毒矢、そして撤退
膝から崩れ落ちた一人を皮切りに、戦況は一気にこちらへ傾いた。
ライラスが二人目を追い詰め、俺の地形ハックがその足場を崩す。刺客の統率は、明らかに乱れ始めていた。
「――退くぞ」
残った一人が、低く仲間に告げた。だが、その声には、まだ隠された余裕があるようにも聞こえた。
「逃がすか!」
俺は追撃をかけようとした。だが、その瞬間だった。
「――アナスタシア!」
ライラスの叫び声が響いた。
振り返った俺の目に映ったのは、退くと見せかけた刺客の一人が、最後の力を振り絞るようにして放った、一筋の矢だった。
狙いは、俺でもライラスでもない。戦況を左右する力を持つ、アナスタシアだった。
「――っ!」
彼女は咄嗟に光の盾を展開しようとした。だが、間に合わなかった。矢は、彼女の肩口に深々と突き刺さった。
[ 異物混入を検知 ]
[ 分類:神経毒(未知系統) ]
デバッグ空間に浮かんだ文言を見て、俺の背筋が凍りついた。
「アナスタシア!」
彼女は、声も出せずにその場に崩れ落ちた。苦悶の表情で肩口を押さえる姿に、俺は反射的に駆け寄ろうとした。矢が刺さったのは、致命傷になりうる位置ではない。それでも、彼女の顔色は見る間に青白く変わっていき、ただの外傷とは明らかに違う異変を示していた。
だが、それこそが狙いだった。
俺たちの意識が一瞬、完全にアナスタシアへ向いた、その隙を突いて、矢を放った刺客が身を翻し、闇の中へと消えていった。
「――待て!」
追おうとした俺の腕を、ライラスが強く掴んだ。
「今は嬢ちゃんが先だ! 追うのは後でもできる!」
その言葉に、俺は歯を食いしばりながら足を止めた。刺客を取り逃した悔しさよりも、目の前で苦しむアナスタシアの姿の方が、遥かに重かった。
「アナスタシア、しっかりしろ! 意識を保て!」
彼女の顔から、みるみる血の気が引いていく。額には脂汗が滲み、呼吸が浅く、速くなっていた。
「――カイト……」
絞り出すような声。それだけ言うのが精一杯なのか、続く言葉は出てこなかった。
倒れた刺客たちのうち、二人は完全に沈黙していた。もう一人は深手を負いながらも、すでにこの場から消えていた。戦闘には、確かに勝った。それでも、その勝利は、とても勝利とは呼べない代償を伴っていた。
「毒だ。それも、かなり悪質な奴だ」
ライラスが、傷口を確認しながら、声を低くした。
「持ち合わせの解毒薬じゃ、多分足りない」
その一言が、奈落の闇の中に、重く響いた。
「最初から、これが狙いだったのか」
俺は、逃げ去った刺客の後ろ姿を思い返しながら呟いた。正面からの死闘は、時間稼ぎに過ぎなかったのかもしれない。本当の狙いは、最初から毒矢の一撃――生かさず、しかし確実に苦しめる形での口封じ。そう考えると、あの妙に含みのある声も、腑に落ちる気がした。
「今は、それを考えても仕方ない。運べるか」
「ああ」
俺はアナスタシアを背負おうとするライラスに手を貸しながら、必死に自分を落ち着かせようとしていた。頭のどこかで、冷静さを失えば全てが終わるという感覚だけが、はっきりとあった。




