の管轄下にある貧乏騎士団だ。騎士団長ですら貴族以外は雇われの身という世知辛いブラック環境の騎士団である。
そんな劣悪な環境下で、アヤカは黙々と働いていた。時々文句は言うものの、決して仕事は投げ出さないし、誰よりもよく働いた。
「アヤカは、悪い意味でブラックな労働環境向きの子だったのよ。自分の置かれている状況が本気で劣悪だと気がつかないほど、今まで待遇の悪い場所にいたか……必要とされれば断れないほど、今までないがしろにされていたか」
「そんな部分に、当初の僕はつけ込んでしまったわけですが……それって、アヤカは向こうの世界で大切にされてこなかったと言うことですか? そういえば以前、『元の世界には、自分を欲してくれる人間がいなかった』というようなことを言っていましたけど」
「あんたもアヤカも世話がやけるわね……」
そう言って踵を返すブリギッタと共に、ユスティンは走り出した。
(本当に自分でも嫌になりますね)
今まで、何度選択肢を間違えたことか。
好意を抱いている相手に危険な役目を強いたり、職務に関する言いがかりをつけて無理やり自分の傍に置こうとしたり……せっかく、やり直すチャンスを得たにもかかわらず、彼女の本音に気づかず手を離してしまったり……
本当に、呆れかえるくらい大失態だらけで激しい自己嫌悪に陥る。
けれど、このままだと、本当に全てが手遅れになってしまうのだ。
ユスティンは、ブリギッタと共に泉を目指して全力で走った。グリモがいればひとっ飛びなのだが、今は城の厩舎に繋いだままだ。
ようやく泉に着いた時には、女王を含めた全員が泉の方角へと頭を下げていた。
「アヤカだわ!」
ブリギッタの指差す方向を見れば、泉の上にアヤカとその弟が浮いている。
「アヤカ!!」
ユスティンがそう叫んだと同時に、二人の姿が空中から忽然と消えた。




