母なるもの
「〜Lizzie Borden took an axe,
Hit her father forty whacks,
When she show what she had done,
She hit her mother forty-one…♪」
ピザに舌鼓を打ち(トマトはすべて椿が桂に押し付けたが)、桂が帰ったバー King'sCross。
椿はボトルシップを抱え、清潔なタオルでそれを磨いていた。
「椿ちゃん…ちょっとそれ…口ずさむには物騒すぎないかい?」島谷が呆れ顔で椿に話しかける。
椿は島谷に目もくれず、ほんのりと頬を紅潮させながらキュ、キュ、と小気味良い音を立てて瓶を磨いていく。
「おし。これで完璧。ピッカピカだ」
そう言うと椿はボトルシップをそっとカウンターの片隅に置いた。
「なにかマット敷きたいよな…そーだ!」と言うと椿はバタバタと自室へ上がってゆきまたバタバタと戻ってきてそっとボトルシップを持ち上げてそれを敷き、また置き直した。
「へへ、どーよ。アタシのお気に入りのバーバリーのマフラー…。似合うっしょ。」
紺色のウールのマフラーはボトルシップをそっと包み込むように⸺ふわふわと優しげに佇んでいる。
「椿ちゃん…ウールって、ホコリつきやすいんだけど…」と呆れ顔のまま島谷が言うと、椿は鼻の下をこすりながらこう言った。
「だったらその都度、アタシが磨けばいい。」
ボトルシップを飾り終え、島谷も洗い物を済ませた、14時過ぎ。
椿が口を開く。
「リジー・ボーデンってさ…本当にパパと…義理のママを殺したと思う?」
島谷はゆっくりと椿の方を向くとこう答えた。
「裁判では無罪になってるけどね…本当の事は本人しか、わからない。そうやって歴史に埋もれてきたことなんていくつもある。詮索するだけ疲れるだけだよ。」
「それもそっか…まぁ、アタシもパパのことぶっ刺してっかんな…ハハ…」椿は自嘲気味に笑うと自室に戻って行った。
島谷特製のボリューミーなピザを(ただしトマトはすべて桂に押し付けて)腹一杯に食べて、否応なしに眠気が襲ってくる。椿はそのままベッドに倒れ込むと、うとうとと微睡みの底へと落ちていった。
「I want you to engrave it all over my back. Your prized Tsubaki, Yuriko. In a completely naked state.」
下卑た白豚のような男の嗤い。
百合子が答える。「Understood. With heartfelt sincerity.」
そして彫りあがった一面の椿(camellia)。
激昂した男はナイフを手に取りそのまま百合子へ⸺
「…ッ!!ハァッ…ハ…ハ…夢…」
椿はよろよろと立ち上がると壁に貼られた写真に近づき、そっと呟く。
「ママ…。あのクソブタの言うとおりに、アタシを彫っておけばこんなことに…ならなかったのに…。」
椿は写真に口づけると虚空を睨み⸺お気に入りのドクターマーチンの8eyeを思い切り蹴り上げた。
ボコ、という音がしてブーツが弾む。
「あのブタは知ってた…アタシのこの呪われた身体を…ロリペドの変態め…!!」
男に下された判決はたったの懲役25年。人一人の命を亡きものにして⸺たったの25年。椿の父も、検事も必死に戦った。が。相手の弁護士が上手だった。
「どうして…どうして…ママ…。」
椿の頬を涙が伝う。
「アタシは構わなかったのに…あのブタの背中に刻まれることになっても構わなかったのに…!!」
島谷は音も立てずに椿の部屋のドアの前に忍び寄ると、漏れ聞こえる嗚咽を聞いていた。
(それがあの人の⸺百合子さんの矜持で…母性なんだよ…だから僕も…あの人に惚れ込んだんだ…)
いつの間にか外は雨が降り始めていた。
しとしとと降る恵みの雨。だがそれは椿の心の中を写す鏡のようであった。




