第26話【意味が分かると怖い】医療費のお知らせ【怖いショート】
「お父さん……翔太が、歯医者に行ってる」
届いた封筒を開けたまま、私は立ち上がった。
『医療費のお知らせ』。受診者の欄には、佐伯翔太。その下に、隣町の歯科医院の名前があった。
写真立ての中で、二十歳の翔太が笑っている。
家からいなくなって、今年で十年になる。
「扶養、外さずにおいてよかったな」
夫は通知を何度も読み返した。
私は、医院の名前を手帳に書き写した。
受付の女性は、私の話を聞くと困ったように眉を下げた。
「佐伯翔太の母です。あの子、こちらに通ってますよね」
「申し訳ありません。個人情報なので……」
通っていない、とは言わなかった。
受付の奥の画面に、予約表が見えた。
十五時。佐伯様。
私はいったん家へ戻った。
夫が、古いアルバムを出して待っていた。
「十年も、どこで何してたんだろうな。歯医者には行くのに、家には連絡ひとつよこさないで」
成人式の写真を、私は指でなぞった。
紺のスーツ。青いネクタイ。左手首の銀色の腕時計。
「これ、私があげたの。あの子、ずっと着けてくれてた」
黒い文字盤の時計だった。
写真の中の翔太は、左手を胸元に添えて笑っていた。
十四時五十八分。
私はまた、歯科医院の待合室にいた。
診察室の扉が開くたび、膝の上の手が勝手に動いた。
黒い上着の男が出てきた。
帽子をかぶり、マスクをしていた。男は私の前を通り過ぎると、受付のトレーに写真付きのカードを置いた。
「佐伯翔太様ですね」
男がうなずいた。
マスクをずらした顔を、私は知らなかった。
その左手首に、黒い文字盤があった。
写真の中と同じ銀色のベルトが、受付の明かりを反射した。
【解説】
医療費の通知が届いたことは、翔太本人が生きて歯科医院に通っている証拠とは限りません。「翔太の名義で受診があった」という記録を、両親は息子からの生存の便りのように受け取っています。
受付で翔太のフルネームを確認され、うなずいたのは、母親の知らない顔の男でした。男が写真付きのカードを出していることと合わせると、息子の名義の身分証を使っている、と読めます。
さらに、その男は、母親が成人式に贈った時計まで着けています。写真を見返す場面で時計の色と形、息子が身に着けていたことを示しているため、最後の二行が単なる似た時計の描写ではなくなります。
名義だけが使われているなら、情報がどこかから漏れた可能性も考えられます。しかし、息子が普段から身に着けていた品まで、同じ男の手に渡っている。身分証と持ち物を一緒に手に入れたのだとしたら、男は翔太とどこで接触したのでしょうか。
譲り渡したのか、奪われたのか、翔太が今どこにいるのかは書かれていません。息子に会えると期待して来た母親の前に現れたのは、息子の名前と持ち物を持つ別人でした。
この物語の人物・医院・通知・受診の経緯は創作です。




