管理端末跡
近づくにつれ、その構造物の異様さが、はっきりと輪郭を持ち始めた。
石造りでも、木造でもない。表面は滑らかな灰色の板に覆われ、ところどころに、光を失った窓のような四角形が並んでいる。祭壇でも、柱でもない。強いて言うなら――機械に近い、そんな印象だった。全体の高さは見上げるほどで、表面のあちこちに、かつて何かの文字だったらしい擦れた刻印が残っている。
「これは……」
アナスタシアが言葉を失っている。ライラスもまた、珍しく無言のまま、その構造物を見上げていた。
「見覚えが、あるような気がする」
俺は小声で呟いた。以前踏み込んだ「開発者用の一時領域」。あの場所で目にした異様な設備と、どこか通じる空気を、この構造物は纏っていた。あの時は判定基準そのものを操作する装置だったが、これは、もっと別の何かに見えた。
「あの時とは、格が違う気配がする」
ライラスが、珍しく警戒を隠さない声で言った。長年、奈落の各所を渡り歩いてきた男の勘が、この場所には何か特別な意味があると告げているらしかった。
俺たちは慎重に距離を詰めた。近づくほどに、構造物全体が、微かな唸りにも似た音を発していることに気づく。生きているわけではない。だが、完全に死んでいるわけでもない――そんな、中途半端な稼働の気配だった。
[ 未登録構造物を検知 ]
[ 分類:管理端末(推定) ]
[ 権限:閲覧のみ許可 ]
デバッグ空間に表示された文言に、俺は思わず息を呑んだ。
「閲覧だけ、許可されてる」
「意味が分かるのか」
「多分、この端末は、俺のハックを完全には弾いてない。ただし、書き換えはさせない、ってことだと思う」
俺はデバッグ空間を通じて、端末に残された断片的なログへと意識を伸ばした。ほとんどが破損し、読み取れない記号の羅列だったが、いくつかの単語だけが、辛うじて浮かび上がってきた。
[ 断片:***対象個体:Read-Only 権限*** ]
[ 断片:***適性判定:不能*** ]
[ 断片:***残留リソース:漏出継続中*** ]
三つの断片を、俺は声に出して読み上げた。誰に向けてでもない、自分自身に確かめるように。
「Read-Only、権限……俺のステータスが書き換えられないことと、関係あるのか」
これまで「無能」の烙印として片付けられてきた、全ステータス最低値の呪縛。それが単なる欠陥ではなく、「書き換え不可」という、もっと明確な設計上の性質だったのだとしたら――考えれば考えるほど、目の前の靄が、少しずつ違う形を帯びていくような感覚があった。
「適性判定:不能、というのは……」
アナスタシアが呟く。「適性:なし」でも「適性:???」でもなく、そもそも判定自体が「不能」だという、これまでとは違う言い回しだった。
「残留リソース、漏出継続中……これは」
「お前のMPのことかもしれん。壊れかけた蛇口、と嬢ちゃんが自分で言ってたやつだ」
ライラスの言葉に、アナスタシアの表情が強張った。断片的な情報同士が、少しずつ繋がりかけている。だが、それぞれが何を意味するのか、確信を持てるほどの全体像には、まだ程遠かった。
さらに端末の奥、半ば崩れた記録装置の中に、俺はもう一つの断片を見つけた。
[ 断片:***遺物経由、非正規の権限昇格を検出*** ]
[ 断片:***対象:聖女候補、複数名*** ]
「これは……」
アナスタシアが、自分の目を疑うように、その文言を凝視していた。
「遺物経由の、非正規の権限昇格。対象は聖女候補、複数名」
「私だけじゃ、ない……のか」
声が、かすかに震えていた。自分一人の特異な事情だと思っていたものが、実はもっと組織的な何かの一部だったかもしれない――その可能性が、彼女の中で、新たな重みを持ち始めていた。
「ライラス。お前は、鑑定士だった。複数名、という言い方に、何か心当たりは」
俺が尋ねると、ライラスは苦い顔で首を振った。
「ない、と言いたいところだが……振り返れば、腑に落ちる話も、いくつかある。聖女候補の中に、数値の伸び方が不自然に早い者が、稀にいた。当時は、才能の差だと片付けていたが」
「それが、遺物経由の権限昇格だったとしたら」
「……そういうことに、なるのかもしれん」
自分がかつて見過ごしてきたものの重さに、ライラス自身も動揺を隠せずにいるようだった。
「断定はできない。ここに残ってるのは、あくまで断片だ」
「分かってる。分かっているが……」
彼女は言葉を続けられず、口をつぐんだ。ライラスがその肩に、そっと手を置く。何も言わない、ただそこにいるだけの、静かな寄り添い方だった。
「これ以上は、今の俺たちには読み取れそうにない」
俺はデバッグ空間から意識を引き上げた。端末はまだ、その奥に多くを隠しているようだったが、これ以上踏み込むには、権限も、時間も、足りていなかった。無理に押し通せば、端末そのものが何らかの防御反応を示すかもしれない――そんな予感めいた警戒感も、俺の中にはあった。
三人とも、しばらくは言葉を発せなかった。得られた情報は多い。だが、それ以上に、新たな問いが次々と積み重なっていくような感覚があった。Read-Only。適性判定:不能。残留リソースの漏出。遺物経由の権限昇格。ばらばらの断片が、確かに一つの絵の輪郭を描き始めている。だが、その絵がどんな全体像を結ぶのか、まだ誰にも分からない。
「持ち帰って、整理しよう。今日分かったことだけでも、十分すぎるくらいだ」
ライラスの言葉に、俺たちは頷いた。まだ、点と点が繋がりかけているだけだ。全貌には、程遠い。それでも、これまでで最も具体的な手がかりを手にした実感が、三人の間に重く横たわっていた。
踵を返そうとした、その時だった。
構造物の奥、これまで気配すら感じなかった暗がりから、何かが動く気配がした。




