ゼロの向こう側
あの夜、板の山を片付け終えても、俺の頭からは「???」の三文字が離れなかった。
一晩置いて頭を冷やしても、答えらしい答えは出てこなかった。だったら、待っていても仕方がない。
「爺さん。ちょっと、危ない橋を渡ってみようと思う」
焚き火の前で干し肉を齧っていたライラスが、片眉を上げた。
「――嫌な言い方をするな。何をする気だ」
「あの『???』の正体を、直接掘り返してみる。動作解析ログの解像度を上げるだけじゃ足りない。もっと深く――螺旋の奥まで、潜ってみる」
ライラスは干し肉を口に運ぶ手を止めた。
「前にも似たようなことをやって、頭が割れそうになってたのを、ワシは覚えてるがな」
「覚えてる。だからこそ、今のうちにやっとくべきだと思う。戦闘の最中にいきなり試して、反動でぶっ倒れるよりはマシだろ」
しばらく睨むように俺を見ていたライラスは、やがて小さく息を吐いた。
「――止めても、聞かんのだろう」
「悪いけど」
「なら、ワシは黙って見ておく。倒れたら、蹴り起こしてやるから安心しろ」
「頼もしいな、それ」
軽口を叩き合いながら、俺は焚き火の傍らに腰を下ろし、目を閉じた。
意識を、内側へ沈めていく。
[ デバッグ空間へ接続を試行 ]
[ 接続成功 ]
瞼の裏に広がるのは、いつもの光景だった。三百六十度、あらゆる方向に巡る、光るコードの螺旋。初めて見たときは目が眩んだそれも、今では見慣れた景色になりつつある。
俺は螺旋の中を、意識だけで泳ぐように進んだ。目的地は決まっている――「適性」と「MP」、その二つの値が眠っているはずの場所。
適性の項目は、すぐに見つかった。だが、覗き込んだ瞬間、そこにあるはずの値の代わりに、見慣れた三文字が返ってくるだけだった。
[ 適性 ]
[ 参照エラー:値が見つかりません ]
[ 表示:???(代替表示) ]
(――やっぱり、こっちは空振りか)
値そのものが消えている。あるいは、最初から誰も書き込んでいないのかもしれない。ここを掘っても、これ以上は出てこなさそうだった。
俺は隣にあるはずの、MPの項目へ意識を移す。こちらは、見つけること自体には苦労しなかった。だが。
[ MP ]
[ 権限不足:この値への直接アクセスは許可されていません ]
(――権限不足、だと)
これまで散々、ステータスの数値そのものは『Read-Only』だと思い知らされてきた。だが「見ることすらできない」というのは、初めての反応だった。
試しに、簡易鑑定の解像度を無理やり引き上げてみる。頭の奥で、ガラスを擦り合わせるような痛みが、早くも兆し始めていた。
[ 簡易鑑定:強制実行 ]
[ 警告:この操作には相応の負荷が伴います ]
[ 続行しますか? ]
(――続行だ)
迷わず押し込む。頭痛が、一段階跳ね上がった。
[ 強制読込を実行... ]
[ MP:0 ]
[ ―― いや、待て ]
[ MP:0.0000000...(末尾、揺らぎを検出) ]
目に映った数字に、俺は思わず息を呑んだ。
(――ゼロ、じゃない)
これまで散々「MPは0だ」という前提で生きてきた。適性なし、魔法適性ゼロ。教国の連中に切り捨てられた、その根拠の一つだった。だが、目の前に表示された数字は、単純な0じゃない。小数点の遥か向こう側で、何かが小さく震えている。
[ 検出:極小の残留値 ]
[ この値は、既知の魔力算出式では説明できません ]
(魔力……じゃない?)
だったら、これは何だ。
答えを急かすように、頭の痛みがさらに強くなる。視界の端が、ノイズ混じりに歪み始めた。
「――坊主」
遠くから、ライラスの声が聞こえた。だいぶ焦っているのが分かる声だった。
「顔、真っ青だぞ。無理すんな」
もう少しだけ。もう少しだけ潜れば、この震えの正体が――
[ 警告:接続時間、限界に接近 ]
[ 強制切断まで:3……2……1…… ]
問答無用で、意識が引き戻される。
目を開けた瞬間、猛烈な頭痛と共に、視界いっぱいに星が散った。地面に手をついて、なんとか嘔吐きをこらえる。
「――大丈夫か」
ライラスの手が、背中を支えてくれた。
「……ああ、大丈夫だ。ちょっと、見過ぎた」
「見過ぎた、で済むツラじゃないぞ、それは」
荒い呼吸を整えながら、俺は今しがた見たものを、頭の中で反芻した。
「爺さん。MP、ゼロじゃなかった」
「――は?」
「正確には、ゼロだと思われてただけだ。実際は、うんと小さい……小数点の奥の方で、何かが震えてる。魔力の計算式じゃ説明がつかない、って表示まで出た」
ライラスは、しばらく黙って俺の顔を見ていた。
「魔力じゃない、のに、MPの欄にある、と」
「そういうことになる」
「――ますます、わけが分からんな」
ライラスは炭で地面に小さく丸を描き、その中に点を一つ打った。
「ゼロだと思ってたものが、実はゼロじゃなかった。適性は、あるのかないのか分からなくなった。……坊主、お前の中身は、一体どうなってるんだ」
「知りたいのは、こっちの方だよ」
俺は乾いた笑いを漏らしながら、地面に仰向けに倒れ込んだ。頭痛はまだ引かない。だが、収穫はあった。少なくとも、あの「???」は、ただの表示エラーじゃない。その奥に、まだ名前のついていない何かが、確かに存在している。
問題は、それが一体何なのか――そして、どうすればその正体を、自分の意志で引きずり出せるのか、ということだった。
「――今日はもう休め。続きは、頭の痛みが引いてからだ」
ライラスの声に、俺は素直に頷いた。
焚き火を見上げながら、俺は小さく呟いた。
「ゼロの向こう側、か」
誰に聞かせるでもない独り言は、パチリと爆ぜる火の音に紛れて、静かに消えていった。




