6話 日常が終わる日
今日から投稿時間を15時に変更します。
幼馴染視点です。
青桐茜は、スマホの画面を見て、小さく息を吐いた。
やっぱり、既読はついていない。
送ったメッセージは、たった一言だ。
『また寝坊?』
その下には、数分前に送った追撃が並んでいる。
『早く来なよ』
『ホームルーム始まるよ』
『見てる?』
どれも未読のままだった。
教室の時計は、始業の時間を指している。窓の外はよく晴れていて、いつもなら「今日はだるい」とか「一限なんだっけ」とか、そんな話をしている時間のはずだった。
なのに今日は、教室の空気が妙に落ち着かなかった。
ざわざわしている。
みんな席には着いているのに、誰も本当に授業の準備なんてしていない。スマホを見ているやつ、廊下の方を気にしているやつ、妙に声を潜めているやつ。教室の前の扉は開いたままだが、担任はまだ来ない。
茜はもう一度、スマホを見る。
未読。
霊山新がまだ来ていない。
いつものことと言えば、いつものことだった。あいつは遅刻常習犯だ。ぎりぎりに飛び込んでくるか、ちょっと遅れてきて悪びれもせず席に着くか、そのどちらかが多い。
けれど、今日は引っかかった。
遅刻することはあっても、連絡を無視するやつじゃない。
茜が送れば、短くても返すか、謎のスタンプ送ってくる。
少なくとも、未読のまま放置するようなやつではない。
「まだ来てないの?」
隣の席から声が飛んできた。
幼馴染の柳葉剣だった。
少し釣り目で、髪を茶髪に染めている姿はとてもチャラついてるが、私たち以外に仲いい奴はあまりいない。小さいころから、先生や親に酷く怒られるときは、剣の案に乗った時だった。
今は椅子を斜めに引いて、いかにもだるそうな顔で頬杖をついている。けれど、その目だけは妙に冴えていた。
「来てない。返信もない」
「ふーん」
興味なさそうな返事。
でも、柳葉もすぐに自分のスマホへ目を落とした。
茜は画面を伏せて、前を見る。
新は、昔から変なやつだった。
目立つタイプじゃない。自分から輪の中心へ行くことも少ない。なのに、皆に可愛がられてる。気づくと、困っている誰かを放っておけずに巻き込まれている。寝坊はするし、だらしないところもあるのに、妙なところで真面目で、変に責任感が強い。
茜から見れば、放っておけない幼馴染だった。
だからこそ、今の無反応が気持ち悪い。
「ねえ」
茜は小声で柳葉へ言った。
「新、なんかあったと思う?」
「知らん。寝てんじゃね」
「既読もつかないんだけど」
「スマホ落としたとか」
「それもありそうだけど……」
そこまで言って、茜は言葉を止めた。
廊下が騒がしい。
教師らしい足音が何度も行き来している。職員室の方から怒鳴り声に近い指示が飛んで、別の教師が走っていくのが見えた。こんな朝は初めてだった。
「なんか変じゃない?」
後ろの席の女子が不安そうに呟く。
「先生まだ来ないし」
「ていうか廊下やばくない?」
「事故とか?」
そのとき、教室の前を通り過ぎた学年主任が、スマホを耳に当てたまま早口で叫んだ。
「ですから、生徒はまだ校内待機で!勝手に帰らせないでください!」
教室の空気が一段、冷えた。
ただの遅刻や小さなトラブルではない。誰もがそう感じ取ったのだろう。ざわめきは大きくなるのに、逆に一人ひとりの声は小さくなっていく。
茜は思わずスマホを握り直した。
ニュースアプリを開く。
SNSを開く。
トレンドワードが、見慣れない単語で埋まっていた。
『新宿東口』
『黒い門』
『魔物』
「……は?」
喉がひゅっと鳴る。
指が勝手に、その一つをタップしていた。
画面いっぱいに、ぶれた動画が流れる。新宿駅前らしい場所。人が逃げている。誰かが叫んでいる。黒い、門みたいなものが見える。そこから、獣のような影が飛び出した瞬間、撮影者も悲鳴を上げて映像が大きく揺れた。
茜の指先が冷たくなる。
新宿。
新の登校ルートだ。
次々に記事や投稿を開く。どれも断片的で、何が本当なのかわからない。けれど共通している単語がある。
門。
魔物。
襲撃。
そして――
『死者1名確認』
その文字を見た瞬間、茜の呼吸が止まった。
嫌な汗が背中を伝う。
新宿。
新。
返信なし。
死者一名。
「……たまたまだよね」
声が漏れる。
「おい」
柳葉の声が、いつもより低かった。
茜が顔を上げると、柳葉はもう頬杖なんてついていなかった。椅子を引いたまま立ち上がり、スマホを握っている。その顔は青ざめていた。
「茜。これ、見ろ」
「なに」
「いいから」
差し出されたスマホを、茜は反射的に受け取った。
動画だった。
再生時間は短い。十数秒ほど。撮影者はかなり離れた位置から撮っているらしく、映像はぶれていて粗い。血まみれの駅前。倒れている黒い獣。逃げ惑う人。騒ぐ声。
その中に、“それ”はいた。
人型。
制服姿。
少し透けて見える、青白い輪郭。
そして、顔。
茜の指が震えた。
「……新?」
自分でも、そう呟いたのが分かった。
でも、すぐに否定したくなる。
そんなはずがない。
だって、ニュースでは死者一名。
新宿。
返信なし。
しかも動画の中のそれは、明らかに普通の人間じゃなかった。
なのに。
立ち方が似ていた。
顔も、遠くてぶれているのに、見間違えであってほしいほど似ていた。
柳葉が低く言う。
「俺も最初、見間違いかと思った」
茜は何も言えない。
動画の中で、その人型の何かは、倒れた誰かの近くに立っていた。撮影者が怯えてカメラを引いたせいで細部はよく分からない。けれど、見れば見るほど、胸の奥が冷たくなっていく。
「……なに、これ」
茜の声はかすれていた。
「知らんよ。俺が知るか」
柳葉の返事はいつも通りぶっきらぼうだった。
けれど、その雑な口調の奥に、はっきりと動揺があった。
「でも、これ……やっぱり新だろ」
「やめて」
即座に返した自分の声が、思ったより強かった。
柳葉が黙る。
茜は動画を止められなかった。
もう一度再生する。
また見る。
やっぱり分からない。
分かりたくないのに、目が離せない。
教室の周りでも、似たようなざわめきが広がり始めていた。
「新宿やばいらしい」
「死者ってマジ?」
「門って何だよ」
「帰った方がよくない?」
担任はまだ来ない。
廊下では教師たちの慌ただしい足音が絶えない。
窓の外はいつも通りの朝なのに、教室の中だけ世界がひっくり返り始めている。
茜はスマホを強く握りしめた。
新は寝坊する。
遅刻もする。
でも、黙って消えるやつじゃない。
返信しないまま、こんな動画の中にいるようなやつじゃない。
なのに、嫌な予感だけがどんどん大きくなる。
画面の上には、未読のままのメッセージが並んでいた。
『また寝坊?』
『早く来なよ』
『ホームルーム始まるよ』
『見てる?』
既読は、つかない。
茜は唇を噛んだ。
何が起きているのか、まだ分からない。
でも、これだけは分かる。
壊れてしまった日常は、もう元には戻らない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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