無能の烙印
駅前のロータリーで信号待ちをしていたら、いきなり世界から追い出された。
平日の夜。仕事帰り。スマホでニュースをぼんやり眺めながら、青信号を待っていただけ。
いつもと同じ、何でもない時間だった。
突然、視界の端で赤い光が瞬いた。
足元のアスファルトに、幾何学的な線が浮かび上がっている。円と多角形が幾重にも重なった、見たこともない紋様。その輪郭だけが、警告灯みたいに赤く明滅していた。
「――は?」
声を上げたのは俺だけじゃなかった。歩道の向こう、バス停のベンチ、そして斜め前――ベビーカーを押していた若い母親も。
次の瞬間、その場から全てが消えた。
気づいたときには、俺は見知らぬ石造りの床に座り込んでいた。
天井はステンドグラスで、差し込む光が床に色とりどりの模様を落としていた。教会、いや、大聖堂と呼ぶべき規模の建物だ。
周りには、さっきまで駅前にいたはずの見知らぬ他人たちが、呆然と座り込んでいる。歩道の向こうにいたスーツ姿のサラリーマン、バス停のベンチにいた制服姿の高校生、そしてさっきの母親――ただし、押していたはずのベビーカーだけがない。
母親も、それに気づいたらしい。
「――ない。ない、ない、ない! あの子は、あの子はどこ!?」
悲鳴じみた声が、静まり返った大聖堂に響き渡った。這うようにして周囲を掻きむしり、正気を失ったように喚き続ける彼女に、誰も声をかけられずにいた。
その時だった。祭壇の両脇から、鎧姿の騎士が二人、出てきた。
彼らは母親の両腕を無造作に掴むと、暴れる体を力ずくで押さえつけた。
「――放して! 放してよ、あの子を――」
抵抗も虚しく、騎士の一人が彼女の首筋に何かを打ち込む。悲鳴が、ふつりと途切れた。糸の切れた人形のように崩れ落ちる体を、騎士たちは表情ひとつ変えずに引きずっていった。
誰も、助けなかった。誰も、止めなかった。俺自身も含めて。
鳩尾のあたりを、いきなり掴まれたような感覚に襲われた。今は考えるな――そう自分に言い聞かせて、震えそうになる心を押し留める。
凍りついたような沈黙の中、まるで何事もなかったかのように、涼やかな声が響いた。
「――ようこそ、選ばれし勇者の皆様」
声の主は、祭壇の上に立つ一人の少女だった。銀の髪、白磁のような肌、纏う法衣は染み一つない純白。年齢は十七、八といったところか。だが放たれる空気は、明らかにその年齢のものじゃない。跪いた騎士や神官たちが、彼女に向かって深々と頭を垂れている。
聖女であるアナスタシアは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、召喚された俺たちを見渡した。絵に描いたような美少女、絵に描いたような聖女様。だが俺は、その微笑みの奥に何か、底の見えない冷たさを感じて、うっすらと寒気を覚えていた。
「皆様は、我が神聖オーディス教国が、世界の危機を救うためにお呼びした特別な方々です。今よりステータスの鑑定を行います。どうか、恐れず前へ」
そこから先は、あっという間だった。
一人ずつ、光る台座の上に立たされ、頭上に文字と数字の羅列が浮かび上がる。
「LV:1 / 剣術適性:A / 固有スキル【剛剣】……!」
「おおお……!」
歓声が上がる。神官たちがどよめき、聖女アナスタシアが手を叩いて喜ぶ。
「LV:1 / 魔法適性:S / 固有スキル【全属性魔法】……」
「Sだと……!? これは歴代でも稀に見る……」
次々と規格外の数値が読み上げられるたびに、大聖堂の熱気は膨れ上がっていった。誰もが目を輝かせ、誰もが自分の才能に酔いしれていた。
そして、順番が回ってきた。
俺は台座の上に立つ。頭の上に、ステータスとやらが浮かび上がる。
[ LV:1 / HP:100 / ALL STATUS:10 / MP:―(測定不能) / 適性:なし / 固有スキル:なし ]
大聖堂が、静まり返った。
さっきまでの熱気が嘘のように、しん、と音が消える。
「……10?」
誰かが呟いた声が、やけに大きく響いた。
オールステータス10。全項目、10。適性なし。スキルなし。
俺は詳しくないが、それでも分かる。周りの連中が千、万という桁の数値を叩き出している中で、自分の頭上に浮かんでいるのは、二桁にすら届くかどうかの数字だ。
「何かの間違いじゃ……」
「そんな馬鹿な……全員が規格外のはずじゃ」
神官たちがざわめき、顔を見合わせる。俺自身、正直まだ実感が湧いていなかった。ステータスなんて言われても、と。
だが――そのとき見た聖女アナスタシアの表情を、俺は一生忘れないと思う。
さっきまでの慈愛に満ちた微笑みが、音もなく剥がれ落ちた。
残ったのは、氷そのものみたいな無表情だった。感情の一切が抜け落ちた、人形のような目。彼女は俺を、まるで道端の汚物でも見るような目で見下ろした。
「――は?」
その声には、もう先ほどまでの優しさの欠片もなかった。低く、冷たく、心底不快そうな声だった。
「オールステータス10? 適性なし、スキルなし? ……冗談でしょう」
「あの、これは何かの――」
「黙りなさい」
言葉を遮られる。彼女はゆっくりと壇上から降りてきて、俺のすぐ前に立った。美しい顔が、すぐ近くにある。だがそこに宿る感情は、これ以上ないほどの侮蔑だった。
「私の召喚に、傷が付くところだった」
聖女はそう吐き捨てた。
「私の輝かしい召喚実績に、こんな……バグみたいな欠陥品が紛れ込むなんて」
欠陥品。
その一言で、周囲の空気が一変した。さっきまで俺と一緒に呆然としていたはずの他の転移者たちが、俺から一斉に距離を取る。誰も庇わない。それどころか、
「マジかよ、オールステータス10って……」
「関わりたくないな、あれ」
嘲笑まで聞こえてくる。数十分前まで駅前で信号待ちをしていただけの、見ず知らずの他人同士。連帯感なんて最初からなかったと、今更ながら思い知らされる。
「アナタのような無価値なゴミを、この国に置いておくわけにはいきません」
聖女は俺に近づき、そっと――本当に、優しく触れるように――俺の肩に手を置いた。その仕草だけ見れば、まるで慈しんでいるようにさえ見えただろう。
「安心なさい。相応しい場所に、送って差し上げますから」
足元が、光った。
見覚えのない紋章が床に広がり、青白い光を放つ。何かがおかしいと気づいたときには、もう遅かった。
「――え」
浮遊感。
そして、体が――消える感覚。
「せめて、聞かせてください。どこに――」
「無帰の奈落。分かりやすく言えば、ゴミ捨て場です」
聖女は最後まで表情を変えなかった。悲しむでも、憐れむでもない。ただ処理すべき不良品を処理する、その事務的な冷たさだけがそこにあった。
「そこでなら、あなたの『10』にも見合った活躍ができるでしょう。――さようなら」
視界が白く塗りつぶされる。
俺は最後に、聖女アナスタシアの、氷のような美しい無表情だけを網膜に焼き付けながら――光の中に、叩き落とされた。
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