↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の果てのアトラス  作者: 幼内 心


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/32

第17話 〈ミラ〉冷えた荷車

 原因は、すぐに分かった。

 イヴォ君だった。

「え、俺?」

「あなたの背中」

 私は、木箱の端の、温かい列を、指でとんとん、と叩いた。

「この列だけ、あなたが担いでた側。背中の熱が、箱の板を通って、瓶に移ったの」

「そんなこと、あるのか」

「ある。ほんの、一度か二度、だけど。でも、その一度が、露には、致命的」

 ナディアが、眼鏡を押し上げて、箱の中を覗き込んだ。

「その列の、四本。確認するわ」

 小瓶を一本ずつ取り出して、ランプのない薄明かりの下で、光に透かす。露の透明度を、見る。

 全員が、息を詰めて、見守った。

「……大丈夫。薬効は、落ちてない」

 ナディアが、ふう、と息を吐いた。

「ぎりぎりね。でも、これ以上、熱を入れたら、危ない。運ぶあいだ、箱の温度を、一定に保たないと」

「俺が、背負わなければ」

「あなたの、せいじゃない」

 ナディアは、静かに言った。

「でも、運ぶ人間の体温は、確かに、敵になる。人が担ぐのは、やめたほうがいいわね」

 どうしよう。

 私は、箱を見た。二十六本の小瓶。診療所まで、半日。荷車を使えば、歩くより、ずっと早い。けれど、普通の荷車では、車輪の摩擦熱と、日光が、また瓶を温める。

 冷えた荷車が、いる。

 そのとき、湿地の端の、乾いた道のほうから、馬の足音が聞こえた。

 荷車が、一台、近づいてくる。

 引いているのは、二頭の、がっしりした馬。荷台は、箱形で、側面に、厚い灰色の板が張ってある。屋根には、白い幌がかかっていた。

 御者台に、男が一人、座っていた。

 三十代の前半だろうか。薄い灰色の外套を着て、帽子を片手に持っている。笑うと、目尻が、少し、下がる。

「ロス博士。おはようございます」

「カルダー」

 ナディアの声が、わずかに、固くなった。

「お久しぶりです。実は、ちょうど、この近くを通りかかりましてね。熱病の件で、診療所への運搬が、急ぎだと聞きまして」

 男は、馬を止めて、帽子を胸に当てた。

「運搬商会の、レン・カルダーと申します。お嬢さん方、それに、剣のお兄さんも、お疲れさまでした」

 柔らかい声だった。耳に、すっと入る声。

 ナディアが、小さく、私たちに説明した。

「カルダー運搬商会の、主よ。冷却荷車を、持ってる。町で、一番」

「冷却荷車」

「箱の内側に、霜脂の板を、びっしり詰めてあるの。外の温度が上がっても、中は、一定に冷えたまま」

 まるで、私たちの困りごとが、見えていたみたいに、完璧なタイミングだった。

「今日の運搬は、お代をいただきません」

 カルダーは、にこにこと、続けた。

「診療所の子どもたちのためです。商会の、社会貢献、ということで」

「それは、ありがたいけれど」

 ナディアは、口ごもった。

「無料の裏に、何か、あるんでしょう」

「ははは、鋭い」

 カルダーは、まったく、悪びれずに笑った。

「ひとつだけ。継続契約を、お考えいただけませんか。今後、三か月間の、ロス博士の研究所からの運搬を、弊社でお引き受けする。運賃は、標準の運賃表どおり。それだけです」

 彼は、胸の内ポケットから、折りたたんだ紙を取り出した。

「契約書は、こちらに」

 ナディアは、紙を受け取った。

 私は、横から、そっと、覗き込んだ。

 契約書は、感じのいい字で書かれていた。

 きれいな、丁寧な、細い筆跡。小さな罫線が、几帳面に引かれている。文言は、平易で、硬くない。条項の数は、八つ。

 読んでいくと、「運賃は標準運賃表による」「期間は三か月」「中途解約には、一か月前の通知を要する」。どれも、まっとうだった。

 私の目は、そこで、ふっと止まった。

 紙の端に、小さな印があった。

 印の形が、さっき、ラウル君が、イヴォ君に見せた、あの札の印と、似ている気がした。蜥蜴の背中に、ぶら下がっていた、真鍮の札。

 気のせい、かもしれない。

「ご検討いただいて、結構です」

 カルダーは、紙を一度、ナディアの手から、そっと引き取った。

「でも、今日の子どもたちは、待ってくれません。まず、運びましょう。契約は、後で」

 ナディアは、数秒、黙っていた。

 それから、小さく、頷いた。

「……お願いするわ」

「ありがとうございます」

 カルダーは、荷車から飛び降りて、荷台の後ろの扉を開けた。

 内側は、真っ白だった。灰色の霜が、壁一面に、薄く貼りついている。ひんやりとした空気が、扉の隙間から、流れ出してきた。

「木箱を、中へ」

 イヴォ君と、セス君が、二人がかりで、木箱を運び入れた。人の手は、箱の側面に触れず、底の板だけを、持った。

 私は、その様子を、少し離れて、見ていた。

 荷台の天井の、幌の継ぎ目に、小さな裂け目があった。

 ほんの、指一本ぶんくらい。

 外の光が、その裂け目から、一筋、細く差し込んでいる。

「古い幌でね」

 カルダーが、私の視線に、気づいた。

「夕方までには、直します」

 それは、本当かもしれなかった。ただ、私は、何も言わなかった。

 荷車が、動き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。