Savile Row⸺横浜
「桂くん、椿ちゃんからIDを聞いた。土曜日は空いてるかな?」
桂のスマートフォンに届いたメッセージは島谷から。
この1週間ひたすら⸺誰にも邪魔をさせずに仕事に打ち込んで疲労はあったが、せっかくの誘い。断るのは気が引ける。
「はい、大丈夫です。何かプランがあるんですか?」
と返信すると、すかさず通知音が鳴る。
「ちょっと横浜まで、僕とデート、ね?」
土曜日。その日は快晴だった。日差しはジリジリと暑いくらいだ。海風が気持ちいい。
「やー。ここは変わらないねぇ…いつ来ても賑やかで…」
島谷はスラッとしていてかつ、ほんのりと筋肉のついた身体を惜しげもなく披露するかのようなブルーのストライプのシャツに、ヴィンテージのデニム。それに黒く磨き上げられたサイドゴアのブーツ。髪は後ろで束ねてサングラスをかけている。
桂は⸺ラフなポロシャツにジーンズ。そしてニューバランスのスニーカー。
島谷の姿に気後れしながら桂は尋ねる。
「島谷さん…かっこいいですね…特にそのブーツ…。俺…そんなにブランド詳しくなくて…どこのなんですか…?」
桂がそう言うと島谷はぱっと顔を輝かせて「よくぞ聞いてくれました。これはね、Crockett&Jonesっていうイギリスの老舗のものだよ。サイドゴアだから履きやすいし脱ぎやすい。いいでしょ。」と満面の笑みで答えた。
(ああ…いいなぁ…。俺もこんなふうに…大人の男になれるの…かな…)
思わずうつむいた桂に島谷はふ、と微笑み⸺そして「行こう。連れていきたいところがあるんだ」と手を引いて歩き出した。
赤レンガ倉庫から賑やかな中華街を抜けて⸺途中甘栗売りに捕まりそうになりながらも⸺更に裏通りを5分ほど。小さな路地裏にぽつんとその店はあった。
「仕立致し〼 紳士服ニシムラ」
白いレンガに蔦が這ったその店は、その看板も日に焼けて読むのがやっとだ。
「ここ。連れて来たかったとこ…って、桂くん、大丈夫?」
ほんの30分ほど歩いただけなのに桂の顔は汗だく。
「ああごめん…休み休み来ればよかったね…」と申し訳なさそうに言う島谷に、桂は「いや…俺の…運動不足なんで…気にしないでください…」と力なく返す。
「ああ…ほんとごめん…とりあえず中に、ね?涼しいと思うよ」
島谷に促されて店内に入ると、ひんやりとした風が頭上を掠める。上を見上げると年代物であろう扇風機がギ、ギ、と音を立てながら回っていた。
そして⸺棚一面にびっしりと並べられた生地。無地のものから柄入りのものまで、100以上はあるであろうその光景に圧倒されていると不意に奥から声がかかる。
「いらっしゃ…アンタか、島谷。」
声の主は齢80は超えていそうな小さな老人だった。
「西村さん、ご無沙汰してます。」島谷が頭を下げる。
つられて桂もぺこり、と頭を下げると老人⸺西村はフン、と鼻を鳴らしながらこちらに近寄ってきて、おもむろにメジャーを取り出し、「おい、そこの若いの。ちょっと来な。島谷。この子のために連れてきたんだろう?」と島谷に声をかけた。
「はは、さすが西村さん。ご明察です。じゃ、桂くん、西村さんについていって。僕はここで待ってる。」
「最近の若えやつはヒョロヒョロしてんなぁ…ちゃんと食ってんのか?」
奥の間に通された桂はパンツ一丁にされてウエスト、腕の長さ、肩幅、着丈と順にメジャーを当てられていた。
腕の長さと肩幅は左右別々に。ピタリ、とメジャーが当たるたびにピクン、と体が反応してしまう。
「右利き…0.5cmってとこか…フン…」
ブツブツと独り言を言いながら西村は鉛筆でメモ書きをしていく。そして、「ほら。もう着ていいぞ。お疲れさん。」と桂が着ていた服をぶっきらぼうに返した。
「あ、お疲れ。終わった?」
棚に並ぶ生地を触りながら島谷が桂に尋ねる。
「あのー…色々サイズ測られたんですけど…これって…」と尋ねる桂を他所に、今度は島谷と西村が生地を一つ一つ確認しながらああでもないこうでもないと議論を始めてしまった。
「ですからね、西村さん。最近の子は外回りとかなくて…SEってわかります?ほとんど座りっぱなしなんですよ。」
「座りっぱなしだぁ?はぁ、どおりで脚に筋肉がついてねえわけだ…。座りっぱなしってことは…このあたりか?シワになりにくい…」
(あのー…俺、置いてけぼりなんですけど…)と桂が思った刹那、島谷が振り返り1言。
「お疲れ。飲茶でもして帰ろう。」
帰宅した頃にはもう日は傾き始めていた。
「疲れた…」
桂はベッドに身を投げ出して、今日一日のことを振り返る。
(採寸された…んだよな…?どういうつもりなんだろう…。)
あのあと島谷は「2週間後をお楽しみに」と言って西村に「殺す気か!」と定規でひっぱたかれていたが⸺
とにかく今は眠い。久し振りに通勤とは違う雑踏の中を歩いたのだ。心地よい微睡みが桂を包み込むのに、そう時間はかからなかった。




