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奪われた香りは、私のものです ~王家御用達の調香師見習いは、追われた辺境で自分の工房を持つことにした~  作者: やまご


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第五十四話 倉

第五十四話 倉


 夜明け前、四人が組合の裏手に立った。

 セレナ、ラウル、ヘルマン、それからボリス。

「見張りは二人だ」ボリスが言った。「王都から来た供の連中だな。交代は夜明けと日暮れ」

「倉の中には」

「入ってない」男は言った。「表で立ってるだけだ」

 セレナは、封の貼られた扉を路地の角から見た。

 蝋の色が、朝の湿気で鈍く光っている。

「ヘルマン様。倉に、裏口はありますか」

「ない」男は言った。「あるのは、荷の受け入れ口だけだ。表と同じ側にある」

「では、中を見る方法は」

「一つある」ヘルマンは眼鏡を押し上げた。「隣が私の家だ」

 セレナは振り返った。

「壁を隔てて?」

「そうだ」男は言った。「二十年前、倉を建て増ししたとき、私の家の壁を借りた。だから壁が一枚しかない」

「――穴を開けられますか」

「開けなくていい」ヘルマンは言った。「窓がある」

 彼は路地の奥を指した。

「私の家の二階に、倉の内側を向いた小窓がある」男は言った。「もともとは通気口だ。建て増しのときに塞がれた」

「塞がれている」

「板を打ってあるだけだ」


 ヘルマンの家の二階は、荒らされたままだった。

 三人で紙をどけ、壁際の板をずらした。

 小窓が現れた。人が通れる大きさではない。顔が入る程度だ。

 板は簡単に外れた。二十年で釘が錆びていた。

 セレナは顔を入れた。

 ――暗い。

 だが、匂いはわかった。

 乾いた木。麻。土。それから――

 彼女は鼻から息を入れて、すぐ止めた。

「灰華があります」

「樽六つ分だ」ヘルマンが言った。

「いいえ」セレナは顔を引いた。「六つでは、この濃さになりません」

 ラウルが窓に顔を入れた。

「――俺にもわかる」彼は言った。「はっきり匂う」

「未焙なら、匂いません」セレナは言った。「未焙の灰華は、ほとんど無臭です」

「では」

「焙られたものが、中にあります」

 部屋が静かになった。

 ヘルマンが窓に取りついた。

「――私は焙っていない」

「はい」

「三月前からやめている」

「信じます」セレナは言った。「では、誰かが持ち込みました」

 彼女は窓の下にしゃがんだ。

「封が貼られたのは、私たちが南にいた八日の間です」彼女は言った。「その八日で、倉の中身が入れ替えられました」

「――なぜ」

「わかりません」セレナは言った。「ですが、封の中に焙られた灰華があるという状態は、こちらにとって最悪です」

 ラウルが振り返った。

「――どういうことだ」

「封を破って中を検めれば、私たちが焙ったことになります」彼女は言った。「破らなければ、いつまでも封じられたままです」

 ヘルマンが壁に手をついた。

「私が焙ったことにされる」

「はい」

「二十年、記録をつけてきた」男は言った。「あの記録には、焙りの欄がある。私が全部書いている」

「その記録が、あなたを縛ります」セレナは言った。「あなただけが焙れる、という証明になっています」

 彼は、壁にもたれた。

「――嵌められたか」

「はい」


 商会に戻ったのは、日が高くなってからだった。

 事務室に集まり、セレナは紙を広げた。

「打てる手を数えます」

 彼女は指を立てた。

「一つ。封を破らずに、街の人間に中を見せる」

「どうやって」ラウルが言った。

「無理です」セレナは指を折った。「二つ。封を破り、その場に大勢の証人を立てる」

「証人は」

「組合の五十人と、街の人間」

「――向こうが待っているのは、それだろう」

「そうです」彼女は言った。「破らせたいのです」

 彼女は三本目を立てた。

「三つ。何もしない」

「街が干上がるぞ」

「はい」

 セレナは指を下ろした。

「三つとも、駄目です」

 ヴィオラが口を開いた。

「セレナさん」

「はい」

「四つ目があります」

 全員が彼女を見た。

「向こうに開けさせるのです」

 セレナは、筆を止めた。

「――ヴィオラ様」

「封を貼ったのは向こうです」娘は言った。「向こうしか開けられません。ですから、向こうが開けたくなる理由を作ればよいのでは」

「開けたくなる理由」

「中身が消えたと思わせることです」

 部屋が静かになった。

 セレナは、ゆっくりと椅子に座った。

「――ヴィオラ様。それは」

「無理でしょうか」

「無理ではありません」彼女は言った。「ですが、恐ろしい発想です」

 娘は少し笑った。

「六年、考えることしかできませんでしたので」


 策は、その日のうちに形になった。

 中心は、ボリスだった。

「俺が報告するのか」

「はい」セレナは言った。「月に二度、別棟に呼ばれておられますね」

「次は五日後だ」

「早めてください」

「――どうやって」

「緊急の報告があると言えば、呼ばれます」彼女は言った。「三年やっておられるなら、そういう手順があるはずです」

 男は頷いた。

「ある」

「では、こう報告してください」

 セレナは指を三本立てた。

「一つ。組合の倉の裏手に、人が出入りしている」

「本当か」

「本当です」彼女は言った。「今朝、私たちが出入りしました」

 ボリスの眉が上がった。

「二つ。ヘルマン様の家の二階から、倉の内側が見える小窓がある」セレナは続けた。「これも本当です」

「三つ目は」

「ヘルマン様が、樽を運び出そうとしている」

 男が身を乗り出した。

「――それは嘘だな」

「嘘です」セレナは言った。「ですが、一つ目と二つ目が本当なら、三つ目も本当に聞こえます」

 ボリスは、しばらく彼女を見ていた。

「あんた、怖い女だな」

「よく言われます」

「――言われるのか?」

「今、はじめて言われました」

 ラウルが咳払いをした。


 ボリスが別棟へ呼ばれたのは、二日後の夜だった。

 報告は、四半刻で終わった。

 男は詰所に戻り、書付の裏に書いたものをセレナに渡した。

 ――明後日、倉を検める。立ち会え。

「立ち会えと」

「俺にな」ボリスは言った。「仲買として、荷の確認に立てということだろう」

 セレナは、その一行を見ていた。

 開ける。

 向こうが、自分で。

「ボリスさん。立ち会いは、何人まで許されますか」

「荷の検めなら、仲買と、組合と、荷役の頭だ」男は言った。「それが慣例だ」

「荷役の頭は」

「俺が呼べる」

「では、呼んでください」セレナは言った。「全員」

 ボリスが顔を上げた。

「全員?」

「河港の荷役頭を、全員」彼女は言った。「六人おられますね」

「――六人だ」

「慣例に反しますか」

「反しない」男は言った。「荷役の頭は、荷の検めに立てる。何人でもだ」

 セレナは頷いた。

「では、六人お願いします」

「あんたは」

「私は行きません」

 ラウルが顔を上げた。

「――行かないのか」

「私が行けば、こちらが仕掛けたことになります」セレナは言った。「行くのは、この街の人間だけでいい」


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