第15話【意味が分かると怖い】ガチホの代償【怖いショート】
扇風機が首を振るたび、妻の前髪が少しだけ揺れた。
風がこちらへ戻ってくると、ぬるかった。
「よしよし」
夫はスマホを顔に近づけた。
オルカンも、S&P500も増えている。
昨日よりも、先月よりも。
「毎月、生活費を切り詰めてる甲斐があったな」
冷房の修理代は、来月に回した。
外食もやめた。妻には、もう少し工夫してくれと言ってある。
浮いた分を積立に足すたび、二十年後の暮らしが近づく気がした。
後ろで、うちわの音が止まった。
「あなた」
夫は画面を見たまま、返事をした。
「今月だけ、積立を止められない?」
妻の膝には、娘が横になっていた。
さっきまで暑いとぐずっていたのに、今は声を出していなかった。
額のタオルが、片方の目にかかっている。
「クーラー、壊れたままだし。この子、熱中症みたいで……病院に連れていきたいの」
妻は娘の肩を抱き直した。
「少しだけ、お金を下ろせない?」
夫はため息をついた。
ようやく軌道に乗ってきたところだった。
「バカ言え。ドルコスト平均法を崩す気か」
動画でも、掲示板でも、同じことを言っていた。
何があっても売るな。途中でやめるやつが損をする。
ここで折れたら、これまで我慢してきた意味がなくなる。
「今ここを我慢すれば、二十年後は家族みんなでハワイに行けるんだからな」
前から決めていた。
海が見えるホテルを取って、三人で写真を撮る。
娘が大きくなっても、旅行ぐらいは付き合ってくれるだろう。
妻は何か言いかけた。
夫はスマホを持ち直した。
*
二十年後。
窓の向こうでは、橋が赤く光っていた。
この高さまで来ると、車の音は聞こえない。
夫はソファに深く腰を下ろし、タブレットを膝に置いた。
資産総額、一億百二十三万四千五百六十七円。
数字を指でなぞり、グラスを持ち上げる。
ワインの味は、まだよくわからなかった。
ただ、値札を見ずに買えるようになった。
棚には、花の首飾りを掛けた写真が二つ並んでいた。
黒いリボンの下で、妻と、小さなままの娘が笑っている。
夫は口元を緩め、もう一度、残高を見た。
―― おわり ――
この下に解説があります。先に考えたい方は、ここでお止めください。
【解説】
家族でハワイに行くために、お金を増やしていたはずでしたよね。
ところが二十年後、部屋にいるのは夫一人です。妻と娘は、黒いリボンの付いた写真の中にいます。
娘の写真は、小さいころのままです。
あの暑い部屋で助けを求められたとき、夫が守ろうとしたのは、家族よりも積立の予定でした。修理代や病院へ行くお金まで惜しんだ、その先にある結末が二枚の遺影です。
妻も亡くなっていることは読み取れますが、いつ、どんな経緯で亡くなったのかまでは、この話では書いていません。
棚に掛かっているのは、ハワイの花の首飾り、レイです。
「家族みんなで」という約束は、これで果たせたのでしょうか。写真に掛けるだけのものになるなんて、あの日の妻は思ってもいなかったでしょうね。
夫は一億円を手に入れました。それを一緒に使うはずだった相手は、もういません。
それでも、彼が最後に見ているのは残高です。
「何があっても絶対に売らない」は、作中の夫が信じ込んだ言葉です。助けを求める家族を放っておく理由まで、その言葉に任せてしまった。
彼にとって、何を手放すことが「損」だったのでしょうか。
この話で【本当に怖い】事とは、何を指しているのでしょうか。




