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奪われた香りは、私のものです ~王家御用達の調香師見習いは、追われた辺境で自分の工房を持つことにした~  作者: やまご


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第二十四話 二十番と二十三番

 残り二本を検分したのは、その日の夜だった。

 セレナは条件を厳しくした。土間の戸を全部開け、風上に炉を置き、リタは商会の物置に泊まらせた。ラウルは路地の入口に立った。

「合図をしたら、水をかけてください」彼女は言った。「私が三つ数えて動かなかったら、引きずり出してください」

「そんな状況になるなら、やるな」

「なりません。備えです」

 二十番。

 瓶を開けると、乾いた葉が入っていた。細かく砕いてある。何の葉かはわからない。

 布越しに、遠くから嗅ぐ。

 ――土の匂いだ。

 乾いた土と、少し青い匂い。ありふれている。ありふれすぎている。

 セレナは炉に灰を敷き、ひとつまみ落とした。

 熱が入る。

 葉が縮み、細い煙が上がった。

 匂いが変わった。

 ――青くなった。

 乾いた土の匂いが引いて、生の草を折ったときの匂いが立った。強くはない。だが、はっきりと若い。

 セレナは半歩下がって、もう一度嗅いだ。

 喉が渇いた。

 ――違う。渇いたのではない。

 舌の奥に、唾が湧いている。空腹のときの湧き方だった。夕飯を食べたばかりなのに、腹が鳴った。

 彼女は炉に水をかけ、外に出た。

「どうだ」

「食欲が出ます」

 ラウルが眉を寄せた。

「――なに」

「焙ると青い匂いが出て、腹が減ります」セレナは井戸の水を飲んだ。「今、はっきり空腹です。夕飯は二刻前に食べました」

「毒ではないのか」

「毒ではないと思います」彼女は言った。「これは、食べさせるための粉です」

 ラウルの表情が変わった。

「――食べさせる」

「六年前、あなたは半年で骨と皮になったと、マルタさんが言っていました」

 彼の顔から色が引いた。

「味がわからない人間は、量の加減もわからなくなる。放っておくと食べなくなる」セレナは言った。「そこで、食欲を出す粉を使えば」

「食う」

「食います」彼女は言った。「そして、食べれば食べるほど、灰華も入ります」

 井戸端が静かになった。

 ラウルは長いこと、動かなかった。

「――生かすためか」

「そう見えます」

「なぜ生かす」

「わかりません」セレナは言った。「ですが、殺すつもりなら、六年もかけません」

 彼女は自分の腹に手を当てた。まだ空腹の感覚が残っている。

「二十番は、あなたを生かしていました」


 二十三番は、最後だった。

 瓶を開けると、油が入っていた。琥珀色で、粘りがある。量は瓶の三分の一。

 匂いは、ほとんどしない。

 セレナは炉に小皿を置き、油を一滴だけ落とした。

 熱が入る。

 ――何も起きない。

 温度を上げた。

 油が薄く広がり、縁から泡が立った。

 匂いが、来た。

 セレナは布越しに吸って、そのまま動きを止めた。

 ――知っている。

 乾いた柑橘の皮。雨のあとの樹脂。一晩だけ火にかけた蜂蜜。

 違う。全部違う。

 だが、構造が同じだった。

 冷たいものが最初に来て、後から甘さが追いかけてくる。前を引く線と、後ろで支える面。三年かけて彼女が組んだ、あの形。

 セレナは炉の前にしゃがみ込んだ。

 膝が笑っていた。

「セレナ」

 路地からラウルの声がした。

「――大丈夫です」

「三つ数えるぞ」

「大丈夫です。水をかけないでください」

 彼女はもう一度、湯気に顔を寄せた。

 これは香料ではない。完成品だ。

 誰かが調合した香が、油に溶けた形で瓶に入っている。

 そして、それは彼女が三年かけて辿り着いたものと、同じ骨格をしていた。


 炉の火を落として外に出ると、ラウルが路地の入口から歩いてきた。

「顔色が悪い」

「二十三番は、香料ではありません」セレナは言った。「調合済みの香です」

「誰の」

「わかりません」

 彼女は井戸の縁に手をついた。

「ですが――私が王都で作ったものと、構造が同じです」

 ラウルが足を止めた。

「同じ、というのは」

「組み方です」セレナは言った。「材料は違います。ですが、前に立つものと後ろで支えるものの関係が、そっくりです」

「偶然か」

「あり得ます」彼女は言った。「香の組み方には型があります。同じ型を使えば、似た形になります」

「だが、あんたはそう思っていない」

 セレナは、答えなかった。

 思っていない。

 三年かけて、何百回もやり直した。師の教えた型からは外れていた。ガレル師には「無駄が多い」と言われ続けた。前を引く線を細くして、後ろを厚くする。あれは彼女が自分で見つけた比率だった。

 その比率が、十六年以上前に死んだ女の匣の中にある。

「ラウル様」セレナは言った。「お母様は、どこで香を学ばれましたか」

「母方の家だ。代々やっている」

「その家は、どこにありますか」

「南だ」ラウルは言った。「河口から船で四日。母方の領地はそこにある」

「妹さんがおられる場所ですね」

「そうだ」

 セレナは井戸の水面を見た。細い月が映っている。

「南」彼女は言った。「灰華が採れる方角と、同じですね」


 その夜、事務室で、二人は匣の目録を完成させた。

 二十四本。二十本は目録に載る香料。

 四本が、目録外。

 十一番、焙ると甘い匂い、痺れ、記憶に作用。

 十五番、灰華。焙ると嗅覚を奪う。

 二十番、焙ると青い匂い、食欲を出す。

 二十三番、調合済みの香。用途不明。

「三つは薬だ」ラウルが言った。「一つだけ、香だ」

「はい」

「なぜ一つだけ混ざっている」

 セレナは目録を見下ろした。

 二十三番だけが、他と違う。他の三本は原料だ。二十三番は、誰かが作った完成品だ。

「――見本ではないでしょうか」

「見本」

「この匣は、番号順に並んでいます」彼女は言った。「一番から二十二番まで原料。二十三番だけが完成品。二十四番は」

「二十四番は何だった」

「乳香です。ごく普通の」セレナは言った。「余りを足したように見えます」

「では、二十三番が最後だな」

「はい」

 彼女は瓶を並べ直した。

「この匣は、教材かもしれません」

 ラウルが顔を上げた。

「教材」

「原料を二十二本、番号順に並べて、最後に完成品を一本入れる」セレナは言った。「これで香を教えるなら、順番として自然です」

「誰に教える」

「――娘に」

 部屋が静かになった。

 ラウルの手が、机の上で止まった。

「母は、妹に香を教えるつもりだったのか」

「妹さんは一つでした」セレナは言った。「お母様が亡くなられたとき」

「ああ」

「教えられないまま、匣だけが残った」彼女は言った。「そして十六年後、妹さんが自分で開けた」

 ラウルは目を閉じた。

「――番号の意味を、誰も教えないままか」

「はい」

「灰華も、記憶を奪う粉も、番号でしかない」

「はい」

 セレナは目録に手を置いた。

「妹さんは、十七で祭の香を任されました。母親の匣を開けて、番号だけを頼りに組もうとした」彼女は言った。「そして、九本試して、記憶を失いました」

 ラウルは長く息を吐いた。

「――誰が渡した」

「え」

「六年前、この匣を妹に渡したのは誰だ」彼は目を開けた。「母は十六年前に死んだ。匣はどこかに仕舞われていたはずだ。十七の妹が、自分で見つけたのか?」

 セレナは筆を置いた。

 その問いを、まだ立てていなかった。

「――渡した人間がいますね」

「いる」

 二人は顔を見合わせた。

 答えは、たぶん一つしかなかった。

 だが、確かめる方法が一つだけある。

「ラウル様」セレナは言った。「祭が終わったら、南へ行きましょう」

 彼が目を上げた。

「妹に会いに行くのか」

「はい」

「行けば露見すると、あんたは言った」

「祭の前は、そうです」セレナは言った。「祭が終われば、こちらの準備は全部整います」

 彼女は目録を巻いた。

「それに、そろそろ露見してもいい頃です」

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