区画の守護者
「――下がれ!」
ライラスの声とほぼ同時に、暗がりから何かが飛び出してきた。
人型に近い輪郭をしているが、質感がまるで違う。輪郭線が妙にくっきりとして、動くたびに、その輪郭自体が僅かにずれるような、不気味な残像を纏っている。表情と呼べるものはなく、顔のあるべき場所には、ただ平坦な灰色の面が広がっているだけだった。これまで戦ってきた境界維持プロセスとも、検体保守体とも、明らかに種類が違う存在だった。
[ 新規個体を検出 ]
[ 分類:権限監査体 ]
[ 対象:無許可アクセス試行者 ]
「権限監査体、だと」
デバッグ空間のログを読み上げた俺の声に、ライラスとアナスタシアが同時に身構えた。
「名前からして、俺たちが端末を覗いたこと自体を、脅威と見做してるってことか」
「多分な。踏み込むだけなら見逃す。だが、深く探ろうとした奴には、容赦しない――そういう役目の個体なのかもしれん」
権限監査体は、無駄のない動きで距離を詰めてくる。攻撃の予備動作がほとんどない。まるで、次に何をするかを事前に計算し尽くしているかのような、機械的で正確な挙動だった。
「読める、か」
俺はクロックダウンで思考を減速させ、その動作解析ログを可視化した。だが、これまでの敵とは違い、予測ラインが何本も同時に浮かび上がり、めまぐるしく書き換わっていく。
[ 動作解析中……予測精度:低 ]
「――くそ、先読みが利かない!」
権限監査体の拳が唸りを上げて振り下ろされる。俺は間一髪、その場から飛びのいた。地面が抉れ、破片が頬をかすめる。今のを直撃で受けていれば、無事では済まなかっただろう。
「坊主、深追いするな! 一旦引け!」
「分かってる!」
「なら、力業で行くしかない!」
ライラスが前に出て、長年の経験に裏打ちされた勘で、その動きに食らいつく。刃が空を切る回数の方が多かったが、それでも、確実に守護者の動きの癖を読み取り始めていた。
「アナスタシア、側面を頼む!」
「――言われずとも!」
彼女の手のひらに光が集まる。この区画に入ってから乱れ続けていたその力が、今、この瞬間、驚くほど鮮明な輪郭を結んだ。
[ 光属性反応:安定 ]
放たれた光の刃が、守護者の側面を正確に捉えた。これまでの練習で積み重ねてきた「小さな成功」が、実戦の極限状況で、確かな形を伴って現れた瞬間だった。
「効いてる!」
「油断するな、まだ倒れてない!」
権限監査体は怯みながらも、すぐさま体勢を立て直し、今度はアナスタシアへと標的を変えた。反射的な動きだったのか、あるいは、より不安定な相手を狙う何らかの判定が働いたのか――俺には分からなかった。
「アナスタシア、後ろだ!」
叫びながら、俺は地形そのものに干渉した。彼女の足元の岩をわずかに隆起させ、突進の軌道をわずかに逸らす。完全に防ぎきれはしなかったが、直撃だけは免れた。
「……助かった」
「礼はいい、まだ終わってない」
怯んだ守護者が、体勢を立て直しながら、今度は俺目掛けて突進してきた。俺は衝突判定を操作し、自分の存在を一瞬「分割済み」へと書き換える。刃が空を切り、その隙を突いてライラスが致命的な一撃を叩き込んだ。
だが、守護者は、それでもなお倒れなかった。輪郭が大きく歪み、まるで自己修復を試みるように、崩れかけた部分が再び形を取り戻していく。
「――しぶといな」
「まだ、何か奥の手を隠してるのかもしれない」
俺は空間収納を使い、これまでの戦闘で偶然生まれた遺物の欠片や、拾い集めていた瓦礫の一部を、瞬時に守護者の足元へと展開した。地形を乱し、体勢を崩させる。
「今だ!」
ライラスとアナスタシアが同時に動いた。ライラスの一撃が守護者の核と思しき部分を捉え、アナスタシアの光がその隙間を正確に撃ち抜く。三人の連携が、これ以上ないほど噛み合った瞬間だった。
輪郭がさらに大きく歪み、やがて、守護者はガラスが砕けるような音を残して、その場に崩れ落ちた。
[ 個体消滅を確認 ]
[ 警報レベル:上昇(推定) ]
最後の一文に、俺は嫌な予感を覚えた。
「今の、警報が上がったって出てる」
「つまり、長居はできないってことだな」
ライラスの言葉に、俺たちは荒い息のまま頷いた。かろうじて撃退はできた。だが、この先にまだ何かが控えているという確信だけが、重く胸に残った。
アナスタシアが、自分の手のひらを見つめていた。安定して力を放てた実感と、それが再現できるかどうかの不安が、その横顔に同居している。
「今のは、まぐれじゃ、ない――そう、思いたい」
「思っていい。ちゃんと、狙って撃った」
俺の言葉に、彼女は小さく頷いた。
俺は改めて、今の戦闘を振り返っていた。地形を乱す俺のハック、長年の勘で急所を突くライラスの立ち回り、そして安定した光を放ったアナスタシアの一撃。三つの異なる力が、偶然ではなく、意図的に組み合わさって、一つの結果を導き出した。これまでの遠征でも連携はしてきたが、今日ほど、互いの動きが噛み合った実感はなかった。
「――悪くない、連携だった」
ライラスが、いつもの飄々とした調子を取り戻しながら言った。だが、その声には、確かな手応えの色が滲んでいた。
「次も、同じようにできるといいけどな」
「できる。今日できたことは、明日もできる――前に、誰かがそう言ってた気がする」
アナスタシアが、俺の言葉を借りるようにして言った。以前、彼女自身が半信半疑だった台詞を、今度は自分の口で語っている。その変化に、俺は思わず口元を緩めた。
荒れた呼吸を整えながら、俺たちは管理端末跡を後にする準備を始めた。得るものは大きかった。だが、それに見合うだけの代償と、次への課題を、この場所は静かに突きつけてきていた。




