空白のポケット
瓦礫の山を漁ること、小一時間。
俺の両腕は、板やら欠片やらの記録媒体らしきもので、とっくに抱えきれなくなっていた。
「――爺さん、これ以上は持てない」
「贅沢な悩みだな。捨てて帰るのか」
「そういうわけにもいかないだろ、これ」
足元には、まだ回収しきれていない欠片が転がっている。どれが「続き」に繋がる当たりなのか、この場では判別のしようがない。持ち帰って、じっくり調べるしかなかった。
両腕がふさがった状態で歩くのは、思った以上に不便だった。魔物の気配を感知しても、とっさに構えられない。当たり前の問題に、今更ながら頭を抱える。
(――こういう時、便利な魔法の鞄でもあれば……)
他の転移者たちが持っていたという『空間収納』の類。あれがあれば、どれだけ楽だったか。詮ないことを考えながら、俺はふと、さっきの戦闘の記憶を思い返していた。
複合体を分割したときの感覚。あれは「一つの物体」という前提そのものを書き換える行為だった。だとすれば――
(「ここに存在する」という前提の方は、どうなる)
地形コライダーを消して、屍喰百足をデスポーン領域へ落とした、あの時のことを思い出す。あれは対象を「消す」――正確には「読み込まれていない場所」へ、一方通行で送り込む処理だった。
あの時は、殺意しかなかった。だが今、俺が欲しいのは、逆方向の使い方だ。
俺は試しに、抱えていた板の一枚に意識を向けた。
(――消えろ、じゃない。一時的に、しまえ)
[ コマンド送信:対象の読込フラグを一時的にOFFへ ]
[ 対象:記録媒体・板(1点) ]
[ 警告:De-spawn処理ではなく、状態保存を試みています ]
[ 未対応の処理形式です。実行しますか? ]
初めて見る確認メッセージだった。今までは、問答無用で処理が実行されるか、あるいは何も反応しないかの二択だったのに。
「――やってみる価値はある」
俺は迷わず、そのイメージを押し込んだ。
[ 実行 ]
[ 対象を未読込バッファへ格納しました ]
[ 参照ID:#0001(回収可能) ]
手の中の板が、ふっと軽くなった。
いや、軽くなったんじゃない。文字通り、消えた。空気に溶けるように、視界から掻き消えていた。
「――は?」
俺は空になった自分の両手を、しばらく呆然と見つめた。
「坊主、どうした急に」
「爺さん、今の見てたか? 板が、消えた」
「消えた……? どこにも投げてないだろう、お前」
ライラスの反応を見る限り、幻覚ではないらしい。俺は恐る恐る、今度は「取り出す」イメージを頭に描いてみた。
[ 呼び出しコマンド:参照ID #0001 ]
[ 対象を再読込中... ]
目の前の空間が、わずかに歪む。次の瞬間、消えたはずの板が、何事もなかったかのように俺の手の中に戻ってきた。
しばらく、俺とライラスは無言で顔を見合わせていた。
「……爺さん。俺、多分とんでもないことに気付いた」
「まさかとは思うが」
「ああ。多分、あんたが思ってる通りだ」
俺は残っていた瓦礫の欠片を、次々と同じ手順で「しまって」いった。両腕がみるみる軽くなっていく。最後の一つを送り込んだところで、俺は思わず声を上げて笑ってしまった。
「――便利すぎるだろ、これ」
「他の勇者様方とやらは、確か『空間収納』とかいう大層な名前のスキルで、似たようなことをやってのけるらしいがな」
ライラスが、からかうような笑みを浮かべる。
「向こうは、生まれた時から与えられた便利な鞄だ。こっちは、デスポーン領域に死体を放り込んだ経験から編み出した、ただのハックだ。似て非なるもんだよ」
「その言い分、嫌いじゃないぜ」
俺たちは軽くなった荷物を担ぎ直し、拾い集めた記録の欠片を一つ一つ確かめ始めた。ほとんどは判読不能なガラクタだったが、その中の一枚――比較的損傷の少ない板に、こんな文字列が浮かんでいた。
[ アクセスログ:断片 ]
[ ###権限にて、###区画への立ち入りを確認 ]
[ 目的:###の修復状況、確認のため ]
[ ―― 以降、判読不能 ―― ]
肝心な部分はほとんど文字化けしていたが、それでも一つだけ、はっきりと分かることがあった。
(――誰かが、確かに来ていた。俺たちより、ずっと前に)
この世界を作った側の誰かが、あるいはそれに近い権限を持つ誰かが、かつてこの奈落のどこかを「確認」しに来ていた。その痕跡が、こんな瓦礫の山にまで、断片となって流れ着いている。
「ますます、興味が湧いてきたな」
ライラスが、珍しく子供のような顔で呟いた。
俺たちはキャッシュ領域への帰路につきながら、今日拾った欠片の解読を、これからじっくり進めていくことを決めた。
道中、ライラスがふと思い出したように言った。
「――そういえば、また新入りが増えたらしい」
「新入り?」
「風の噂だがな。教国の内情調査とやらが、どうも本格的に動き出したって話だ。それに巻き込まれて、こっち送りになる連中が増えてる、とかなんとか」
俺は黙って続きを促した。
「肝心の聖女様は、相変わらず表に出てきてないそうだ。……坊主、あんたはどう思う」
「さあな。今の俺には、どうでもいい話だ」
嘘だった。多少は。だが今は、それでいい。
いずれ決着をつける日は来る。だが少なくとも、今この瞬間の俺には、拾ったばかりの謎と、まだ使いこなせていない新しい力の方が、よほど大事だった。
キャッシュ領域に戻り、焚き火を熾す。パチリ、と爆ぜる音が、いつも通りの静けさで森に響いた。
俺は懐から――正確には、もう懐ですらない、あの見えないポケットの中から――今日拾った記録の欠片を一枚、取り出した。
続きは、まだ始まったばかりだった。




