Read-Onlyの絶望
落下の感覚が終わったとき、俺は湿った土の上に転がっていた。
息ができない。全身を強かに打った衝撃で、肺の中身を丸ごと吐き出したような気分だった。それでも本能的に体を起こし、周囲を見渡す。
そこは、森だった。
いや、森というより、化物の墓場みたいな場所だった。見上げても頂が見えない巨木が、視界の限り何十本と乱立している。地下牢のような暗闇を覚悟していた俺にとって、それは予想外の光景だった。空はある。星も見える。だが、その美しさが逆に不気味だった。
(――無帰の奈落)
聖女の声が耳の奥で蘇る。ゴミ捨て場。生きて帰った者はいない、最下層。
立ち上がろうとした瞬間、俺の全身の毛が逆立った。
殺気、というやつを生まれて初めて感じた。それは音もなく、匂いもなく、ただ「圧」として俺の体を押し潰しにかかってきた。呼吸のやり方を忘れる。膝が笑う。逃げなければ、と思う脳と、指一本動かない体が、盛大に矛盾する。
(何か……いる)
巨木の隙間、闇が一段と濃い場所。そこに、何かがいる。輪郭すら定かではないのに、それが途方もなく「格上」だということだけは、本能レベルで理解できた。
せめて、と俺は反射的に念じた。
(チートスキル――武器でも防具でもいい、何か寄越せ――!)
だが、頭の中に浮かんだのは、大聖堂で見たあの惨めな数字の羅列だけだった。
[ LV:1 / HP:100 / ALL STATUS:10 / MP:―(測定不能) / 適性:なし / 固有スキル:なし ]
その数字に、念じても念じても、変化はない。まるで指先で鉄の壁を殴っているような、徒労感だけがあった。
(動け……動けよ……!)
もがけばもがくほど、数字はびくともしない。書き換えを拒む、固く冷たい感触だけが返ってくる。まるで、最初からそういう仕様であるかのように。
絶望、というやつを味わっている暇すらなかった。闇の中の「圧」が、一歩、こちらに近づいた気がした。
――そのときだった。
視界の端に、ノイズが走った。
テレビの砂嵐みたいな、ちらつくような違和感。最初は、ただの錯覚かと思った。だが違う。それは俺の意思とは無関係に、視界の外枠――本当に、画面の縁とでも言うべき場所に、規則的に明滅していた。
直感が告げていた。これは、何かのバグだ。
なぜそう思ったのか、自分でも分からない。ただ、聖女に「バグみたいな欠陥品」と吐き捨てられた瞬間から、俺の中で何かのスイッチが入っていたのかもしれない。
俺は、そのノイズに向かって、意識を突っ込んだ。
助かる保証なんて、どこにもなかった。ただ、指をくわえて殺されるくらいなら――そう思った。
瞬間、世界が反転した。
森も、殺気も、闇も、すべてが一気に遠ざかる。代わりに広がったのは、光の螺旋だった。
全方位、三百六十度。見渡す限りの空間に、無数の光る筋が絡み合いながら渦を巻いている。よく目を凝らせば、それは文字だった。見たこともない記号と数字が、猛烈な速度で流れ続けている――まるでプログラムのソースコードそのものだった。
不思議と、恐怖はなかった。むしろ、体の奥から込み上げてくるのは、場違いなほどの高揚感だった。
螺旋の一角に目を凝らすと、無数の項目がびっしりと並ぶ、一覧のようなものが浮かんでいるのに気づいた。
スキル一覧、とでも呼ぶべきものだろうか。ほとんどの項目は灰色にくすんだまま、押しても引いてもびくともしない。まるで、鍵のかかった扉が延々と並んでいるみたいだった。
だがその中に、二つだけ。灰色に沈んだ他の項目とは違う、はっきりとした輪郭で浮かび上がっているものがあった。
[ 簡易鑑定 ] : OFF
[ 動作解析ログ ] : OFF
考えるより先に、体が――いや、意識が動いた。
脳裏に強くイメージする。ONに切り替わる感触を、指先でスイッチを弾くように。
(――起動しろ)
[ 簡易鑑定 ] : ON
[ 動作解析ログ ] : ON
二つの文字が、緑色に灯った。
その瞬間、外の世界から悲鳴のような轟音が届いた。俺の意識を引きずり戻すように、螺旋の光が急速に収縮していく。
「――っ!」
視界が現実に戻る。土と、巨木と、星空。そして――目の前に迫る、あまりにも巨大な影。
肉眼ではまともに輪郭を結べないほどの速度で、何かが俺の眼前まで来ていた。夜闇より昏い体色、地面を這う無数の脚、こちらを射抜く無機質な複眼。
頭上に浮かんだ、たった今起動したばかりの鑑定結果が、無慈悲にその正体を告げていた。
[ 屍喰百足 / LV:300 ]
――さっきまでの殺気の正体が、今、牙を剥いて俺に襲いかかろうとしていた。
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