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奈落のデバッガー  作者: ろいぷぅ


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遺物の影

 キャッシュ領域に戻ってからも、あの祭壇の光景が頭から離れなかった。


「――板の中に、何か関係ありそうなの、なかったか」


 俺の問いに、ライラスは黙って荷物を漁り、これまで解読が進んでいなかった数枚を取り出した。


「後回しにしてた奴らだ。損傷がひどくて、後回しにしてたが……今の話を聞いた後だと、また違って見えるかもしれん」


 二人で手分けして、板の文字列と向き合う作業を再開した。これまでとは違い、明確な当てがある分、集中力の質が違った。手元の一枚一枚が、これまでの何倍も重く感じられる。


 最初の数枚は、これといった収穫もなく終わった。損傷の激しい板特有の、意味の繋がらない断片ばかりが並ぶ。だが、諦めずに擦り合わせを続けているうちに、ようやく一枚が、まとまった文字列を吐き出し始めた。


 半刻ほど格闘した頃、ライラスの手が止まった。


「――坊主、こっちを見てみろ」


[ 保守記録:断片(別系統) ]

[ 保管対象:安置済み検体、複数 ]

[ 処理方式:遺物による定期的な状態維持 ]

[ 管理主体:###権限(教国上層部、関与の疑い) ]


「遺物、って言葉、また出てきたな」


「ああ。前に聞いた地上の噂――教国上層部が握ってるとかいう、あの"遺物"と、多分同じ系統のものだ」


 俺は板を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。「状態維持」という表現が、妙に引っかかる。何かを、意図的に、今の状態のまま保ち続けている――そういう響きだった。


「あの祭壇の台座に安置されてたのも、その"検体"ってやつなんだろうか」


「かもな。にしても、教国上層部が絡んでるって話が、地上の噂だけじゃなく、こんな奈落の奥の記録にまで残ってるってのは……」


 ライラスは言葉を切り、板を静かに置いた。


「――偶然にしちゃ、出来すぎてる」


 その一言に、背筋が冷たくなった。この奈落と、地上の教国。切り離されているようで、実はどこかで地続きになっている――そんな予感が、これまでよりずっと強い輪郭を持ち始めていた。


「――『安置済み検体、複数』ってのも、気になるな」


「一つや二つじゃない、ってことだよな。あの祭壇の台座の数と、符合しなくもない」


「複数の"検体"を、遺物で定期的に状態維持し続けてる……手間もかかるだろうに、それでも続けてる理由があるんだろうな」


 ライラスは腕を組み、しばらく考え込んだ。


「捨てるに捨てられない、大事な代物なのか。それとも、外に出したらまずい代物なのか。どちらにしても、教国にとっちゃ都合のいい話じゃなさそうだ」


「アクセス権限が足りなくて中を覗けなかったのも、この記録を見た後だと、納得できる気がする」


「一般の鑑定士どころか、下手すりゃ教国上層部のごく一部しか触れられない代物、ってわけだ。ワシがどれだけ現役時代に潜り込んでても、絶対に見せてもらえなかった領分だな」


 ライラスの声には、自嘲めいた響きが混じっていた。長年、教国の内側にいた人間だからこそ分かる、その"届かなさ"の実感なのだろう。


 夜、焚き火を囲みながら、ライラスがまた新しい噂を持ち出してきた。


「――今度のは、かなり具体的だ。鑑定の儀の記録、あの調査で、ある一件に重大な矛盾が見つかったらしい」


「重大な矛盾、って」


「鑑定結果と、その後の扱いが、明らかに噛み合ってない記録があった、ってことだ。詳細までは、さすがにワシの耳にも入ってこないがな」


「――どれくらい昔の記録なんだ、それ」


「そこまでは分からん。だが、噂の出所を辿ると、どうも古い記録保管庫まで手を伸ばしてるらしい、って話だった」


 その一言だけで、胸の奥がざわついた。古い記録。ライラス自身の過去と、無関係だとは思えなかった。だが、それを口にする勇気は、まだ持てなかった。ライラスの横顔も、いつもより固い気がしたが、確かめる勇気も、同じだけ足りなかった。


「もう一つ」


 ライラスは、いつもより低い声で続けた。


「聖女様の代役候補として、具体的な名前が一つ、囁かれ始めてるらしい。若い巫女だ、とか、地方神殿の出だ、とか、話半分の噂ばかりだが」


「――随分、話が早いな」


「教国ってのは、体面のためなら動きが早い組織だ。空白を放置する方が、よっぽど都合が悪いんだろうよ」


 ライラスの声には、皮肉とも諦めともつかない響きがあった。


「代役が決まれば、聖女様は正式に『不在』ってことになる。今はまだ、誰も口にしないだけでな」


「戻ってくる目、本当にないのか」


「分からん。だが、代わりを立てる話が具体的になればなるほど、戻る目は細くなる。組織ってのは、そういうもんだ」


 俺は焚き火の炎を見つめながら、あの大聖堂での光景を思い出していた。氷のような無表情で、俺を切り捨てたあの少女。今、同じ仕組みに、少しずつ追い詰められているのだとしたら――複雑な感情が、うまく言葉にならなかった。


 鑑定の儀の記録の矛盾。代役候補の噂。奈落の奥に眠る、遺物によって維持された何か。バラバラだったはずの点が、少しずつ、一つの線に近づいていくような感覚があった。


「――そろそろ、無視できない大きさになってきてるかもな」


 ライラスの呟きに、俺は何も返せなかった。


 板の断片、地上の噂、そしてあの祭壇の記憶。どれも決定的な答えには程遠い。それでも、これまでバラバラに転がっていた手がかりが、輪郭を持ち始めているのは確かだった。


 教国という巨大な組織の土台が、どこか遠くで軋み始めている。その振動が、こんな奈落の奥にまで、少しずつ伝わってきているのかもしれない。


 俺はただ、燃える炭を見つめながら、これから起きることの予感だけを、静かに噛み締めていた。まだ何も、はっきりとは見えていない。だが、遠くない先で、何かが動き出す――そんな確信だけが、日に日に強くなっていくのを感じていた。


 隣で腕を組んだまま黙り込んでいるライラスの横顔を、俺はそっと窺った。古い記録保管庫、という一言を口にしたときの彼の声は、いつもよりわずかに硬かった。触れてほしくない過去があることは、もうとっくに察していた。だが今夜は、それを掘り返す気にはなれなかった。互いに抱えている「まだ言葉にできないもの」を、そのまま隣に置いておくくらいの距離感が、今の俺たちには、ちょうどよく思えた。


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