固有スキル開放
考えるより先に、体が動いていた。
いや、正確には違う。動いていたのは体じゃない。時間の方だ。
(――クロックダウン)
名前なんて知らない。ただ、さっきの螺旋の中で触れた感触の延長線上に、それがあった。意識を沈める。もっと深く、もっと冷たく。頭の芯だけを残して、それ以外を全部凍らせるようなイメージ。
次の瞬間、世界が粘度を持った。
俺に向かって振り下ろされていたはずの屍喰百足の顎が、まるで蜂蜜の中を進むように、ゆっくりと――本当にゆっくりと、空間を切り裂いてくる。
景色から音が消えていた。聞こえるのは、自分の心臓の音だけ。
(一分の一……いや、もっとだ。百分の一、くらいか)
どうでもいい考察を頭の隅で処理しながら、俺は初めて、まともにソイツを観察する時間を得ていた。
黒々とした甲殻に覆われた胴体。地面を掻く無数の脚。振り下ろされる顎の先端には、粘性の高い紫色の液体が糸を引いている。毒、だろう。かすっただけでも危険なやつだ。
頭上には、鑑定結果のパネルが張り付いたまま追従していた。
[ 屍喰百足 / LV:300 ]
ステータスは見えない。適性もスキルも分からない。だが「動作解析ログ」は、俺が思っていた以上に親切だった。
顎の軌道の先――俺の予測ではなく、システムが計算し尽くした着弾点そのものに、薄く光る網目状の線が浮かんでいる。当たり判定、というやつだ。そして、その網目の一部に、明滅する赤い印が見えた。
[ 判定:顎(先端)着地時 ⇒ 衝撃値が一定閾値を超過 ⇒ 確定スタン(4.0sec) ]
(――は?)
目を疑った。だが、何度読み返しても同じだった。
この化物は、顎の先端を「地面」に叩きつけると、その反動で自分自身が一定時間、動けなくなる。強すぎる一撃の、代償みたいなものだろうか。理由なんて分からない。ただ、これは間違いなく、こいつの持つ「脆弱性」だった。
(利用できる……いや、利用しなきゃ死ぬ)
クロックダウンの中で、俺は視線だけを動かし、周囲を確認する。足元に転がっている、握り拳ほどの石ころ。それを見た瞬間、着弾点の座標と、顎が振り下ろされる角度が、頭の中で線になって繋がった。
弾道は、もう見えている。
あとは、そこに「置いておく」だけでいい。
俺は凍りついたような速度の中で、それでも全力で腕を伸ばし、石を拾い上げ、着弾点のわずか数センチ横――正確には、顎の先端が地面と接触する瞬間に、石の角が挟まる位置に、そっと据えた。
弾道予測が外れていなければ、これで十分なはずだ。
クロックダウンを解除する。
景色に色と音が戻り、世界が本来の速度を取り戻した瞬間、屍喰百足の顎が地面に――正確には、俺が置いた石に――叩きつけられた。
ゴギィッ、という、骨と石が軋むような異音。
巨体が硬直する。顎の先端が、石の角にわずかにずれて食い込んだことで、想定外の反力が発生したのだろう。システムはそれを律儀に「着地」と判定し、律儀に「代償」を実行した。
[ STATUS UPDATE:屍喰百足 ⇒ スタン状態(残り 4.0sec) ]
巨体が、痙攣したようにビクリと震えて、そのまま完全に停止する。
勝った――そう思いかけて、すぐに頭を振った。まだだ。
残り4秒。HPがどれだけあるのか知らないが、オールステータス10の俺の攻撃なんて、恐らく針で殴るようなものだろう。四秒あっても、削り切れるわけがない。
(残り、3秒)
俺は足元を見た。
屍喰百足の巨体を支えているのは、この岩盤だ。動作解析ログの視界の中で、その岩盤の表面にも、薄っすらと光る網目が張り付いているのが見えた。地形の当たり判定――コライダー、というやつだと直感した。
[ 地形コライダー:ON ]
こんなもの、書き換えられるはずがない。分かっている。ステータスの数字だって、あれだけ念じてもびくともしなかったのだ。
だが――ステータスは「値」だった。これは「フラグ」だ。
(残り、2秒)
直感でしかなかったが、俺はもう一度、意識を深く沈めた。今度はさっきよりも早く、迷いなく。目の前のON表示に、指先で弾き飛ばすようなイメージをぶつける。
(――OFFに。残り、1秒)
[ 地形コライダー:OFF ]
文字が、切り替わった。
(残り、0)
次の瞬間、屍喰百足の巨体を支えていた岩盤が、まるで最初から存在しなかったかのように、消えた。
支えを失った超重量の体が、重力にしたがって真っ逆さまに沈んでいく。悲鳴も、抵抗も、何もない。ただ静かに、闇の中へ。
[ 対象はデスポーン領域へ落下しました ]
[ De-spawn processing... ]
しん、と静寂が戻る。
俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。何が起きたのか、頭の中で反芻する。石ころで確定スタンを誘発し、地形の当たり判定を書き換えて、格上の化物をデスポーン領域に落とし込み消去した。
――ずるい。誰かにそう言われたら、頷くしかない。だが、生き延びるためのルールなんて、最初から俺には与えられていなかった。ならせめて、見つけたルールの穴くらい、遠慮なく使わせてもらう。
安堵で膝から力が抜けかけた、その時だった。
視界の中央に、見たこともない文字列が流れ込んできた。
[ 規格外撃破ボーナスを検出 ]
[ EXP:+9,820,000 ]
[ LEVEL UP! LV:1 → LV:47 ]
[ ステータス再計算中... ]
目の前が、光った。
次に浮かび上がったパネルを見て、俺は今度こそ、声も出せずに固まった。
[ LV:47 / HP:39,900 / STR:4,120 / AGI:5,860 / VIT:3,990 / INT:2,010 / MP:―(測定不能) / 適性:なし / 固有スキル:デバッガー(開放) ]
オールステータス10だった男の数字が、今、桁を三つも跳ね上げていた。
聖女アナスタシア。あんたが「バグ」と呼んで捨てたこの俺が、これからこの世界のルールを、片っ端から書き換えてやる。




