第7話 〈セス〉戻る馬車
翌朝の荷馬車は、揺れた。
僕は荷台の後ろに腰を下ろして、膝の上に測量具の鞄を抱えていた。座席の板が薄いせいで、車輪が石を踏むたびに、背骨へ直接、衝撃が来る。二十二回目の揺れで、数えるのをやめた。
「寝てていいぜ、学生さん。着くのは昼前だ」
御者のトビーが、前から振り向きもせずに言った。
「ありがとうございます。でも、眠くはないので」
「若いな」
実際は、眠かった。昨日は、丸太を数え終わったあと、荷車の手配と実習院への報告で、寮に戻ったのが深夜だった。その上、あの白い層のことが、頭から離れなかった。
鞄の中には、親指ほどの木の切れ端が、布に包んで入っている。昨日、割れた丸太の端から、ガラン教官に黙って拾っておいたものだ。木口の芯に、白い薄層が一本走っている。検査用の丸太は学院の標本室に回すと決まったが、あれが何なのか、僕が自分の手元で確かめたかった。
誰にも、理由は言っていない。言えるほど、分かっていないからだ。
荷台の反対側には、麻の袋が山のように積まれている。中身は、産院に納める布だ。シーツと産着と、湯を拭う布。その隣に、袋に背中を預けて、じっと座っている中年の男がいた。
名前は、ホルスト。リネンを織る村の、織り手だという。
彼は、道中、一度も口を開かなかった。両膝の上に置いた手が、ときどき、小さく握られたり開いたりしていた。
荷台の奥の、袋と袋のあいだにも、毛布をかぶった若い女性がひとり座っていた。ホルストの連れらしい。彼女も、ほとんど口をきかなかった。僕は、無理に話しかけないことにした。
オルネアの城門が見えたのは、予定より十分遅れた時刻だった。
中立都オルネアは、台地の上にある。三つの大きな都市のひとつで、剣の都でも術の都でもない。両方の人間が、等しく出入りする。市場は、朝から人で埋まっていた。
荷馬車は、市場の真ん中を横切った。
焼き菓子の匂い、干し魚の匂い、羊の毛の匂い。呼び込みの声が重なって、耳が痛い。人と人のあいだを、馬車が割って進む。トビーが、何度も口笛を鳴らして、道を空けさせた。
「ここを抜ければ、産院だ」
産院は、市場の北の端、少し高くなった石畳の上にあった。
白い壁の、低くて長い建物だ。屋根が、古い。壁には、補修の跡が何度も重なっている。入口の前の階段は、何千人もの靴に磨かれて、真ん中が窪んでいた。
母が、階段の上に立っていた。
「遅いわよ、セス」
「十分だけです」
「十分は、遅い」
ベス・エイヴェルは、四十四歳。産院の物流の責任者だ。濃い灰色の服に、袖を肘まで折って、手帳を一冊、いつも腰に挟んでいる。僕と同じで、背が高くない。同じで、目つきが細い。
僕が荷台から降りるより先に、母は荷台を見た。それから、袋を数えた。
「十八袋。納品書は十九ね」
「一袋、途中の村で降ろしたと聞きました」
「聞いたの?」
「トビーさんに」
「よろしい」
母が、ほんの少しだけ、口の端を動かした。
荷降ろしは、予定では四分で終わるはずだった。僕は、鞄を石段の下に置いて、一番近い袋に手をかけた。
「ホルストさん。手伝っていただけますか」
返事はなかった。
男は、荷台の隅に座ったまま、動かなかった。袋を、じっと見つめている。さっきまで握ったり開いたりしていた手は、膝の上で、止まっていた。
母が、僕を見た。それから、男を見た。
何も言わずに、石段を降りてきた。
「ホルストさん」
母の声が、変わった。少しだけ低く、少しだけ、ゆっくりになる。
「先に、座りましょう」
産院の入口の脇に、小さな木の椅子が置いてあった。母は、その椅子を、自分の手で引き寄せた。
男は、荷台から降りた。足元が、わずかにふらついた。母は、腕を貸さなかった。ただ、椅子の背に手を置いて、座るのを待った。
ホルストは、ゆっくりと腰を下ろした。両手で、膝を押さえる。
「荷降ろしは、後でいい」
母は、僕に言った。
「セス。その鞄、下の段から、どかしなさい」
見ると、僕が石段の下に置いた鞄が、運搬の人間が通る道をふさいでいた。慌てて持ち上げる。母は、僕のほうを見ずに、続けた。
「そこは、空けておくの。いつ誰が、急いで通るか分からない場所だから」
「……はい」
四分の計画は、最初の一分で、崩れた。
僕は、荷物を抱えたまま、椅子に座った男を見た。ホルストは、うつむいたまま、小さな声で何かを言った。
母は、頷いた。
「大丈夫。順番は、ちゃんと守ります」
順番、という言葉の意味を、僕はそのとき、まだ知らなかった。
母は、腰の手帳を外して、ぱらりと開いた。それは、産院の出生記録の、写しだった。
最初に開いた頁に、方位の欄がある。




