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暗中飛躍

「あん、勅使河原さんもう帰っちゃうの?」

「奥の間」から出てきた勅使河原にNo.1嬢の愛海が駆け寄る。勅使河原は頬を紅潮させたまま、愛海の肩を抱き⸺「また来る。その時は同伴でも何でもしてやるから、な?」と囁きかけた。

勅使河原が車で去るのを見送ったあと、愛海は煙草を取り出し火をつけると、支配人に視線をやる。

「あのオッサン、まだあんなことやってんの?」

先程までのキラキラとした艷やかな雰囲気とは打って変わり、入口付近の椅子に腰掛けて高く足を組み、顔を顰めているそれは、計算高い売女の顔をしていた。

支配人はただ一言、「愛海。VIPだ。分かっているよね」とだけ答えると煙草を取り上げ、足で踏み潰した。

愛海は軽く舌打ちしてから「ハイハイ。あたしたちは何も知らない。何も見てない。」と吐き捨てるように言った。


深夜。

勅使河原を乗せた車はタワーマンションの地下駐車場に。

専属ドライバーの古屋が恭しくドアを⸺なんの感情もこもっていない目で開ける。

「ご苦労だったね」と勅使河原が声をかけると古屋は「では、私はこれで」と言って去っていった。

「ああ…楽しい時間だった…女なんかよりもずっと…胸元に軽くナイフを滑らせたときの、あの顔…たまらなくそそる…」勅使河原が独り言を言いながらマンションのエントランスに入ろうとしたその時だった。


「よお。オッサン。久しぶり」

背後からかけられた声に勅使河原は振り向く。

そこには⸺椿が立っていた。

「こんな時間まで変態プレイに精が出ますこと…」

そう言いながら椿がジリジリと、確実に勅使河原に近づいていく。

勅使河原は目を丸くして「お前…お前は…」と上擦った声を搾り出す。

「アハ、どした?感動のご対面…じゃねえのよ…なぁッ」言うやいなや椿は上段蹴りを繰り出す。それを勅使河原はなんとかカバンで受け止めたが⸺その威力にあえなく尻もちをついた。

椿はツカツカと近寄ると未だ大きなガーゼが貼られている左耳を引っ張り、「こっちの耳だけじゃ、足りなかったみてぇだな?あ?」と楽しそうに嗤う。


「か…金ならやる!だから…」勅使河原があげた声を椿は今度は掌底でかき消した。もろに顔面に食らい、勅使河原の鼻からはドクドクと⸺鉄サビの匂いとともに血が吹き出す。

「ドSのパラフィリアが。お前みたいなやつが生きてる価値、ねえんだよ!!」椿が更に右ストレートで追い打ちをかけようとしたその時だった。


「!?」椿の体の自由が封じられた。

そして背後から男の声。

「お逃げください!今のうちに!」

古屋だった。

「てめ…!離せよコラッ!!この…!!」

椿が古屋を振りほどき蹴り倒したが⸺勅使河原はカードキーでタワーマンションの中へと逃げ去って行った後だった。

「チッ…」と椿が舌打ちをしたときだった。

パトカーのサイレンの音が夜の闇を切り裂いて近づいてきた。

「ここまで、ってことかよ…!クソッ…!」

椿はそのまま闇の中を走り去っていった。


バー King's Cross。臨時休業の札のかかったその中で島谷はそわそわと⸺落ち着かずにただ椿を待っていた。

「無茶し過ぎてないと良いんだけど…僕と行動しよう、って言ったのに…なんであの子は一人で行っちゃうかな…。」

と、その時だった。

息を切らした椿が転がり込むように店内に入ってきて、そして一言。「水。よこせ」

全力疾走で帰還した椿の肩は激しく上下に揺れていて⸺汗だくで、ひどく熱を持っていた。

「椿ちゃん!!」島谷が駆け寄り水を渡すと、椿は一気にそれを呷り、「仕留めそこねた。クソ…」と力なく呟く。

そんな椿をしばし見ていた島谷だったが⸺意を決したように目を閉じて、そしてゆっくりと開くと椿に平手打ちを食らわせた。


「てめ…ッ何すんだ潤!!!」ヒステリックに椿が叫ぶ。それを制するように島谷はゆっくり、そして低い声でこう告げた。

「椿ちゃん…いや、椿。」その声の重みにおもわず椿がびくり、と身体を震わせる。

「一人で動くなと言ったはずだ。今回のPは…お前一人で仕留められる代物じゃないと。そう言った。違うか、椿?」

その圧倒的な剣幕に先程までの勢いは消え、椿の顔は一気に青ざめる。が、島谷は追求を止めない。

椿の顎をぐいと掴みあげ、続ける。

「これでやりにくくなった。とても、とてもだ。椿。何故僕の言うことを無視した?」

普段の温厚で飄々とした島谷とは違う別の顔。

カウンターに磨き上げられたグラスがまるで刃のように冷たく光っている。

椿はフルフルと震えながら、「…ぁ…」と声にならない声を絞り出すことしかできない。

島谷は椿の顎を離すと、ふいと振り返り⸺そして振り向くと元の温厚な表情でに戻っていた。


「桂くんのこと気になってるんでしょ。椿ちゃん。でも⸺無策で突っ込んでどうにかなる相手じゃないよ、僕、何回もそう言ったんだけどな…」そう言いながら島谷はぽんぽんと慈しむように椿の頭を撫でる。

「アタシ…アタシは…!!いや…ごめん、潤…。頭、冷やしてくる…」

椿は力なく階段を上がってゆくと自室のドアを開け、そのままぺたりと座り込んだ。

「ちきしょう…」その呟きは真っ暗な部屋に吸い込まれていった。

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