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獣の果てのアトラス  作者: 幼内 心


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第14話 仕事の紹介

 夜の職人通りは、昼とは別の町みたいだった。

 鍛冶の炉の火が、窓から赤く漏れている。通りの石畳が、その光で、ところどころ、濡れたみたいに光る。俺は、母の工房を出て、寮へ帰る道を歩いていた。

 道の向こうから、重い足音が近づいてきた。

 地面が、小さく震えている。

 荷車だった。それも、普通の荷車ではない。引いているのは、馬でも牛でもなかった。

 鉱窟蜥蜴。

 岩みたいな色の、大きなトカゲだ。長さは、荷車の三倍近い。背中の鱗が、岩の皮みたいに、ごつごつと盛り上がっている。鉱山で石を運ぶために、飼いならされた素材獣だ。

 ゆっくりと、通りを横切っていく。荷車の横には、荷役人の若い男が一人、歩いていた。男は、ラウルと目が合うと、軽く帽子に手をやって、挨拶した。ラウルも、小さく会釈した。

 敵意は、どちらにもなかった。ただ、お互いが、お互いを、知っている顔だった。

 その首のところに、真鍮の札が、ぶら下がっていた。

「……何だ、あれ」

 思わず、口に出した。

 札には、番号と、何かの文字が、刻まれている。ランタンの光が、それを照らした。

 胎地証文、第三百十二号。

 その下に、商会の名前。カルダー運搬商会。

「胎地証文だ」

 背後から、声がした。

 振り向くと、暗がりの中に、ラウルが立っていた。

「ここで、何してる」

「お前を、待っていた。母上の工房から、出てくるころだと思って」

「俺を?」

「話がある。だが、その前に、あれを見ていけ」

 ラウルは、顎で、鉱窟蜥蜴のほうを示した。

「あの蜥蜴が死んだら、どうなる」

「……石に、なる。土地になる」

「そう。一頭の蜥蜴が、石山に、なる。その石山の土地は、誰のものだ」

「それは」

 答えられなかった。ラウルは、淡々と続けた。

「生きているうちに、売ってある。その権利書が、あの札だ。胎地証文。まだ生まれていない土地の持ち主が、先に決まる」

「そんなこと、できるのか」

「できる。合法だ。運搬商会は、ああいう札を、何百枚も持っている。商人が先に投資して、獣が死んだあとに、土地を受け取る。うまくいけば、大きな利益になる」

「死ななかったら?」

「持ち主は、獣が死ぬまで、待つ」

 ラウルは、肩をすくめた。

「あるいは、死なせる。そういう商会も、ある」

 ラウルの声は、いつもと同じ、平坦だった。けれど、その奥に、わずかな警戒の色が、混じっていた。

 俺は、蜥蜴の背中が、角を曲がって消えるのを、見送った。

 土地が、生まれる前に、売られている。

 倒した獣が土地になる、というのは、子どもでも知っている話だ。けれど、その土地が、倒される前から、誰かの財産になっているとは、考えたことがなかった。

「それで、話って」

「仕事の話だ」

 ラウルは、通りの端の、街灯の下へ移った。

「お前の借金のことは、聞いている。六十枚」

「誰から」

「みんな、知っている」

 顔が、熱くなった。

「笑いに来たのか」

「違う」

 ラウルは、即座に答えた。

「お前に、仕事を、紹介したい」

 意外だった。

 言葉が出ない俺に、ラウルは、続けた。

「薬獣研究者の、ナディア・ロス博士が、採取の補助を探している。薬露蛙という、小さな蛙だ。生きた個体から、体表の露を、集める」

「蛙の、露」

「薬になる。ただし、採取には、条件がある。繊細な作業だから、剣の腕よりも、現場を読む目と、小さな術が、必要だ。人手が足りない。俺の隊は、別の任務で、手が空かない」

 ラウルは、少し言いよどんだ。

「お前に言うのは、癪だが」

「うん」

「お前の、読む速さは、本物だった。今日の標本の件で、よく分かった。だから、紹介する」

 その言葉は、まっすぐだった。ラウルの、嫌味のない、不器用な、誠実さだった。

 悔しさは、まだ、胸の中に残っていた。

 三本取られた木剣の感触も、ついさっきのことのように、脇腹に残っている。

 断るのは、簡単だった。同情されている、と思えば、断れた。プライドの話だ。

 けれど、その考えは、ふっと、すぐに消えた。

 共同財布の中の、銀貨八枚と、証文一枚。

 地図の余白の、小さな三つの家。

「条件を、聞く」

 俺は、言った。

「紹介してくれるなら、まず、条件を聞かせてくれ。受けるかどうかは、それから決める」

 ラウルの口元が、ほんの少し、緩んだ。

「そうだ。それでいい」

「条件は」

「簡単だ。ひとつだけ。ああ、その前に、報酬を言っておく。三日間で、銀貨十五枚。三人まとめて、だ」

 十五枚。

 借金の、四分の一だった。

 ラウルは、手を、ぐっと、胸の前に上げた。

「湿地では、火を使うな」

 それが、紹介された仕事の、条件のすべてだった。

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