狂熱の果て
時間は少し遡る。
勅使河原を始末した椿と島谷はバー King'sCrossへ戻った。
指紋などの痕跡は残していない。あの時いた嬢たちにも、口外したら次はお前だと⸺厳重に口止めをしてきた。
「アッハ…!最高の気分じゃねぇか…!なぁ、潤?なぁ、そう思うだろ?あいつの股ぐらを踏み潰してやったときのガマガエルみたいな声…!あぁ、身体がジンジン火照って…!!」
椿は自分自身を抱きしめるとうっとりとした目つきで島谷にこう言った。
「なぁ潤、ヤろうぜ…?アタシ…今この熱をどっかにぶつけねえと…このままおかしくなっちまう…あは…これ、かぶるか…?ママに似てるか…?」
そう言って椿は外したウィッグを再び装着すると島谷に迫ってゆく。
「なぁ潤…お前、あの時…ママとアタシのこと重ねて見てただろ…?全部わかってんだぜ…?」
島谷は動かない。
「おい、アタシを見ろよ…。抱けよ…。お前インポか…?なぁ…?」
島谷はジリジリと距離を詰める椿を見つめ、目を瞑ると⸺右手に力を込め思い切り平手打ちを食らわせた。
パン、という乾いた音が響く。積まれたグラスがビリビリと振動する。180cm超えの椿が床に叩きつけられる。
「何すんだてめぇ!!」椿は打たれた左頬を抑えながら立ち上がると、島谷に詰め寄る。
「何をするんだ、はこっちのセリフだ、椿。」
島谷はなんの感情も篭っていないが⸺極めて冷酷な声で椿に語りかける。
「鏡を見ろ。今すぐに。お前のその目は、百合子さんのあの眼差しとは違う。血に飢えた獣そのものだ。お前を殴り蹴り、人間としての尊厳を奪おうとした、お前の父親そっくりの顔をしているのが分からないか…?」
一瞬の間。
椿は後ずさると、店の入り口にある外套掛けの脇に置かれた姿見を見る。
そこには⸺島谷の言うように目を光らせ歪に嗤う浅ましい獣のような自分が映し出されていた。
「あ…アタシ…アタシは…?」椿は髪をぐしゃぐしゃと掻きむしると、「ああああ…っ!…ああ…!!違う違う違う!!!こんなものは…こんなものはアタシじゃ!ない!!」と叫びながら思い切り姿見を叩き割った。
飛び散るガラス辺が椿の頬や腕を掠めていく。
「椿ちゃん!!」島谷は表情を戻すと椿に駆け寄ったが⸺「来るな…来るな、来るな!!!見るな!!アタシを見るな!!!!!」そう言って椿は弾かれたように2階の自室へと駆け上がって行った。
島谷はしばし呆然として⸺そしてガラス辺を一つずつ拾い上げる。
「…ッ…」
そのうちの一枚が深く、右手の人差し指に刺さる。
「何やってんだろうね…僕たちは…」
島谷は自嘲気味にそう言うと、人差し指を咥えて血を吸い出す。
「いつ口にしても…慣れない味だ…」
その呟きは割れた鏡の欠片に吸い込まれていった。
翌朝。外は大雨。
島谷は目を覚ますと、朝食の準備に取り掛かる。
椿の好きなチーズトースト(ただしケチャップなし)を焼き上げて、椿の部屋をノックする⸺が。応答はない。
「椿ちゃん…?開けるよ…?」
そう言って部屋のドアをそっと開けたが、そこには誰もいなかった。
ソファの上に大きなティディベアが座らされている。いつもの椿の定位置。ティディベアの頭にちょこんと載せられたシルクハットにメモが挟んである。
「頭冷やしてくる。頼むからひとりにしてくれ」
島谷はスマートフォンを取り出し椿にかけようとして⸺思いとどまった。
「わかった。君の意思を尊重する。早く帰っておいで」
そう言うと島谷はティディベアにそっとキスをした。
「アタシは…獣…?血に飢えた…パパみたいな…獣…」
椿は傘もささずにふらふらと街中を歩いていく。
ウィッグが水を吸って重い。
「ってぇな!どこ見てんだこの…」威勢のいい輩ににぶつかって文句を言われたが⸺椿がゆっくりと振り返るとその輩は言葉を濁し去っていった。
「あは…バケモンでも見たような顔してら…」
椿はスマートフォンを取り出すと桂に電話をかける。
4コール目で電話に出た桂に話しかけようとしたが⸺それは桂の一言で遮られた。
「君は…君と島谷さんは…なにをしたんだ…?俺の知らないところで…ねぇ、椿…。どうして…何も言ってくれなかったの…?」
上擦った声。それが涙によるものと理解するのにそう時間はかからなかった。
椿はゆっくりとスマートフォンを耳から離すと、そっと電話を切った。
「そうか…桂…。怖いか…アタシが…。」
すぐ横の線路を電車が通過する。その轟音が椿の独り言をかき消していった。
雨は非情なくらいに止む気配がなかった。
椿はただただ、そこに立ち尽くすことしかできずに⸺雨に打たれていた。




