9話 ダンジョン
学校を離れてから新宿へ戻るまでの道は、朝とはもう別の街みたいだった。
途切れないサイレンの音。
遠くの交差点では車が止まり、通行人たちが足早に行き交い、誰もがスマホを握っている。顔を上げれば、街頭ビジョンや店舗のモニターが、どこも同じ赤い速報画面を映していた。
『速報 全国各地で黒い門の出現を確認』
『各現場において出現直後に魔物3体を確認』
『死傷者多数』
『不要不急の外出を控えてください』
霊山はその文字を横目に見ながら、空を進んだ。
新宿だけじゃない。
やはり、朝のあれはここだけの地獄じゃなかった。
池袋。横浜。大阪。名古屋。
映像は短く切り替わり、どこも同じように人が逃げ、規制線が張られ、泣き叫ぶ声が響いていた。黒い門の前には、必ず魔物3体。だが、その周囲に倒れた人の数は、新宿よりずっと多く見える場所もある。
もし自分が、あそこで少しでも足を止めていたら、
もし新宿の3体を止められていなかったらそう思うとぞっとした。
でも、そんなことを考えていても仕方がないとと意識を切り替え、霊山は視線を上げた。
やがて見えてきた新宿駅東口は、数時間前とはまるで別物になっていた。
パトカー。救急車。消防車。
規制線。簡易バリケード。拡声器を持った警察官。避難を促す駅員。押し寄せる報道陣。野次馬を必死に押し返す制服姿の警官たち。
「下がってください!」
「この先は立入禁止です!」
「近づかないでください!」
何重にも張られた規制線の向こうに、黒い門はまだあった。
朝と変わらない不気味さで、新宿のど真ん中に口を開けている。
その足元には、黒狼の死体が並べられ、ブルーシートや器材のようなものが周囲に広がっていた。現場検証なのか、回収準備なのか、遠目には分からない。だが、あそこで起きた戦いが、もう自分の手を離れて他人の管理する“事件現場”になっていることだけは分かった。
変わってしまった。
たった半日も経たないうちに、新宿は元の新宿じゃなくなっていた。
霊山は門の方へ近づいた。
そのとき、規制線の内側にいた警官の1人が、ふいにこちらを見た。
「おい!」
視線がぶつかる。
「いたぞ! 人型だ!」
一気に周囲の空気が緊張する。
何人もの警官が一斉に振り返り、門の前から少し離れた位置にいた霊山へ視線を向けた。
「止まれ!」
「そっちへ行くな!」
「対象確認、人型魔物です!救援を要求します!」
まただ。
見えている。
でも、やっぱり“人”としてじゃない。
霊山は一瞬だけ足を止めた。
いや、止まりかけた。
説明したい。
自分は敵じゃない。
ここを通りたいだけだ。
ダンジョンへ入らないといけないんだ。
けれど、口を開いても何も出ない。
今さら分かりきった現実が、また冷たく胸の奥へ突き刺さった。
だったら、行くしかない。
霊山はそのまま前へ進んだ。
「待て!」
警官が手を伸ばす。
別の警官が警棒を構える。
だが、そのどれもすり抜けて、霊山には届かない。
規制線を越える。
バリケードを抜ける。
盾のように並べられた器材の隙間をすり抜ける。
霊体である霊山は、物体の間を煙のように抜けていった。
「なんだ!?」
「すり抜けた!?」
「門に向かってるぞ!」
背後で怒号が上がる。
報道のカメラらしいレンズがいくつも向けられる気配がする。
それでも霊山は振り返らなかった。
黒い門の前に立つ。
近くで見ると、やはり異様だった。
石とも金属ともつかない黒い表面。脈打つように流れる得体の知れない紋様。内側には景色がない。ただ、底の見えない暗さだけが広がっている。
あの中に入れば、ダンジョン。
レベルを上げるための狩場。
レイスになるための道。
その先にある、リッチへの入り口。
喋れるようになるために。
守れるようになるために。
霊山は一歩、前へ出た。
黒い闇の表面に触れた瞬間、水の膜を破るような抵抗が全身を包む。
視界が揺れ、音が遠ざかり、足元の感覚が反転する。
そして次の瞬間。
霊山は、全く別の場所に立っていた。
ひんやりと湿った空気。
岩肌から滴る水滴の音。
薄暗い空間に満ちる、土と石の匂い。
そこは、ダンジョンのなかだった。
天井は低く、ところどころ鋭い岩が突き出している。足元はぬかるんではいないが、ごつごつした石が多く、通路は自然にできたように曲がりくねっていた。奥へ続く闇は深く、外の新宿の喧騒なんてまるで嘘みたいに静まり返っている。
これが、新宿ダンジョンの1階層なのだろうか。
霊山はしばらくその場に立ち尽くした。
本当に、別空間だ。
門を1つくぐっただけで、現実の街からこんな場所へ来てしまう。
新宿東口の真下にこんな空洞があるわけがない。茜の言っていた“ダンジョン”という言葉が、ようやく実感を伴って理解できた。
霊山はすぐに青白い板を呼び出した。
【ステータス】
名前:霊山 新 Lv02/20
種族:ゴースト
HP:12/12
MP:4/16
攻撃力:0
防御力:2
俊敏:14
魔力:12
スキル:霊体/憑りつくLv1/闇魔法Lv1/物理攻撃無効/進化ガイド
称号:ファーストデッド
少しだけ戻っていたMPは、4になっていた。
屋上からここまで移動する間に自然回復していたらしい。
ほんの少し。
でも、レベルアップさえすれば、MPも全回復する。
霊山は画面を閉じ、洞窟の奥を見る。
ここにいる限り、戦いは避けられない。
その現実を理解したのと、洞窟の奥から小さく石が転がる音がしたのは、ほとんど同時だった。
霊山の意識が一気に研ぎ澄まされる。
来る。
気合を入れ、音のなる方へ体を向けた。
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