航路
同刻。
椿たちはアイスクリームを平らげると、クルーズ船の方向へと歩みを進めていた。
「ボン・ボヤージュ!ってか。こう暑いと水辺が恋しくなるよな…」椿が汗で張り付いた髪を鬱陶しそうにかきあげる。
桂はおずおずと島谷に尋ねる。
「あの…椿が強いのは…わかるんですけど…島谷さんはなにかやってたんですか…?」
島谷はニッと笑うとこう答えた。
「ああ…まぁ、昔取った杵柄、ってやつかな。僕ね、元自衛隊員だったんだ。18で入隊。うちの父親も自衛官でね…どうしても僕にも自衛隊に入ってほしかったらしくて…まぁ…小さい頃から相当しごき上げられたよ」
「自衛隊…ですか…どうりで…」
桂が得心が言ったという表情をしていると椿が続ける。
「それだけじゃねえぞ、桂。潤はな、そのあと自衛隊を辞めてどこいったと思う?あは…こいつさ、シークレットサービスにもいたんだぜ?」椿が意地悪そうに笑うと島谷は「こら。椿ちゃん。」と椿を窘めてから桂に語り始めた。
「シークレットサービスって言ってもいろいろだ。アメリカの大統領付きから要人の護衛まで。僕がやってたのは、まあ…金払いさえ良ければ誰でも警護する。飼い犬だよ。」
自嘲気味にそう言う島谷に桂は、
「そんなこと、ないです…。だって現に椿と島谷さんで幾つものphiliaを⸺葬ってきたんでしょう…?助けられた人だって多いはずです。俺だって…」と真っ直ぐに島谷を見据えて言った。
「あはは、おじさんちょっと照れちゃうなぁ…でも、そう言ってくれると少し気持ちが楽になる。ありがとう。」島谷がそう返すと椿はカラカラと笑いながら、
「ま、philiaの始末はアタシらにお任せ、ってこと。」と楽しそうに言った。
その瞬間、誰かの視線を感じたような気がして桂は振り返ったが⸺背後の景色は楽しそうに道行く人ばかり。
「おい、行くぞ。」
椿にそう言われて慌ててあとを追う。
クルーズ船の待ち時間は30分ほど。
やはり水辺は幾分か吹く風が涼しい。
「ほら、アタシの行った通り!涼しいだろ?」
椿は得意満面といった表情だ。
列が進み、自分たちの番になる。
椿は「アッハ…船首はいただき!」と走り出す。
「ああもう…子供じゃないんだから…すみませんねぇ…。」と島谷がキャストの女性に頭を下げる。
そんな様子を桂はクスリと笑いながら見ていた。
2階建ての豪華客船を模したクルーズ船がゆっくりと⸺そして確実に航路を進み始める。
1階の船首を陣取った椿は「面舵いっぱい!Keep her steady!!」前方を指差してはしゃいでいる。
そんな椿を見て桂はそっと近づくと、こう語りかけた。
「本当に…楽しそうだね、椿。俺は修学旅行で来た以来だけど…ここは本当に夢の国だ。」
椿は桂の顔を見つめるとおもむろに両手を広げ、
「ん。」
と一言。
桂はぽかんとして、「…何してるの、椿…?」と尋ねる。
椿は顔を真っ赤にして⸺そして捲し立てた。
「バカ!この鈍感!豪華客船の旅って言ったら…ほら!あの映画だよ!!」
そう言われて桂はハッとすると椿同様赤面して⸺そしておずおずと椿の細い腰に手を回す。
風が椿の髪を撫でる。シャンプーの香りとほんのり混じって汗の匂いが桂の鼻孔をくすぐる。
「おっと…おじさんは退散…ってね…」
島谷は二人に聞こえないように呟くと船尾の方へ回る。船尾にはブロンドの髪を靡かせた女性と、杖を持った日本人男性、そしてハーフと思しき幼子が淡い水色のドレスを着て船に揺られていた。
その後ろを島谷が横切った刹那⸺背筋に冷たいものが走る。島谷が思わず振り返ると杖を持った男性がこちらをじっと見ていた。交差する視線。
やがて男性はふい、と視線を外すと幼子を抱きかかえ、船尾に誂えてあるベンチへと腰掛けた。
(なんだ…?なんの違和感だこれは…?)
島谷はその家族連れに近づこうとしたが⸺制服に身を包んだ女子高校生たちが船尾へとなだれ込み、自撮りを始めてしまった。
島谷はしばし逡巡して⸺
(違和感だけは…この胸のうちにおさめておこう…)
そう思うとゆっくりとその場を立ち去った。
再び太陽が顔を出し、水面がキラキラと光る。
その光はどこか鈍く⸺むき出しの刃のようであった。




