第十三話 返事は二通来た
最初の返事が届いたのは、四日後の午後だった。
河港の便船が母方の領地から週に二度出る。封蝋は青。押されているのは、蔓草に絡んだ小鳥の紋だった。
ラウルは事務室でそれを開き、二度読んでから、セレナに渡した。
「読め」
字は丸かった。三階の棚の札と同じ字だった。ただ、線が細い。書き慣れていない人の細さではなく、力を抜いて書く癖のついた人の細さだった。
――兄さま。
――お手紙、ありがとうございます。こちらは変わりありません。庭の梨が今年はよく実りました。
――お尋ねの件ですが、やはり覚えておりません。申し訳ございません。
――あの日のことは、思い出そうとすると頭の芯が痛みます。医者はそういうこともあると申しました。
――兄さまがお元気であれば、それでよろしいのです。
――どうかもう、お調べにならないでください。
――ヴィオラ
セレナは三度読んだ。
「いつも通りだ」ラウルが言った。「六年、同じことしか書いてこない」
「二通目は、いつ着きますか」
「今日か明日だ。一日空けて出した」
セレナは手紙を卓に置き、指で紙の縁をなぞった。
紙は上等だった。皺がない。インクの滲みもない。
「この手紙は、封をする前に誰かが読んでいます」
ラウルが顔を上げた。
「なぜわかる」
「文の並びです」セレナは言った。「梨の話から、覚えていないという話へ、繋ぎがありません。それから最後の一行。どうかもう、お調べにならないでください。ここだけ、他の文と息が違います」
「息」
「先に本文があって、後からこの一行を足したように読めます」
彼女は手紙を光に透かした。
「それに、この紙は一度も折られた跡がない」
「封筒に入れれば折るだろう」
「折り目が一箇所しかありません」セレナは折り目を指した。「三つ折りにするなら二本つくはずです。これは、大きな封筒にそのまま入れて運ばれています。便船の袋ではなく、誰かが手で持ってきた」
ラウルの顔が険しくなった。
「配達は誰がしている」
「それを、伺いたいのです」
便船の荷を受け取るのは、河港の商会の詰所だった。
セレナが訊きに行くと、荷役の若いのが首をひねった。
「領地からの便は、いつも先に別棟へ回るんですよ」
「別棟へ」
「はい。ジョスラン様が母方のご縁でいらっしゃるんで、あちらの分と一緒に届くんです。仕分けてから母屋へ」
セレナは礼を言って、詰所を出た。
坂を登りながら、腹の底が冷えていくのを感じた。
六年間、妹の手紙は全部、叔父の手を通っている。
二通目は、翌日の朝に届いた。
同じ青い封蝋。同じ紋。
ラウルが開いた。
中身は、一通目とほとんど同じだった。梨のこと。変わりないこと。覚えていないこと。そして最後に――どうかもう、お調べにならないでください。
ただし、一行だけ違った。
文の途中に、こう書かれていた。
――兄さま、香のことはもうお忘れください。あれはわたくしの過ちでした。
ラウルは紙を握りしめた。
「――俺は」彼の声が掠れた。「二通目で、誰かに言われ続けていないかと訊いた。それに対して、あいつはこう書いてきた」
「はい」
「訊いていないことに答えている」
セレナは頷いた。
誰かに言われていないか、と訊かれて、自分の過ちだと答える。答えとして噛み合っていない。噛み合っていないのは、質問を読んでいない人間が返事を書いたときだ。
あるいは。
「ラウル様」セレナは言った。「妹さんは、質問を読んでいます」
「なに」
「読んでいなければ、香の話は出てきません。あなたは二通目に、香とは書かなかったはずです」
ラウルが手紙を見下ろした。
「――書いていない」
「読んだ上で、答えをずらしているんです」
部屋が静かになった。
セレナは二通の手紙を並べた。同じ紙、同じ字、同じ文型。六年分、こうして並べたら全部同じだろう。
「妹さんは、監視されていることを知っています」彼女は言った。「知っていて、六年間、同じ手紙を書き続けている」
「なぜだ」
「書かなければ、もっと悪いことになるからです」
ラウルは椅子に座り込んだ。両手で顔を覆った。
しばらく、部屋には河港の音しかしなかった。荷揚げの掛け声、車輪、鳥。
「――行く」彼が言った。「領地へ行く。連れ戻す」
「おやめください」
「なぜだ」
「連れ戻せば、あなたが動いたことが確定します」セレナは言った。「今はまだ、こちらが何を知っているか、向こうにはわかりません。台所を止めたのは、目利きの気まぐれで通せます。ですが当主が領地へ走れば、全部露見します」
「妹が六年、閉じ込められていたんだぞ」
「はい」
「あんたは冷たいな」
言われて、セレナは一瞬、息が詰まった。
冷たい。王都でも言われた言葉だった。ミレイユが泣いているとき、ガレル師が倒れたとき、彼女はいつも先に手順を数えていた。
「冷たいです」セレナは言った。「ですが、私が熱くなったところで、あなたの鼻は戻りませんし、妹さんも帰ってきません」
ラウルが顔を上げた。
「――すまん」
「謝らないでください。時間が惜しい」セレナは紙を出した。「手紙を書きましょう。ただし今度は、読まれることを前提に」
「どういうことだ」
「私たちが読ませたい内容を書きます」
ラウルの目が、ゆっくりと商人のそれに戻った。
「――誘い出すのか」
「いいえ。安心させます」セレナは言った。「調べるのをやめた、と書いてください。台所の件は目利きの提案で、香りの下地を整えるためだった。あなたは鼻のことはもう諦めている。妹には会いたいが、無理はさせない。そう書く」
「嘘を書けと」
「嘘ではありません。しばらく本当にそうします」
「調べを止めるのか」
「止めません。場所を変えます」セレナは言った。「この家の中で調べるのをやめます。代わりに、南の荷を調べます」
その夜、セレナは物置の窓辺で紙を広げた。
リタが眠ったあと、灯を一本だけ点けて、これまでのことを書き出していく。
灰華は南でしか採れない。
焙る技術が要る。
ジョスランは南方交易を仕切っていた。六年前に管轄を取り上げられた。
――取り上げられた後も、供給は続いている。
ここだ、とセレナは思った。
管轄を失った人間が、六年間、南の品を手に入れ続けている。個人の趣味で少量、と言われれば通る。だが灰華は自然には手に入らない。焙る職人がいて、運ぶ船があって、通す港がある。
その線のどこかに、必ず帳簿に残らない荷がある。
残らない荷は、残らないという形で残る。
セレナは筆を止めた。
帳簿を読むのは、自分の仕事ではない。
翌朝、彼女は事務室の扉を叩いた。
「お願いがあります」
「言え」
「南方交易の帳簿を、六年分見せてください」
ラウルが眉を上げた。
「あんた、帳簿が読めるのか」
「読めません」セレナは言った。「読めるのは、あなたです」
彼はしばらく彼女を見て、それから立ち上がった。
壁一面の棚に歩いていき、下から二段目の背表紙に指をかける。
「六年分だな」
「はい。それと、もう一つ」
「なんだ」
「私は香料の名前を全部言えます。等級も、産地も、相場も」セレナは言った。「数字を読むあなたと、品物を知っている私で、突き合わせましょう。合わない行が必ずあります」
ラウルの口の端が上がった。
六年前に鼻を失ってから、この男がはじめて自分の武器で戦える場所に立った瞬間だった。
「――面白い」
彼は帳簿を三冊、まとめて抜き取った。




