深部への道
俺たちが管理端末跡から撤退してから、五日が過ぎていた。
キャッシュ領域での休息は、思っていたよりも長引いた。ライラスの言葉通り、あの激戦を立て続けにこなせるほど、俺たちは万能ではない。傷こそ癒えても、心の方はそう簡単には整理がつかなかった。
その五日間、表向きは普段通りの暮らしが続いた。アナスタシアは相変わらず光属性の力の練習を続け、時折それが安定して発動する瞬間を見せた。ライラスは薪を割り、罠を仕掛け、いつもと変わらない飄々とした調子で日々をこなしていた。だが、誰の目にも、その裏に張り詰めたものがあるのは明らかだった。夜、焚き火を囲む時間が減り、代わりに一人でぼんやりと考え込む時間が増えた。
その間も、頭の片隅からあの断片が離れなかった。
「Read-Only 権限」「適性判定:不能」「残留リソース:漏出継続中」。
言葉の並びは覚えている。だが、意味の輪郭はまだ曖昧なままだった。デバッグ空間の中で何度も反芻するうち、俺はある一つの可能性に思い至っていた。あの端末は「閲覧のみ許可」――俺のハックを完全には弾いていなかった。ならば、もう一歩踏み込む余地が、まだ残っているのではないか。
「また、行く気か」
焚き火の前で切り出した俺に、ライラスは呆れたような、それでいて予想していたような声で言った。
「警報レベルが上がった直後に、同じ場所へ舞い戻る。正気の沙汰とは思えんが」
「五日も経ってる。少なくとも、あの守護体みたいな奴が四六時中見張ってるわけじゃなさそうだ。それに――今度は、力業で押し通す気はない。シグネチャ秘匿を使う。気配を殺して、最短距離で端末まで行って、また抜ける。それだけだ」
ライラスはしばらく黙って俺を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「坊主がそこまで言うなら、止めても無駄だろうな。……ただし、少しでも様子がおかしければ、即座に退く。それが条件だ」
「分かってる」
「本当に分かってるといいがな。坊主は一度気になったことは、危険を承知でも突っ込む質だ」
図星だった。何も言い返せず、俺はただ苦笑いを返すしかなかった。
「行く」
即答したのはアナスタシアだった。
「私を置いていくつもりなら、それこそ止めても無駄だ」
以前のような刺々しさはなかった。ただ、有無を言わせない強さだけがそこにあった。自分の力の出所に関わることでもある。彼女にとっても、この探索は他人事ではないのだろう。
結局、三人は再びルート区画への道を辿ることになった。出発前、ライラスは荷物の中身を一つ一つ確かめ、負傷時の処置に使う道具を余分に持たせた。「無理に押し通す気はない」という言葉を、行動でも裏打ちしているのが分かった。
道中、俺はシグネチャ秘匿の精度を上げることに意識を割いた。接続そのものを薄く、目立たなくする感覚。境界維持プロセスを相手にしてきた経験が、今は別の形で役に立っている。幾何学的な柱の合間を縫うように進みながら、これまでのような正面からの死闘は起きなかった。何かの気配が近づいても、こちらに気づく前に離れていく。上手くいっている証拠だった。
景色が見慣れた奈落の木々から、あの異質な幾何学模様へと切り替わる瞬間、アナスタシアの足取りがわずかに強張るのが分かった。無理もない。この区画で、彼女の力は何度も乱れた。良い記憶ばかりの場所ではないはずだ。
「大丈夫か」
「――当然だ。今更、怯むわけがないだろう」
強がりだと分かっていたが、俺はそれ以上聞かなかった。彼女なりの向き合い方があるのだろう。
しばらく無言で歩いていたライラスが、ふと口を開いた。
「俺も昔、似たような場所に足を踏み入れたことがある。鑑定士だった頃、教国の奥深くで一度だけな。見てはいけないものを見た気がして、それきり近づかないようにしてきた」
「今回もそうなるかもな」
「なるかもしれん。それでも、行くと決めたのはお前だ。俺はただ、隣にいるだけだ」
短いやり取りだったが、それだけで十分だった。
管理端末跡は、記憶にある姿のまま、静かにそこに佇んでいた。あの守護体――権限監査体――の残骸らしきものは、既に跡形もなく消えていた。デスポーン処理か、それとも別の何かか。確かめる術はない。
「今度こそ、な」
俺は端末の前に立ち、意識をデバッグ空間へと沈めた。
以前訪れた時に見えた「閲覧のみ許可」の壁。あの時は、そこで押し返されるようにして引き上げるしかなかった。だが今の俺は、レベルアップと実戦を重ねた分だけ、あの頃とは違う。
意識を研ぎ澄まし、壁のさらに向こう側へ、指先ならぬ思考の先端を差し込むようにして進める。抵抗はある。だが、完全な拒絶ではない。
[ 未知の資格情報を検出 ]
[ 照合中…… ]
見たことのない文言が浮かび上がった瞬間、俺は思わず息を止めた。
「今の、見えたか」
「いや、何も」
アナスタシアが首を振る。やはり、これは俺にしか見えていない。
照合、という言葉が示す意味を測りかねたまま、俺はさらに意識を押し進めた。端末全体が、微かに唸りを強める。まるで、何かを判断しようとしているかのように。
「――カイト、顔色が」
ライラスの声が、やけに遠くから聞こえた。だが、応える余裕はなかった。
目の前で、これまで見たどの表示とも違う一文が、ちらつきながら像を結ぼうとしていた。まだ、全部は読めない。だが、これが今までの断片とは決定的に違う何かだということだけは、いやというほど伝わってきた。




