覗いた先
結局、あの技には「気配殺し」という、身も蓋もない名前を付けることにした。
「――大層な名前じゃなくて、逆に安心する」
ライラスはそう言って笑ったが、俺自身は真剣だった。一週間ほど、キャッシュ領域と近隣を行き来しながら、出力レベルの調整と持続時間の感覚を、地道に体に叩き込んだ。
最初のうちは、ものの数十秒も維持できずに気配が戻ってしまったり、逆に絞りすぎて簡易鑑定そのものが使えなくなったりと、失敗続きだった。だがライラスの「見えた」「見えなかった」の報告を頼りに、少しずつ勘所を掴んでいった。完璧とは言えない。それでも、以前よりはずっと、狙った加減に近づけられる自信があった。
「――行くか」
「ああ」
未接続セクタへの道は、一度通った分だけ、迷いが少なかった。境界の手前で足を止め、俺は静かに気配殺しを起動する。
[ コマンド送信:接続シグネチャの減衰 ]
[ 出力レベル:38% ]
[ 持続時間:計測開始 ]
輪郭がわずかに薄まる、あの独特の感覚。ライラスの方を見ると、小さく頷きが返ってきた。見た目には、ほとんど分からないらしい。
境界を越えた瞬間、あの音量を絞られたような静けさが、再び俺たちを包んだ。だが今回は、前ほどの緊張感はなかった。準備してきたという事実が、それだけで心を支えてくれる。
半刻ほど進んだ頃、視界の端に、あの輪郭の定まらない影が現れた。
(――来た)
息を殺し、気配殺しの出力を微調整する。影はゆっくりと弧を描くように、俺たちのすぐ近くを通り過ぎていった。一瞬、その動きが止まりかけた――探るように、周囲を見回すような素振り。心臓が跳ねる。
[ 境界維持プロセス:接続検知 ]
[ 信号強度:不安定 ]
[ 判定保留 ]
判定保留。その三文字に、全身の力が抜けそうになった。だが、油断はできない。出力を保ったまま、俺は呼吸すら極力抑えて、影の様子を窺い続けた。
数秒が、異様に長く感じられた。影はしばらくその場に留まっていたが、やがて興味を失ったように、元の巡回経路へと戻っていった。
「――抜けたな」
ライラスの囁きに、俺は無言で頷き返した。声を出す余裕すら惜しかった。安堵と同時に、どっと汗が噴き出す。完全に見つからなかったわけじゃない。「判定保留」というギリギリの綱渡りだったことは、身体の方が正直に教えてくれていた。
そこから先は、これまで誰も足を踏み入れていない領域だった。景色そのものは相変わらず灰色がかった瓦礫の山だったが、時折、規則正しく並んだ柱のようなものが目に入るようになる。自然にできたとは思えない、明らかに人工的な――いや、システム的な配置だった。
「――ここ、明らかに『何か』のための場所だな」
「ああ。廃墟にしちゃ、整いすぎてる」
柱の列に沿って進むと、やがて視界が開けた。俺たちは足を止め、しばらくその場から動けなかった。
開けた空間の中央に、巨大な祭壇のような構造物があった。石でも金属でもない、見たことのない質感の素材で組まれたそれは、淡く発光する紋様に覆われている。周囲には、似たような小さな台座がいくつも並び、それぞれの上に、何かが安置されているらしい気配があった。
台座の数は、ざっと見ただけでも二十を超えていた。等間隔に配置されたその様子は、まるで博物館の展示室――あるいは、何かを厳重に保管するための倉庫のようだった。灰色に淀んだこの奈落の中で、そこだけが異様なほど整然としていた。
「――教国の神殿にも、似たような造りの部屋があった気がするな」
ライラスがぽつりと呟いた。
「儀式用の間か何かか」
「いや、もっと事務的な感じだ。宝物庫、って言った方が近いかもしれん」
ライラスの言葉に、俺は妙な既視感を覚えた。教国が「宝物庫」と呼ぶほど大切に扱うもの――それが、こんな奈落の奥深く、しかも意図的に切り離された場所に眠っているという事実が、どうにも引っかかった。表の神殿に飾れないような、都合の悪い何かなのかもしれない。
[ 保管区画を検出 ]
[ 対象数:算出中... ]
[ アクセス権限:不足 ]
「――保管区画、だと」
「何を保管してる場所なんだ、ここは」
答えは出なかった。それでも、好奇心が勝った。俺は気配殺しを維持したまま、そっと最も近い台座へと近づいてみる。
台座の上には、何か小さな塊が乗っているようだったが、周囲を覆う淡い光に紛れて、輪郭がはっきりしない。動作解析ログで解像度を上げようとした瞬間、視界に鋭い拒絶の反応が返ってきた。
[ 対象への直接アクセスを拒否 ]
[ 理由:権限不足 ]
「駄目だ。近くまで来ても、中身までは覗けない」
「厳重すぎるくらいだな。ますます気になる」
ライラスの声にも、隠しきれない緊張が滲んでいた。二十を超える台座のどれか一つでも中身が分かれば、この場所の正体に、もう少し近づけるはずだった。だが今の権限では、指をくわえて眺めることしかできない。
そのとき、遠くから、あの巡回の気配が再び近づいてくるのを感じた。今日はここまでだ――そう判断するのに、迷いはなかった。
「戻るぞ。今は、見つけたって事実だけで十分だ」
ライラスの言葉に頷き、俺たちは来た道を、気配を殺したまま静かに引き返した。
境界を越えて戻る間、俺はずっと気配殺しを維持し続けた。持続時間の限界が近づいているのが、体感として分かる。ちょうど境界を抜けきったところで、視界の端の輪郭が、ふっと元の鮮明さを取り戻した。
「――保った、な」
「ああ。今日のところは、な」
ライラスの言葉には、達成感と同時に、拭いきれない不安も滲んでいた。あの場所は、確かに「行けば行くほど深くなる謎」だった。一歩進むごとに、答えより先に、新しい疑問符が増えていく気がする。
振り返った先に見えた、あの淡く光る祭壇の輪郭が、頭から離れなかった。あの場所に何が眠っているのか。答えに辿り着く日は、そう遠くないところまで来ている――そんな予感だけが、確かに残っていた。




