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奪われた香りは、私のものです ~王家御用達の調香師見習いは、追われた辺境で自分の工房を持つことにした~  作者: やまご


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第五十五話 検め

第五十五話 検め


 当日は、晴れた。

 河港の坂を、人が登っていった。荷役が六人。仲買のボリス。それに、噂を聞きつけた店の者たちが、路地の両側に立った。

 組合の前に、五十人近くが集まっていた。

 セレナは、坂の下の詰所にいた。

 リタが隣にいる。

「行かないの」

「行かない」

「なんで」

「私が行くと、話が変わるから」

 子どもは首を傾げた。

「セレナ、いつも行くのに」

「今日は、この街の話だから」

 リタは、それで納得したらしかった。


 組合の前では、王都の供の者が二人、封の前に立っていた。

 その後ろに、痩せた男がいる。外套は地味で、装飾がない。

 ヴァニエだった。

「立ち会いは三人と聞いている」男が言った。声が細い。

「慣例では、荷役の頭は何人でも立てます」ボリスが言った。「六人います」

「必要ない」

「必要かどうかは、こちらが決めます」ボリスは言った。「荷の検めは、荷を運ぶ者の権利です」

 背後の五十人が、動かなかった。

 ヴァニエは、その人数を見た。

「――結構」

 彼は封に手をかけた。

 蝋が割れる音がした。

 扉が開く。

 中の空気が、外へ流れ出した。

 最初に反応したのは、荷役頭の一人だった。

「――なんだこりゃ」

「くさい」別の一人が言った。「いや、くさかねえ。なんだこれは」

 六人が、次々に顔をしかめた。

 ヴァニエが振り返った。

「何もない」

「匂いがしますよ」ボリスが言った。

「香料の倉だ。匂うのは当然だろう」

「そういう匂いじゃねえ」荷役頭が言った。「俺は三十年、香料の樽を担いでる。こんな匂いは知らねえ」

 路地の両側から、店の者たちが近づいてきた。

 薬種商の白髪の店主が、前に出た。

「わしにも嗅がせてくれ」

「関係のない者は下がりなさい」

「関係ある」老人は言った。「わしの店の仕入れが、三月止まってるんだ」

 彼は倉の入口に立ち、一度吸って、それから即座に後ろへ下がった。

「――焙ってある」

 五十人が、ざわめいた。

「焙ってあるぞ」店主は言った。「誰が焙った」

 ヴァニエが振り返った。

「この組合の理事長だ」

 ヘルマンが、人垣の前に出た。

「私は焙っていない」

「記録がある」ヴァニエは言った。「二十年、あなただけが焙ってきた。そう書いてあるのは、あなた自身の字だ」

「その通りだ」ヘルマンは言った。「二十年、私が焙った」

 人垣が静まった。

 男は眼鏡を外し、ゆっくりと拭いた。

「二十年、私はここで焙り続けた」彼は言った。「南から来る樽を受け取って、焙って、渡した。何かは知らされなかった。訊くなと言われた」

 彼は眼鏡をかけ直した。

「知らないふりをしていた、と言ったほうが正確だ」

 誰も、何も言わなかった。

「三月前にやめた」ヘルマンは言った。「あの樽六つは、未焙のまま置いてある。私が最後に触ったのは、受け取った日だ」

「では、この匂いは」

「私が触った後に、誰かが焙った」

 ヴァニエが口を開いた。

「証明できるのか」

「できる」

 男は倉の中を指した。

「私の焙り方は、二十年変わっていない」ヘルマンは言った。「炉は西の壁際の一つだけを使う。灰は毎回、東の桶に捨てる」

 彼は人垣を見た。

「倉を見てくれ。灰がどこにあるか」

 荷役頭の一人が、倉に入った。

 すぐに出てきた。

「――西の炉だ」男は言った。「炉の中に灰が残ってる。桶は空だ」

「私は炉に灰を残さない」ヘルマンは言った。「二十年、一度もだ」

 薬種商の老人が、頷いた。

「本当だ」彼は言った。「わしはこの男の仕事を三十年見てる。灰は必ず桶に捨てる。癖だ」

 人垣が、また動いた。

 ヴァニエの顔は、変わらなかった。

「習慣は証拠にならない」

「なりません」ヘルマンは言った。「ですが、私が焙ったという証拠も、あなたはお持ちでない」

 男は一歩、前に出た。

「もう一つ、伺いたい」

「なんだ」

「なぜ、王都の組合が、この倉に封をされたのですか」

 路地が静かになった。

「規約を確認しました」ヘルマンは言った。「王都の組合の管轄は、王都の登録者のみ。他所の組合の施設に対する権限はありません」

「――誰から聞いた」

「規約に書いてあります」

 男は五十人を振り返った。

「ここにいる者は、全員知っています」

 ヴァニエの目が、はじめて動いた。

 人垣を見る。

 五十人が、彼を見返していた。


 その報告が詰所に届いたのは、昼過ぎだった。

 ボリスが坂を下りてきて、戸を蹴るように開けた。

「終わった」

「どうなりましたか」セレナが立ち上がった。

「封は外れた」男は言った。「向こうが自分で外した以上、貼り直しはできん」

「ヴァニエは」

「何も言わずに帰った」ボリスは言った。「宿にこもってる」

「灰華は」

「倉に置きっぱなしだ」男は言った。「誰も持ち出せん。街の連中が見てる」

 セレナは、ゆっくり息を吐いた。

 膝が笑いそうになるのを、腹に力を入れて堪えた。

「ヘルマン様は」

「あれは、たいしたもんだった」ボリスは言った。「自分から、二十年焙ってきたと言った。全部の前でな」

「五十人の反応は」

「割れた」男は言った。「怒った奴もいる。だが、半分は黙ってた」

「黙ったのは」

「――たぶん、薄々知ってた連中だ」

 セレナは頷いた。

 二十年、閉じた輪の中にいた街だ。知らなかった人間だけではない。

「ボリスさん。ありがとうございました」

「礼はいい」男は帽子を取った。「三年ぶりに、気分がいい」


 夕方、ヘルマンが商会に来た。

 顔は疲れていたが、背筋が伸びていた。

「終わりました」

「ご無事で何より」セレナは言った。

「無事ではない」男は言った。「私は明日、理事長を辞める」

 ラウルが顔を上げた。

「――ヘルマン」

「二十年、焙ってきたと言った男が、理事長を続けられません」彼は言った。「五十人の前で言った以上、そうします」

「後任は」

「まだ決めていない」ヘルマンは言った。「ですが、決めるのは私ではない。五十人です」

 彼は帽子を膝に置いた。

「セレナ君」

「はい」

「一つ、頼みがある」

「伺います」

「組合に入りなさい」

 彼女は、顔を上げた。

「――今、ですか」

「今だ」ヘルマンは言った。「私が理事長でいる最後の日に、私が推薦する」

「私は王都で登録を抹消されています」

「知っている」男は言った。「その処分の理由は、素行だ」

 彼は眼鏡を押し上げた。

「私は、あの書き方が嫌いだと言った」


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