第6話 水門を借りる値段
「ふたつ目は、壊したものは、弁償すること」
水門番は、鉤竿の先で、堰の板を軽く叩いた。
「板一枚、銀貨十枚。三枚までなら、まけてやる」
銀貨十枚。俺の月の小遣いが、銀貨二枚だった。
セスが、静かに頷いた。
「分かりました。作業の段取りは、僕が決めます。止める役はミラさん、押す役はイヴォ君。水門の開け閉めは、ブランさんにお願いしたい」
「名前を、もう覚えたか」
「はい」
水門番は、少しだけ眉を上げた。それから、堰の横の小さな木の台へ、のそのそと歩いていった。
台の上に、太い鉄の取っ手がある。その下に、水路の蓋がある。
「余水路を、開ける」
ブランが取っ手を引いた。
ぎい、と木が鳴った。堰の脇の細い水路から、水が勢いよく流れ出した。取水池の水が、ゆっくりと、渦を巻き始める。水位が、目に見えて下がっていく。
「丸太が、来た」
ミラが、手をかざした。
川の上流から、茶色い群れが、ゆっくりと降りてきた。流れに乗って、先頭の何本かが、もう取水池に入り込む。
俺は、池の縁に立った。
渦が、水面で小さな輪を描いている。丸太は、その輪に引かれて、ゆっくりと、池の中央へ寄っていく。
「ここだ」
俺は、声に出して言った。
「渦の外側は、遅い。内側は、速い。丸太は、遅いほうへ溜まる。だから、岸のほうへ誘導したいなら、渦の外側を、押せばいい」
「押す、って、どうやって」
セスが訊いた。
「長い棒を、丸太の横に当てて、流れに逆らわずに、ずらす。力は、少しでいい。向きだけ、変えてやる」
言い終わる前に、鞘のついた剣を握り直した。
橋で覚えたことが、まだ体に残っていた。梃子と、足場と、向き。倒すより、動かすほうが、俺の手には合っている気がした。
最初の一本を、岸へ押した。
丸太は、ゆっくりと、向きを変えた。池の縁の浅瀬に、鈍い音を立てて乗り上げる。
二本目、三本目。
ミラが、池の向こう岸で、細い綱を丸太に回していた。糸は、もう使えない。けれど、麻の綱なら、使える。彼女は、岸の杭に綱を結んで、丸太の先を引っ掛けて、俺のほうへ流れてくるのを、止めていた。
「一本、止めた!」
「こっちも、止めた!」
二人で、声を上げた。
セスは、池の縁の高いところで、丸太を数えていた。
「十一。十二。……十三」
数え続ける声が、遠くで淡々と響いた。
半刻が経った。
日が、少し傾いた。
「三十一本」
セスが、最後の一本が岸に上がった瞬間に言った。
「流れ出したのは、三十一本。全部、岸に上がった。橋の杭は、無傷。堰の板は、一枚、割れた」
ブランが、無言で、割れた板を竿の先で持ち上げた。
「銀貨十枚」
「はい」
セスは、自分の財布を出しかけて、それから、手を止めた。
「……足りないな。あとで、払います」
「分かっとる」
水門番は、割れた板を肩に担いだ。それから、池のほうを、じっと見た。
水位が、ゆっくりと戻り始めていた。余水路は、もう閉じてある。夕の水やりの時刻まで、まだ余裕があった。
「……悪くなかった」
ブランは、それだけ言って、背を向けた。
ミラが、その場にぺたんと座り込んだ。
「あー……終わった」
「終わってない」
ガランが、いつの間にか、後ろに立っていた。
「搬送料と、修理費。丸太を倉庫まで運ぶ荷車の費用は、銀貨三十枚。板の弁償と合わせて、六十枚だ」
「六十」
俺は、思わず声に出した。
「実習中の損害は、実習生持ちだ。ルーク、お前が斬った場所を決めたのは、お前一人じゃない。この班の責任だ」
「班」
「ヴェン」
ガランは、ミラのほうを見た。
「お前は持ち場を離れた。止めた功と、離れた責任は、同じ重さだ。このまま、こいつらと組め」
ミラが、目を丸くした。
「え、私も?」
「余り者同士だ。剣は一回、術は三秒、魔力はなし。まとめて、一つの実習隊にする。借金も、一つだ」
三人で、顔を見合わせた。
今日はじめて会った、三人だった。
「……銀貨六十枚」
セスが、ぽつりと言った。
「割れば、一人二十枚」
「割れない」
ミラが、笑った。
「だって、三人でひとつの借金なんでしょう」
俺も、いつの間にか、笑っていた。
岸には、三十一本の丸太が横たわっていた。夕日が、その切り口を橙色に染めている。
「持ち上げよう」
誰かが言った。たぶん、俺だった。
一番近くにあった丸太に、三人で手をかけた。ミラが端、俺が真ん中、セスが反対の端。重かった。持ち上がらなかった。持ち上がらないまま、三人で、息だけ合わせた。
「せーの」
三人の声が重なって、丸太が、ほんの少しだけ、持ち上がった。
その拍子に、切り口がこちらを向いた。
「あれ」
セスが、声を落とした。
「イヴォ君。見て、この木口」
丸太の切り口の、芯のところ。
黄色い木肌の真ん中に、薄い白い層が、一本、走っていた。霜みたいな、粉みたいな、白だった。
鼻を近づけると、嗅いだことのない匂いがした。
乾いた海の匂いだった。




