一つを、二つに
足を踏み入れた瞬間、匂いが変わった。
正確には、匂いなんてものがあるはずのない場所で、それでも肌が「淀み」を感じ取った。
見渡す限り、瓦礫だった。朽ちた巨木の残骸、砕けた岩、名前も知らない金属質の破片、そして――かつて何かのモンスターだったのだろう、乾いた甲殻や骨のようなものまでが、境目もなく積み重なっている。それらが、風もないのに、ゆっくりと、まるで呼吸するように蠢いていた。
「……壮観だな。悪い意味で」
ライラスが、珍しく声を潜めた。
俺は動作解析ログに意識を向ける。
[ 領域判定:未参照領域(仮称) ]
[ 検出:参照元を持たない残留オブジェクト、多数 ]
[ この領域には管理主体が存在しません ]
(――管理する奴すら、いないのか)
誰にも回収されず、誰にも参照されず、ただ捨て置かれ続けたデータの吹き溜まり。ライラスの噂話は、当たっていたらしい。
俺は板を握りしめたまま、瓦礫の山の間を慎重に進んだ。似たような板や、文字の消えかけた記録の欠片が、あちこちに転がっているのが見える。
「あるな。……いくつも」
「拾えるだけ拾っていけ。ただし、坊主」
ライラスの声が、緊張を帯びた。
「この静けさ、長続きするとは思えんぞ」
その言葉が終わるより早く、瓦礫の山の中心が、大きく盛り上がった。
積み重なった残骸のすべてが、まるで意志を持った一つの塊のように、互いを引き寄せ、絡み合い、巨大な人型――いや、人型と呼ぶには歪すぎる、継ぎ接ぎだらけの何かへと再構成されていく。
[ 対象を検出 ]
[ 種別:複合体(未参照個体の集合) ]
[ LV:算出不能(構成要素、変動中) ]
「――マジかよ」
声が漏れた。
目の前の「それ」は、朽ちた巨木の枝を腕に、砕けた岩を拳に、名も知らぬモンスターの甲殻を鎧のように纏っていた。輪郭は絶えず変化し、崩れては、また別の瓦礫を取り込んで補われていく。
迷っている時間はなかった。俺は迷わず意識を沈める。
(――クロックダウン)
世界が粘度を増す。振り下ろされる巨腕が、ゆっくりと空間を裂いてくる。
俺は横に跳んでかわしながら、目の前の複合体を観察した。当たり判定は――ある。だが、これまで見てきたどの敵とも様子が違う。
[ 判定:単一コライダーではなく、複数の断片コライダーが連結して構成されています ]
(――一つじゃない。無数の欠片の、寄せ集めだ)
石を置いてスタンを誘発する。地形コライダーをOFFにして落とす。PARENT_NODEを叩いて連動を断つ。これまで積み上げてきた手癖の一つ一つが、頭の中で候補として浮かんでは、すぐに消えていった。
(――どれも、通用しない)
スタンを誘発しても、痙攣する端から別の瓦礫が補充されて、すぐに体勢を立て直す。地形を落としても、複合体自身が瓦礫を吸い寄せて足場ごと再構成する。そして、そもそも「親」と呼べる中心が、どこにも見当たらない。
[ 参照構造:PARENT_NODE 不在 ]
[ 全断片が対等な参照関係で連結(自己補完ネットワーク) ]
(親がいない、ってことは――誰か一体を壊しても、意味がない)
クロックダウンの残り時間が、じわじわと目減りしていく。頭の芯に、ガラスの軋むような痛みが走り始めた。もう長くは保たない。
俺は歯を食いしばりながら、それでも観察をやめなかった。
巨腕の一撃を紙一重でかわし、拳を叩き込む。手応えはある。だが、砕けた部分は瞬時に周囲の瓦礫で埋まり、まるで最初から傷などなかったかのように修復されていく。
(――値では、削り切れない)
HPという概念があるのかも怪しい。仮にあったとしても、この再生速度の前では、俺の攻撃力なんてただの焼け石に水だ。ライラスが以前言っていた言葉が、ふと頭をよぎった。
――値は変えられない。変えられるのは、フラグだけだ。
(この複合体そのものが……一つの『まとまり』だっていう、そのフラグは?)
閃きというより、これまでの死闘すべてが、一本の線に繋がっていくような感覚だった。地形コライダーのON/OFF。群体のPARENT_NODE参照。すべては「存在の在り方」そのものを書き換える行為だった。
だったら――この化け物の「一つの物体である」という前提そのものを、俺が書き換えてしまえばいい。
俺は動作解析ログの解像度を極限まで押し上げる。頭痛が耐えがたいレベルまで膨れ上がるのを感じながら、視界いっぱいに広がる複合体の輪郭に、一本の「切れ目」をイメージした。
(――一つを、二つに)
右腕を大きく振りかぶる。狙うのは巨体の中心。物理的な破壊力なんて、二の次だ。重要なのは、拳が触れた瞬間に何を「書き換える」か。
[ コマンド送信:オブジェクト構造の強制分割 ]
[ 対象:複合体(全断片) ]
[ 分割面:中心軸に沿って設定 ]
拳が、複合体の中心を捉える。
衝撃と同時に、視界の中の輪郭全体に、光る一本の線が奔った。まるで、最初からそこに境界線が引かれていたかのような、迷いのない切断線。
[ 分割処理を実行 ]
[ 対象を独立した2つの参照グループへ分離しました ]
巨体が、真っ二つに割れる。
だが、それで終わりじゃなかった。分かたれた左右それぞれの塊が、慌てたように瓦礫をかき集め、再びくっつこうと蠢く。
(――甘い)
俺はもう一度、今度は迷いなく右手を左の塊へ、左手を右の塊へ叩き込んだ。同じ「分割」のイメージを、二つの塊それぞれに重ねて押し込む。
[ コマンド送信:オブジェクト構造の強制分割(再帰実行) ]
[ 分割:4グループへ細分化 ]
[ 各グループ:参照関係の再構築に失敗 ]
[ 独立断片:機能停止 → 瓦礫化 ]
四つに割れた塊が、それぞれ別々の瓦礫の山へと崩れ落ちていく。統率を失った断片同士は、もう互いを補い合うことができないらしい。まるで砂の城が波にさらわれるように、複合体だったはずのものは、ただの残骸の山へと戻っていった。
静寂が戻る。
クロックダウンを解除した瞬間、頭の奥で何かが焼き切れるような感覚があった。だが、それを気にする余裕もないまま、視界の中央に見慣れた文字列が流れ込んでくる。
[ 規格外撃破ボーナスを検出 ]
[ EXP:+184,000,000 ]
[ LEVEL UP! LV:47 → LV:238 ]
[ ステータス再計算中... ]
目の前が、白く光った。
[ LV ] 238
[ HP ] 249,000
[ STR ] 26,400
[ AGI ] 31,850
[ VIT ] 24,900
[ INT ] 12,600
[ MP ] ―(測定不能)
[ 適性 ] ???
[ 固有スキル ] デバッガー(開放)
[ 警告:未登録の処理パターンを検出 ×1 ]
[ Signature:コリジョン強制分割 ]
[ この現象は既知のスキルテーブルに存在しません ]
俺はしばらく、光る文字列を眺めたまま立ち尽くしていた。
スキルなんて、どこにも与えられていない。ただ、これまでの死闘の中で編み出した「やり方」が、システムにとっても未知の現象として記録されただけだ。
それでいい。むしろ、それがいい。
「――坊主」
瓦礫の陰から、ライラスがゆっくりと姿を現した。その顔には、驚きと、それを上回る呆れが浮かんでいた。
「二つに割って、それでも収まらんかったら、また割る、か。えげつない発想しやがる」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
俺は肩で息をしながら、それでも小さく笑った。頭痛はまだ残っていたが、以前ほどの虚脱感はない。少しずつ、この力の扱い方が、体に馴染んできているのかもしれなかった。
足元に散らばった瓦礫の中に、まだいくつも、記録らしき欠片が埋もれている。
俺はそれを拾い上げながら、この吹き溜まりが抱えている「続き」を、もう少しだけ、読み解いてみることにした。




