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「…ッ!もしもし!?椿?ねえってば!!」

突然切られた電話。

桂はアパートの駐車場に崩折れたままスマートフォンを握りしめていた。

たまらなくなってかけ直したが⸺「おかけになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていません…」のアナウンス。

「くそ…!俺は自分のことばかりで…!!椿の気持ちなんてこれっぽっちも…!!どこにいるんだよ…椿…」

先程の通話を思い出す。漏れ聞こえてきた電車の音。こもったような声。そして本当に微かに、微かにだが聞こえた⸺入社したての頃連れて行かれたハングルの飛び交うあの場所は⸺

桂はスマートフォンでタクシーを呼ぶと、大急ぎで部屋へ戻り傘を引っ張り出す。上京するときに父親に買ってもらった大きな傘。その大きさが自分の小ささを際立たせるようで使っていなかった傘。

それを掴むと外へ飛び出した。タイミングよく来たタクシーに乗り込むと一言。「新大久保の高架下まで。明洞っていう焼肉屋があるはずです。できるだけ急いでください…!!」


椿は高架下で座り込み、聞こえるか聞こえないかの微かな声で何かを口ずさんでいた。

「Baa, baa, black sheep,Have you any wool?

Yes, marry, have I Three bags full…♪

One for my master,One for my dame,

But none for the little boy Who cries in the lane…」

そんな椿を好奇の目で見る者もいれば、全く無視して通り過ぎてゆく者もいる。

韓国料理屋の店員は時々こちらをチラ、と見るが⸺特に何も言わず黙々と掃除をしている。


「泣いてる坊やにゃ何もあげません、か…。あは…。」椿は自嘲気味に笑うとがっくりと肩を落とし、雨の寒さに震えていた。

(なんであんなこと…迫っちまったんだろう…でも…)

大雨にかき消されそうな中思考を巡らす。

(でも…あの時の火照りと疼きはどうしようもなくて…アタシはそれをなんとかおさめたくて…でも…)

島谷の感情のこもってない瞳を思い出す。

「アタシ…アタシは…さぞかし醜い獣に写ってたんだろうな…潤…ごめんじゃ、すまされねぇよな…」

椿がよろりと立ち上がった、その時だった。


車の停車音。

バタバタと誰かが駆け寄る音。

「椿!!!」

顔を上げるとそこには⸺大きな傘を抱えた桂の姿があった。

「なんで…ここに…お前…」

椿は目を見開いてにわかには信じがたいという表情をしている。

「…ッ!びしょ濡れじゃないか…椿…!」

桂はそう言うとカバンからパーカとタオルを取り出し椿に羽織らせると、椿のウィッグを外し、髪を一房ずつ丁寧にタオルで拭いていく。

「やめろ…っ!アタシは…こんなことしてもらえる身分じゃねえ…」

椿は桂の手を払いのけると、その場を立ち去ろうとした⸺が。桂は椿の手を掴んで離さない。

「行かせない。絶対にどこにも行かせない…そのためにここまで来た。」

桂は力強くそう言うと更に続ける。

「こんなことしてもらえる身分じゃない…?俺がバーに逃げ込んだとき、椿は俺になんて言ったか覚えてない…?資格とか関係ない、自分が選んだ、そう言ったんだよ…?」


ハッとして椿が振り向くと桂はボロボロと大粒の涙を流しながら必死に⸺そして切実に叫んだ。

「俺が選んだ!!君は俺の…とても大切な人だって!!ウジウジしてんなよ!!」

その声の大きさに道行く人がチラリと視線を向けるが、桂はお構いなしに続ける。

「悲しいこというなよ!!友達だって言ってくれたじゃないか…!!確かに…君と島谷さんのしたことには驚いたよ…勅使河原専務の件…君らのやったことでしょ…?驚いたし、なんで何も言ってくれなかったんだって思った。でも…!!」

ハアハアと息を切らしそこまで言うと桂は椿の手を掴んだまま、一言。

「でも…友達だろ…」


雨足は一層強くなり高架下にも吹き込んでくる。

桂は持ってきた傘を開くと一言、「帰ろうよ」と微笑んだ。

「帰る場所なんか…」

そう言う椿に桂は「あるだろ?島谷さんが待ってる。行こう?椿。」と言って手を引いていく。

「ちょっと…待てよ!なぁ!」

ささやかな抵抗を見せる椿の手を桂はぐっと引っ張る。

思わずよろけた椿の顔がすぐ近くに来て⸺そのまま桂は椿の頬に軽くキスをした。


「いつかのおまじないのお返し。元気出るんだろ?これ…俺は…元気出たから…」

恥ずかしそうに言う桂を見て椿は思わず吹き出した。

「…プッ…はは…。恥ずかしいのに無理してそんなこと…すんなよ…お前ってやつは…あはは…。」

そんな椿を見て桂はにっこりと微笑んで、「やっと笑ったね、椿。やっぱり君はそっちのほうがずっといいよ。」と照れ臭そうに頭を掻いた。そして、

「帰ろう?」と再度椿の手を引くと椿は笑いながら「わかった、わかったから。ほら、傘貸せ。アタシがさしたほうが濡れねぇよ」と桂の手から強引に傘を奪うと、つないだ手を絡めて歩き出した。


高架下の鳩たちがそれをじっと眺めていた。


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