第21話 〈セス〉観測線
「全部の井戸を、一斉に、測る」
僕は、産院の中庭の地面に、紙を広げて言った。
紙の上には、三つの井戸の位置と、周囲の建物が、簡単に描いてある。井戸と井戸のあいだに、点線を引く。その点線の端に、新しい点を三つ、足した。
「観測線を、作ります。二時間おきに、全員で、同じ時刻に、水位を読む。一日、続ける」
「全員って、私たち三人?」
ミラが、眉を上げた。
「三人です。持ち場を、決めます」
イヴォが、腕を組んだ。
「俺は、どこだ」
「イヴォ君は、東の井戸。洗濯場の裏です。重い蓋を、外す必要があるので」
「了解」
「ミラさんは、本井戸。水の温度も、一緒に測ってほしい」
「温度なら、得意」
ミラが、にっと笑った。
「僕は、北の古井戸と、全体の記録をまとめる」
一人一本ずつ、紐を渡した。僕が作った、結び目つきの測定紐だ。同じ長さ、同じ結び目の間隔。誰が測っても、同じ数字が出るように、合わせてある。
「読み方を、確認します。錘が水に触れた瞬間の、紐の位置。結び目の、どこにあるか。それを、手帳に書く」
「結び目と結び目のあいだは?」
「一寸を、十等分した目安で。曖昧なときは、四捨五入せずに、そのまま書いてください」
二人は、真剣な顔で、頷いた。
東の井戸の蓋は、石でできていて、ひどく重かった。
イヴォ君が、蓋の縁に、鞘ごと、剣を差し込んだ。鍔の小さな剣の柄が、てこの支点に、ちょうどよく収まる。体重を乗せると、石の蓋が、ごりごりと音を立てて、少しずつ、ずれていった。
「そんな使い方、いいんですか」
「母さんが、そう直した」
イヴォ君は、にやりと笑った。
「梃子なら、刃気はいらない」
彼が、あの丸太の日から、少しずつ、自分の剣の別の使い方を、覚えているのが分かった。
最初の観測は、朝十時。
三人が、それぞれの井戸の縁に、膝をつく。
「いち、に、さん」
僕が声を出して、同時に、紐を下ろした。
ミラの声が、本井戸のほうから、小さく聞こえた。
「十二尺、二寸。水温、十二度」
イヴォの声が、東の井戸のほうから。
「十二尺、五寸」
僕自身の、北の古井戸。
「十一尺、九寸」
三つの数字が、手帳に並んだ。
それから、二時間ごとに、同じことを繰り返した。
正午。午後二時。四時。六時。
夕方になるころには、三人とも、すっかり、手つきが慣れていた。ミラは、紐を下ろす前に、必ず、指先で、水の気配を探る。イヴォは、足を踏ん張って、紐が真っすぐに垂れるように、体の位置を調整していた。
母が、午後に一度、様子を見に来た。
何も言わなかった。ただ、盆に載せた、温かいお茶と、小さな焼き菓子を、中庭の隅の石に置いて、また建物に戻っていった。
「いい匂い」
ミラが、菓子の匂いに、鼻をひくつかせた。
「休憩にしよう」
僕たちは、石の縁に並んで座った。
夕日が、中庭の壁を、橙色に染めている。井戸の水面が、きらきらと光る。
「セス君のお母さんって、すごい人だね」
ミラが、お茶をすすりながら言った。
「どうして」
「何も言わないで、お茶だけ置いていく。それが、一番、嬉しいやつ」
僕は、少し考えた。
「母は、そういう人です。口で言うより、動かす」
「かっこいい」
「そう、でしょうか」
僕は、自分でも気づかないうちに、笑っていた。
夜、七時。最後の観測。
それから、全員で、手帳の数字を、一つの表に、書き写した。
二十四時間ぶんの記録。三つの井戸、三人の観測者。
僕は、紙を、地面に広げて、数字を、見比べた。
イヴォが、横から、覗き込んでいる。ミラは、反対側から。
「全部、下がってる」
「はい。ただ」
僕は、鉛筆の先で、表の一部をなぞった。
「下がり始めた時刻が、全部、違う。最初に動くのが、東の井戸。次に、本井戸。最後に、北の古井戸」
「前に、イヴォ君が言ってたやつだ」
「はい。ここまでは、確認できました」
僕は、次の頁を、めくった。もう一つ、気になっていることがあった。
「さらに、この三つの井戸の位置を、地図の上に置いてみます」
持ってきた、オルネアの地図を広げた。産院の位置に、三つの印を打つ。それから、地図の上の方位の記号を、確かめる。
頭方が、上。尾方が、下。
東の井戸は、産院の中で、最も尾方に近い。
次に、本井戸。
最後に、北の古井戸。
一番、頭方に近い。
僕は、思わず、手を止めた。
偶然では、ない。
沈下は、尾方側の井戸から順に起きていた。




