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奪われた香りは、私のものです ~王家御用達の調香師見習いは、追われた辺境で自分の工房を持つことにした~  作者: やまご


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第四十一話 母が持ち込んだ

 ヴィオラは、両手を膝に戻した。

 指が震えている。それを止めようとして、彼女は手を組んだ。

「――続きがあります」

「無理をなさらないでください」セレナは言った。

「無理ではありません」娘は言った。「出てくるうちに、言わせてください。また閉じたら、次はないかもしれません」

 ラウルが妹の隣に椅子を寄せた。

 ヴィオラは目を閉じた。

「叔父さまは、わたくしを別棟へ連れていかれました」

 セレナは筆を取った。書き取る。声を出さずに。

「書斎です。香が濃くて、息が苦しかった」娘は言った。「叔父さまは、机の上に何かを置かれました」

「何を」

「――匣です」

 彼女は目を開けた。

「わたくしが持っていたのと、同じ形の。黒い漆に、螺鈿の蔓草」

 ラウルが身を乗り出した。

「二つ目の匣か」

「はい」ヴィオラは言った。「叔父さまは、蓋を開けられました」

「中身は」

 娘は、しばらく黙った。

「――空でした」

 セレナは筆を止めた。

「空?」

「瓶が二十四本入る仕切りがありました」彼女は言った。「ですが、瓶は一本もありませんでした」

「では、中身は」

「叔父さまが、こうおっしゃいました」ヴィオラは言った。「この匣は、お前の母が使い切った、と」

 土間が静かになった。

「使い切った、というのは」

「わかりません」娘は首を振った。「ですが、叔父さまはこう続けられました」

 彼女は息を吸った。

「――お前の母は、二十年かけてこの街に薬を運んだ。私はそれを受け継いだだけだ、と」

 ラウルが立ち上がった。

 椅子が倒れた。

「――嘘だ」

「兄さま」

「母がそんなことをするか」

「兄さま、座ってください」

 ヴィオラは兄の袖を掴んだ。

 彼は妹を見下ろし、それから椅子を起こして座り直した。手が震えていた。

「わたくしも、そのとき同じことを申しました」娘は言った。「嘘です、と」

「叔父は」

「笑われました」

 彼女は膝の上で手を組み直した。

「そして、こうおっしゃいました。ならば、なぜお前の匣に灰華が入っている、と」

 セレナは、筆を置いた。

 その論法は、正確だった。

 母の匣に灰華が入っている。それは事実だ。事実を突きつけられた十七の娘に、反証の手段はない。

「ヴィオラ様」彼女は言った。「そのあと、あなたはどうされましたか」

 娘は目を閉じた。

 長い沈黙があった。

「――わかりません」

「そこまでですか」

「そこまでです」ヴィオラは言った。「書斎を出たところで、途切れています」

 セレナは書き取りを見た。

 十の月の終わり、組合で材料の相談。

 十一の月、組合で再確認。帰り際に叔父と遭遇。別棟の書斎へ。空の匣を見せられる。母が二十年運んだと告げられる。

 そして、そこから記憶が途切れる。

「ヴィオラ様。書斎で、何か嗅ぎませんでしたか」

 娘が目を開けた。

「――香が濃かった、と申し上げました」

「はい」

「あれは、いつもの香です」彼女は言った。「乳香と白檀と丁子。叔父さまはいつもあれを焚いておられます」

「他には」

「わかりません」

 セレナは、三月前を思い出した。

 あの書斎の香は、濃すぎた。金をかけた人間の部屋の匂いだと、そのときは思った。

 ――違う。

 あれだけ焚けば、他の匂いは全部沈む。

「ラウル様」彼女は言った。「あの書斎の香は、隠すためのものです」

 彼が顔を上げた。

「何を隠す」

「わかりません」セレナは言った。「ですが、六年前、ヴィオラ様はあの部屋で記憶を失っています」


 その夜、ヴィオラは早く休んだ。

 商会の三階、六年ぶりの自分の部屋だ。マルタが寝具を全部替えていた。

 セレナは事務室に残った。

「明日、書斎へ行きます」

「駄目だ」ラウルが即座に言った。

「三月前も、同じことを言われました」

「三月前とは状況が違う」彼は言った。「向こうは既に王都を呼んでいる。組合を封じている。あんたが一人で入ったら、出てこられん保証がない」

「では、どうされますか」

「――俺が行く」

「あなたも同じです」

 二人は睨み合った。

 やがて、ラウルが息を吐いた。

「一つ、訊いていいか」

「はい」

「あの書斎に、何があると思っている」

 セレナは、机の上で指を組んだ。

「二十四本です」

「――空の匣の、中身か」

「はい」彼女は言った。「母の匣は二つありました。一つは調香の匣。二十四本、私たちが持っています」

「もう一つは空だった」

「六年前は空でした」セレナは言った。「ですが、三月前に南から運び出されています」

 ラウルの目が動いた。

「――中身を入れて、運んできたのか」

「そう考えると、筋が通ります」彼女は言った。「六年前、叔父さまは空の匣をヴィオラ様に見せました。空だから見せられたんです」

「中身があったら」

「見せません」

 セレナは窓の外を見た。

「そして三月前、私が雇われた。灰華の経路が危うくなった」彼女は言った。「だから南から中身を取り寄せた」

「――なぜ南に中身があった」

「原料が南にあるからです」セレナは言った。「畑と、林と、山があります。焙る前の状態なら、いくらでも作れます」

 彼女は指を折った。

「三の段は二十番の畑。四の段より上は母の木の林。灰華は山のどこかでしょう」

「では、二十四本は」

「南で採れるもの全部だと思います」

 ラウルは机に肘をついた。

「セレナ。あんたは、母がそれを運んでいたと思うか」

 彼女は、答えに時間をかけた。

「――可能性はあります」

「どういう可能性だ」

「一つ目は、叔父さまの言った通りである場合です」セレナは言った。「お母様が、二十年かけてこの街に薬を運んだ」

「二つ目は」

「お母様は香料を運んでいて、その中に薬が混ざっていた場合です」彼女は言った。「南の山で採れるものを、母方の家から嫁ぎ先へ持ってくる。それは自然なことです。その中に、危険なものが含まれていた」

「知らずにか」

「知っていたと思います」セレナは言った。「匣に番号が振ってありました。あれは、区別している人の仕事です」

「では、知っていて運んだのか」

「はい。ですが、何のために運んだかは、別の話です」

 彼女は顔を上げた。

「保管者の匣だと、私は最初に言いました」

 ラウルが眉を寄せた。

「保管」

「危険なものを、誰にも渡さずに持っておく」セレナは言った。「番号だけをつけて、名前を書かない。名前を書けば、誰かが探せるようになるからです」

「――隠していたのか」

「その可能性もあります」

 彼女は机の上の匣を見た。

 二十四本。四本が目録外。

「そして、お母様が亡くなった翌年から、受け取りは叔父さまになっています」セレナは言った。「隠していた人がいなくなって、使う人が現れた」

 ラウルは長く黙っていた。

「――どちらだ」

「わかりません」

「わからないままか」

「一つだけ、確かめる方法があります」

 彼女は言った。

「南で、樹脂の採り方を見ました」セレナは言った。「木を殺さない切り方でした。二十年、正しく管理されています」

「それがどうした」

「薬を運ぶだけの人間は、林の手入れをしません」彼女は言った。「山を荒らして、採れるだけ採ります」

 彼女は椅子から立ち上がった。

「あの林を管理してきたのが誰かがわかれば、お母様が何をしていたかがわかります」

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