誰かがいた跡
宣戦布告みたいな啖呵を切った直後の静寂ほど、間の抜けたものはない。
俺はしばらく、闇に消えた屍喰百足がいたはずの場所を睨みながら立ち尽くしていたが、やがて自分の腹が、盛大に鳴っていることに気がついた。
「……は?」
声に出してしまうくらいには、間抜けな空腹感だった。
考えてみれば当然だ。転移してから今まで、俺は一度も水も食料も口にしていない。ステータスがどれだけ跳ね上がろうと、胃袋の中身が増えるわけではないらしい。
試しに、と思って視界の端に意識を向けてみる。動作解析ログを起動したままなのを思い出したからだ。
[ 空腹度:78 / 100 ]
[ 脱水度:64 / 100 ]
[ 推定:安全圏を割るまで、残り約6時間 ]
数字で見せられると、変に実感が湧いた。腹が減っている、喉が渇いている、という当たり前の感覚に、ご丁寧に締め切りまで付いてくる。
(規格外のステータスを手に入れた初日に、餓死しかけるとか、笑えない)
とはいえ、落ち込んでいる時間も惜しい。俺は気を取り直して、まずは自分の体を確かめることにした。
近くに転がっていた、俺の頭ほどもある岩を、何気なく蹴ってみる。
ドゴォンッ。
――岩が、爆ぜた。
正確には、粉々に砕けて前方に飛び散った。俺はしばらく、自分の足の先と、粉塵に変わった岩を交互に見つめた。
(……マジか)
オールステータス10だった頃には想像もできなかった威力だった。試しに近くの巨木に軽く拳を当ててみると、幹に俺の拳の形そのままの凹みができた。木がめきめきと軋み、上の方の枝葉がバラバラと崩れ落ちてくる。
力の使い方が、まるで分かっていない。
これは、ステータスと同じくらい丁寧に「動作解析」しないと、いつか自分の身体を壊しかねない。俺は今後の課題を一つメモするような気持ちで、拳を握り直した。
さて、問題は空腹と喉の渇きだ。
巨木の森は、見渡す限り同じような景色が続いている。だが、動作解析ログを頼りに周囲を見渡すと、いくつか気になる箇所があった。植物の葉の一部に、うっすらと緑色の輪郭線が浮かんでいるのだ。
[ 判定:食用可(毒性フラグ:無し) ]
(――便利すぎるだろ、これ)
毒草かどうかを本能や経験で見分ける必要すらない。俺は言われるがままに、その葉と、近くの木になっていた見慣れない果実をいくつか口に運んだ。青臭いが、食えないことはない味だった。
水は、少し歩いた先で見つけた。巨木の根元から染み出す小さな湧き水。これも動作解析ログが律儀に「安全」の判定を出してくれたので、迷わず口をつけた。
[ 空腹度:41 / 100 ]
[ 脱水度:18 / 100 ]
数字が下がっていくのを見ながら、俺は少しだけ笑ってしまった。まるでゲームみたいだ。いや――実際、そういうシステムの上で動いているんだったな。
腹が満たされると、今度は別の不安が頭をよぎった。
(このまま野宿は、さすがに無謀だ)
いくらステータスが跳ね上がったとはいえ、無防備に眠っている間に、格上の何かに囲まれたら終わりだ。動作解析ログで前兆を察知できるとはいえ、寝ている間の索敵能力なんて期待できない。
どこか、安全に休める場所はないか。
そう考えながら歩き続けていると、ふと妙な感覚に襲われた。
周囲の空気が、変わった気がする。
殺気ではない。むしろ逆だ。今まで肌にまとわりついていた、無数の魔物の気配――そういう「圧」のようなものが、この一角にだけ、すっぽりと抜け落ちていた。
試しに動作解析ログを凝視してみる。
[ 領域判定:Cache Zone を検出 ]
[ このエリア内:モンスターのスポーン処理が一時停止中 ]
(キャッシュ、領域……?)
聞き慣れない単語だったが、意味は直感的に分かった。ここでは、魔物が湧いてこない。少なくとも、システム側がそう保証している。
半信半疑のまま足を踏み入れると、明確に空気が軽くなるのを感じた。今まで無意識に張り詰めていた神経が、初めてわずかに緩む。
俺はしばらくその場に立ち尽くし、それから乾いた笑いを漏らした。
「……あるんだな、こういう場所も」
誰に言うでもない呟きだった。
――ふと、視界に違和感を感じた。
足元に、明らかに人為的な跡があった。焚き火の跡らしき黒い焦げ跡。その脇には、規則的に並べられた小石。誰かが、意図的に置いたとしか思えない配置だった。
俺は膝をつき、まだ微かに温もりの残る灰に触れる。
(――誰か、いる)
生還者ゼロ、と聖女は言った。だが目の前にあるこの跡は、その前提そのものを、静かに否定していた。




