事故の欠片
視界の端で、文字列がゆっくりと形を結んでいく。
ノイズ混じりのその表示は、これまで目にしてきたどの断片とも質が違っていた。単なる記録の欠片ではない。もっと生々しい、警告に近い響きを持った文言だった。
[ 異常検出:管理者権限の断片的流出 ]
[ 発生時刻:大規模同時接続イベント中 ]
[ 原因:システム過負荷による資格情報の誤紐付け ]
俺は、その一文一文を、声に出さずに何度も読み返した。
「大規模同時接続イベント」――それが何を指すのか、考えるまでもなかった。駅前ロータリーで見た、あの赤く光るエラー警告枠。見ず知らずの人間が一網打尽に転移させられた、あの瞬間だ。
「誤紐付け……」
思わず声が漏れた。
「どうした、カイト」
ライラスの問いに、俺はすぐには答えられなかった。デバッグ空間の奥、まだ完全には像を結ばない領域に、さらに続きの文言があることに気づいたからだ。俺は意識を絞り、その断片を引きずり出すようにして読み進めた。
[ 対象:異常個体(識別コード未確定) ]
[ 状態:資格情報の一部が対象に定着。回収不能 ]
「――定着。回収不能」
その二語を、俺は口の中で何度も転がした。まるで、自分自身に判決が下されたような感覚だった。だが、恐怖よりも先に、奇妙な納得感の方が勝った。長年抱えてきた違和感の正体に、ようやく手が届いた――そんな感触だった。
俺は端末から意識を引き上げ、ようやく二人に向き直った。
「今、見えたものを話す。多分、これが『適性:???』の答えだ」
俺は、断片の内容を一つずつ言葉にしていった。俺たちが転移させられたあの瞬間――規格外の人数を一度に呼び込んだせいで、この世界のシステムそのものが処理しきれない負荷を抱えていたらしいこと。その混乱の中で、本来この世界を作った側――「開発者」と呼ぶべき存在――が残していった管理者権限の断片が、誰のものでもない形で漂い、たまたま俺のアカウントに紐付いてしまったらしいこと。
「つまり、俺は特別に選ばれたわけでも、生まれ変わりでも何でもない。ただの事故だ。開発側の忘れ物が、たまたま俺に貼りついた。それだけの話だったってことになる」
言葉にしてみると、拍子抜けするほど単純な話だった。だが、その単純さが、かえって重く胸に響いた。
「Read-Onlyなのも、これで説明がつく。俺のステータスは、開発者権限の一部として扱われてる。だから通常の書き換えが利かない。デバッガーとして深層に触れられるのも、同じ理由だ。適性という項目自体が、俺というプレイヤーの属性じゃなくて、管理側の断片に対しては最初から意味を持たない――だから『???』としか表示できなかった、ってことなんだと思う」
「――待てよ」
自分で言いながら、引っかかりを覚えた。
「Read-Onlyだとしたら、これまでのレベルアップで数値が上がってきたのは、何だったんだ」
少し考えて、自分なりの答えに行き着いた。
「多分、Read-Onlyが弾いてるのは、外から――俺のハックも含めて――勝手に割り込んでくる書き換えなんだと思う。レベルアップは、それとは向きが逆だ。俺が数値を動かしにいくんじゃなくて、システムの中枢の方から、経験値の結果として数値が送られてくる。書き換えというより、向こうからの承認付きの通知、って感じに近いんだろうな」
ライラスは、しばらく黙って火を見つめていた。
「教典の話と、繋がってくるな。あれが、システムを扱うための知識が神格化されたものだとすれば……開発者由来のものが、この世界に紛れ込むこと自体、前例が皆無ではなかったのかもしれん」
「かもな」
「もう一つ、気になることがある」
ライラスが続けた。
「その断片とやらが、坊主に定着したのが事故なら――同じような事故が、他の誰かにも起きていないとは限らんだろう」
その指摘に、俺は思わず息を呑んだ。考えてもみなかった可能性だった。だが今は、それを深追いする材料がない。頭の片隅に留めておくしかなかった。
俺は自分の手のひらを見下ろした。何も変わらない、いつも通りの手だ。だが、そこに宿っているものの正体が、想像していたよりずっと不安定で、頼りないものだったという事実が、じわじわと染み込んでくる。
特別な使命も、選ばれた理由もない。ただ、事故で権限を拾ってしまった、それだけの人間。安堵に近い感情と、得体の知れない不安が、同時に胸の中で渦を巻いた。
これまで、自分がなぜこの世界に、こんな中途半端な形で紛れ込んだのか、何度も考えてきた。特別な使命があるのではないか、あるいは、何か大きな意味がこの状況に隠されているのではないかと、心のどこかで期待していた部分もあったかもしれない。だが、答えは驚くほど無機質だった。ただの事故。ただの誤った紐付け。世界の裏側にあるシステムにとって、俺という存在は、修正すべきエラーの一つに過ぎなかったのだ。もしこの断片が、いつか本来の持ち主に呼び戻されるとしたら。あるいは、これ自体が何らかの形で不安定化するとしたら――考え出せば、切りがなかった。
しばらくの沈黙のあと、俺は改めてライラスに尋ねた。
「この権限が、いつか元の持ち主に回収されるとしたら、俺はどうなる」
「分からん。可能性の話をしても、今は仕方あるまい」
「そうだな」
答えのない問いだと分かっていて、それでも口にせずにいられなかった。ライラスは、それ以上深く踏み込まず、ただ静かに焚き火に薪をくべた。その気遣いが、今はありがたかった。
「――借り物、なのは、私と同じだな」
アナスタシアが、ぽつりと呟いた。
「与えられた力も、拾ってしまった権限も、本人の意志とは関係なく貼りつけられたものだ、という点では」
皮肉げな、それでいてどこか優しさの滲む声だった。俺は何も言わず、ただ小さく頷いた。今はそれだけで、十分な気がした。




