↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奪われた香りは、私のものです ~王家御用達の調香師見習いは、追われた辺境で自分の工房を持つことにした~  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/57

第十三話 返事は二通来た

 最初の返事が届いたのは、四日後の午後だった。

 河港の便船が母方の領地から週に二度出る。封蝋は青。押されているのは、蔓草に絡んだ小鳥の紋だった。

 ラウルは事務室でそれを開き、二度読んでから、セレナに渡した。

「読め」

 字は丸かった。三階の棚の札と同じ字だった。ただ、線が細い。書き慣れていない人の細さではなく、力を抜いて書く癖のついた人の細さだった。


 ――兄さま。

 ――お手紙、ありがとうございます。こちらは変わりありません。庭の梨が今年はよく実りました。

 ――お尋ねの件ですが、やはり覚えておりません。申し訳ございません。

 ――あの日のことは、思い出そうとすると頭の芯が痛みます。医者はそういうこともあると申しました。

 ――兄さまがお元気であれば、それでよろしいのです。

 ――どうかもう、お調べにならないでください。

 ――ヴィオラ


 セレナは三度読んだ。

「いつも通りだ」ラウルが言った。「六年、同じことしか書いてこない」

「二通目は、いつ着きますか」

「今日か明日だ。一日空けて出した」

 セレナは手紙を卓に置き、指で紙の縁をなぞった。

 紙は上等だった。皺がない。インクの滲みもない。

「この手紙は、封をする前に誰かが読んでいます」

 ラウルが顔を上げた。

「なぜわかる」

「文の並びです」セレナは言った。「梨の話から、覚えていないという話へ、繋ぎがありません。それから最後の一行。どうかもう、お調べにならないでください。ここだけ、他の文と息が違います」

「息」

「先に本文があって、後からこの一行を足したように読めます」

 彼女は手紙を光に透かした。

「それに、この紙は一度も折られた跡がない」

「封筒に入れれば折るだろう」

「折り目が一箇所しかありません」セレナは折り目を指した。「三つ折りにするなら二本つくはずです。これは、大きな封筒にそのまま入れて運ばれています。便船の袋ではなく、誰かが手で持ってきた」

 ラウルの顔が険しくなった。

「配達は誰がしている」

「それを、伺いたいのです」


 便船の荷を受け取るのは、河港の商会の詰所だった。

 セレナが訊きに行くと、荷役の若いのが首をひねった。

「領地からの便は、いつも先に別棟へ回るんですよ」

「別棟へ」

「はい。ジョスラン様が母方のご縁でいらっしゃるんで、あちらの分と一緒に届くんです。仕分けてから母屋へ」

 セレナは礼を言って、詰所を出た。

 坂を登りながら、腹の底が冷えていくのを感じた。

 六年間、妹の手紙は全部、叔父の手を通っている。


 二通目は、翌日の朝に届いた。

 同じ青い封蝋。同じ紋。

 ラウルが開いた。

 中身は、一通目とほとんど同じだった。梨のこと。変わりないこと。覚えていないこと。そして最後に――どうかもう、お調べにならないでください。

 ただし、一行だけ違った。

 文の途中に、こう書かれていた。

 ――兄さま、香のことはもうお忘れください。あれはわたくしの過ちでした。


 ラウルは紙を握りしめた。

「――俺は」彼の声が掠れた。「二通目で、誰かに言われ続けていないかと訊いた。それに対して、あいつはこう書いてきた」

「はい」

「訊いていないことに答えている」

 セレナは頷いた。

 誰かに言われていないか、と訊かれて、自分の過ちだと答える。答えとして噛み合っていない。噛み合っていないのは、質問を読んでいない人間が返事を書いたときだ。

 あるいは。

「ラウル様」セレナは言った。「妹さんは、質問を読んでいます」

「なに」

「読んでいなければ、香の話は出てきません。あなたは二通目に、香とは書かなかったはずです」

 ラウルが手紙を見下ろした。

「――書いていない」

「読んだ上で、答えをずらしているんです」

 部屋が静かになった。

 セレナは二通の手紙を並べた。同じ紙、同じ字、同じ文型。六年分、こうして並べたら全部同じだろう。

「妹さんは、監視されていることを知っています」彼女は言った。「知っていて、六年間、同じ手紙を書き続けている」

「なぜだ」

「書かなければ、もっと悪いことになるからです」

 ラウルは椅子に座り込んだ。両手で顔を覆った。

 しばらく、部屋には河港の音しかしなかった。荷揚げの掛け声、車輪、鳥。

「――行く」彼が言った。「領地へ行く。連れ戻す」

「おやめください」

「なぜだ」

「連れ戻せば、あなたが動いたことが確定します」セレナは言った。「今はまだ、こちらが何を知っているか、向こうにはわかりません。台所を止めたのは、目利きの気まぐれで通せます。ですが当主が領地へ走れば、全部露見します」

「妹が六年、閉じ込められていたんだぞ」

「はい」

「あんたは冷たいな」

 言われて、セレナは一瞬、息が詰まった。

 冷たい。王都でも言われた言葉だった。ミレイユが泣いているとき、ガレル師が倒れたとき、彼女はいつも先に手順を数えていた。

「冷たいです」セレナは言った。「ですが、私が熱くなったところで、あなたの鼻は戻りませんし、妹さんも帰ってきません」

 ラウルが顔を上げた。

「――すまん」

「謝らないでください。時間が惜しい」セレナは紙を出した。「手紙を書きましょう。ただし今度は、読まれることを前提に」

「どういうことだ」

「私たちが読ませたい内容を書きます」

 ラウルの目が、ゆっくりと商人のそれに戻った。

「――誘い出すのか」

「いいえ。安心させます」セレナは言った。「調べるのをやめた、と書いてください。台所の件は目利きの提案で、香りの下地を整えるためだった。あなたは鼻のことはもう諦めている。妹には会いたいが、無理はさせない。そう書く」

「嘘を書けと」

「嘘ではありません。しばらく本当にそうします」

「調べを止めるのか」

「止めません。場所を変えます」セレナは言った。「この家の中で調べるのをやめます。代わりに、南の荷を調べます」


 その夜、セレナは物置の窓辺で紙を広げた。

 リタが眠ったあと、灯を一本だけ点けて、これまでのことを書き出していく。

 灰華は南でしか採れない。

 焙る技術が要る。

 ジョスランは南方交易を仕切っていた。六年前に管轄を取り上げられた。

 ――取り上げられた後も、供給は続いている。

 ここだ、とセレナは思った。

 管轄を失った人間が、六年間、南の品を手に入れ続けている。個人の趣味で少量、と言われれば通る。だが灰華は自然には手に入らない。焙る職人がいて、運ぶ船があって、通す港がある。

 その線のどこかに、必ず帳簿に残らない荷がある。

 残らない荷は、残らないという形で残る。

 セレナは筆を止めた。

 帳簿を読むのは、自分の仕事ではない。


 翌朝、彼女は事務室の扉を叩いた。

「お願いがあります」

「言え」

「南方交易の帳簿を、六年分見せてください」

 ラウルが眉を上げた。

「あんた、帳簿が読めるのか」

「読めません」セレナは言った。「読めるのは、あなたです」

 彼はしばらく彼女を見て、それから立ち上がった。

 壁一面の棚に歩いていき、下から二段目の背表紙に指をかける。

「六年分だな」

「はい。それと、もう一つ」

「なんだ」

「私は香料の名前を全部言えます。等級も、産地も、相場も」セレナは言った。「数字を読むあなたと、品物を知っている私で、突き合わせましょう。合わない行が必ずあります」

 ラウルの口の端が上がった。

 六年前に鼻を失ってから、この男がはじめて自分の武器で戦える場所に立った瞬間だった。

「――面白い」

 彼は帳簿を三冊、まとめて抜き取った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。