本当の私
薬草を干す作業が一段落した、静かな午後だった。
アナスタシアは焚き火から少し離れた場所で、手慣れない手つきながらも薪を組んでいた。この数日で、彼女の所作から、ぎこちなさが少しずつ抜け落ちていくのが分かる。火を熾すことも、薬草を見分けることも、もう誰かに逐一確認せずとも、それなりに形になり始めていた。それでも時折、手を止めては、何かを迷うような表情を浮かべることがあった。
その日、彼女がそうした顔で向かった先は、薪の山ではなく、ライラスの方だった。
「――老いぼれ」
「なんだ、嬢ちゃん」
いつもの呼び方だった。だが、その声に籠っていた刺々しさは、以前よりずっと薄まっている。
「聞きたいことがある」
ライラスの手が、薬草を束ねる動きを止めた。何かを察したような、静かな緊張が横顔に滲む。
「私は……どんな子供だったのだ。お前が、鑑定したという、あの頃」
覚悟を決めた声だった。怒りでも、糾弾でもない。純粋な問いだった。自分自身の、失われた欠片を探すような。
「捏造だの、権限未検証だの、そういう話は、もういい。ただ、知りたいだけだ。あの日、お前が見た私が、どんな人間だったのか」
俺は少し離れた場所で、手を止めて二人の様子を見守った。踏み込むべきではない気がして、声をかけることができなかった。
自分の輪郭を確かめたいという、その渇望には覚えがあった。「適性:???」という見慣れない表示を前に、俺自身、幾度となく同じ問いを頭の中で繰り返してきた。本当の自分とは、何なのか。与えられた設定でも、押し付けられた数値でもない、根っこの部分にあるもの。彼女が今、ライラスに向けている問いは、形を変えた俺自身の問いでもあった。
ライラスは長い間、何も答えなかった。焚き火の炎を見つめながら、記憶の底を探っているような、遠い目をしていた。
「――利発な子だった」
やがて、絞り出すように言葉が紡がれ始めた。
「聖女候補として集められた子供たちの中でも、一番、緊張していたのを覚えている。他の子たちは、選ばれることを当然のように思っていたが、お前だけは違った。結果を待つ間、ずっと指先を握りしめていた。不安げに、な」
「……不安、だと」
意外そうな響きだった。今の傲慢な彼女からは、想像もつかない姿だったのだろう。
「聖女に選ばれなければ、実家に迷惑がかかる。そう漏らしていたのを、覚えている。まだ幼い割に、随分と大人びた心配をする子供だと、その時は思ったものだ」
「……実家、と」
アナスタシアが、初めて聞く単語のように呟いた。
「両親のことは、何か……」
「鑑定士は、家柄までは詳しく知らされない。ただ、決して裕福な出ではなかったと思う。着ている物の質から、それくらいは分かった。だからこそ、聖女に選ばれることに、人一倍必死だったのかもしれん」
アナスタシアは、何かを堪えるように、拳を強く握りしめていた。両親という存在すら、今の彼女にとっては、遠い霧の向こうにあるものなのだろう。教国に引き取られてからの記憶しか、彼女の中には残されていないのかもしれなかった。
「……覚えていない。そんなこと、微塵も」
「当然だろう。あの日のことを、教国は綺麗に塗り替えちまった。お前の記憶ごと、な」
その言葉に、アナスタシアの表情が揺れる。自分の中に、自分でも知らない過去が眠っている――その事実の重みを、今、初めて実感したような顔だった。
「詳しいことは、俺も覚えていない。だが、確かなのは、お前が生まれつきの怪物でも、傲慢な化け物でもなかったということだ。ただの、不安げな子供だった」
ライラスの声には、罪悪感とも慈しみともつかない響きがあった。長年、直視することを避け続けてきた過去の欠片を、ようやく自分の言葉で語り終えた、そんな解放感も滲んでいた。
アナスタシアは、しばらく黙り込んでいた。やがて、小さく呟く。
「――知りたかったのは、多分、そういうことだ」
誰に向けた言葉でもない、自分自身への呟きだった。捏造の真相でも、教国の悪意でもなく、ただ、消された自分の輪郭を、少しでも取り戻したかっただけなのかもしれない。
「これから、少しずつでいい。思い出せることがあれば、話してやる」
「――別に、期待はしていない」
突き放すような言葉だったが、その声には、以前のような棘はなかった。むしろ、期待してしまうことへの、ささやかな予防線のようにも聞こえた。
「話す方も、思い出すのに骨が折れる。二十数年も昔のことだしな」
ライラスは苦笑しながら、そう付け加えた。重い告白の場ではなく、これから少しずつ積み重ねていく、そんな穏やかな約束の形に、いつの間にか変わっていた。
そう言いながらも、彼女はその場を立ち去らなかった。焚き火の傍らに腰を下ろし、ライラスの隣に、少しだけ距離を残して座る。
加害者と被害者。その単純な構図では括れない何かが、二人の間に、確かに芽生え始めていた。憎しみだけで片付けられるほど単純な関係ではなくなっている――そのことに、二人自身、まだ戸惑っているようにも見えた。
俺はそれを、少し離れた場所から、ただ静かに見守っていた。焚き火の炎が、二人の横顔をゆっくりと照らしている。長い沈黙の末に紡がれた言葉の重みが、この場の空気に、確かな厚みを残していた。




