曲げなかった鑑定
北東への道行きは、これまでのどの探索よりも静かだった。
モンスターの気配は薄く、代わりに、景色そのものが少しずつ「間延び」していく感覚があった。同じ木が、少しだけ角度を変えて何度も現れる。歩いた距離と、実際に進んだ距離が、微妙に噛み合っていない。
「爺さん、ペース落とすか」
「いや、まだいい。これくらいは慣れたもんだ」
ライラスの息は、いつもよりわずかに上がっていた。二十数年をこの奈落で生き延びてきた老人だ。それでも歳は歳、というやつだろう。俺は歩調をさりげなく緩め、隣に並んだ。
しばらく無言の時間が続いた後、俺は前々から胸の中でくすぶっていた質問を、思い切って口にした。
「――なあ、爺さん」
「ん?」
「前に聞いたよな。鑑定士だった頃、上の連中が欲しがってた『答え』を出さなかった、って。あれ、詳しく聞かせてくれないか」
ライラスの足が、一瞬だけ止まった。だがすぐにまた、何事もなかったように歩き出す。
「――今日は、そういう気分の日らしいな」
「無理にとは言わない。ただ、そろそろ聞いてもいい頃合いかと思っただけだ」
しばらくの沈黙の後、ライラスは焚き火を見るときと同じ、遠い目をして口を開いた。
「ワシは鑑定士だった。教国お抱えの、それなりに名の知れた鑑定士だった。何百人、何千人と鑑定してきたが……ある日、一人だけ、鑑定した」
「一人だけ?」
「特別な、な。詳しくは言わんが……上の連中にとって、とても大事な相手だった。誰も彼もが、完璧な結果が出ることを、疑いもしていなかった」
ライラスの声のトーンが、わずかに低くなる。
「だが、鑑定台に映し出された結果は――上の連中が期待していたものとは、まるで違うものだった」
「違うって、どんな風に」
「言えん。それは、まだ言えん」
ライラスは即座にそう答えた。いつもの飄々とした調子とは違う、はっきりとした拒絶だった。
「――ただ、これだけは言える。ワシは鑑定士としての矜持だけは、曲げたくなかった。台に映った結果を、そのまま告げようとした」
「上は、それを望んでなかったんだろう」
「ああ。書き換えろ、と言われた。誰も傷つかない、丸く収まる『答え』に直せ、とな」
その言葉に、俺の背筋を冷たいものが走った。
――誰かの鑑定結果を、都合よく書き換える。それは俺自身が、最も嫌というほど思い知らされてきた「鑑定」という儀式の、根本的な胡散臭さそのものだった。
「あんたは、断ったんだな」
「断った。鑑定士ってのは、視たものを、視たままに告げる。それだけが、ワシらの唯一の仕事で、唯一の誇りだった。それを曲げるくらいなら、鑑定士なんぞ辞めちまった方がマシだ、と本気で思ってた」
「それで――」
「それで、この様よ」
ライラスは自嘲するように、両手を軽く広げてみせた。
「異端認定、資格剥奪、そして無帰の奈落行き。教国にとっちゃ、ワシは『答えを出せなかった無能』ってことになってる。実際は、逆だったんだがな」
答えを、出さなかったんじゃない。出した答えを、握り潰されただけだ。
俺はしばらく、何も言えなかった。あの日、大聖堂で「オールステータス10」と切り捨てられた自分自身の記憶が、否応なく重なる。
鑑定という儀式そのものが、最初から公正なんかじゃなかった。俺の場合は「ありのままの結果」が切り捨てられ、ライラスの場合は「ありのままの結果」を告げようとした本人が切り捨てられた。順番も形も違うが、根っこにあるものは、同じ臭いがした。
「爺さん、その『大事な相手』ってのは――」
「坊主」
ライラスは静かに、だがはっきりと俺の言葉を遮った。
「今日話せるのは、ここまでだ。……いつか、もう少し話せる日が来るかもしれん。だが、それは今日じゃない」
その声には、これ以上踏み込むことを拒む、確かな重みがあった。俺は素直に頷いた。
「わかった。無理には聞かない」
「――すまんな。年寄りの秘密ってのは、存外、しつこく体にこびりついてるもんでね」
ライラスは小さく笑って、また前を向いて歩き出した。
それ以上、俺たちは何も話さなかった。だが沈黙は、気まずいものではなかった。むしろ、お互いの中にある、似た形の理不尽を、そっと確かめ合っているような静けさだった。
やがて、景色の「間延び」が一段と強くなり、動作解析ログの表示も不安定に明滅し始めた。
[ 座標解析:精度低下(誤差範囲、拡大中) ]
[ この先、既知のマップデータとの一致率:8% ]
「――近いな」
ライラスが、杖の先で前方を指した。
木々の隙間の向こうに、これまで見たどの景色とも違う、灰色がかった奇妙な光景が広がっているのが見えた。まるで、あらゆるものの「残りかす」だけを集めて積み上げたような、雑然とした地形。
俺たちは顔を見合わせ、無言のまま、その場所へと足を踏み入れた。




