5話 混乱のその後
黒狼が三匹とも倒れても、新宿駅東口の混乱は終わらなかった。
むしろ、その瞬間からだ。
人々はようやく、自分たちが何に襲われ、何が起きたのかを理解し始めた。
悲鳴。
怒号。
泣き声。
重なって近づいてくるサイレン。
死者は自分以外見当たらなかったが、怪我人はたくさん出てしまった。
倒れた人を抱き起こす者。
肩を貸して逃げようとする者。
震える手でスマホを構える者。
まだ腰を抜かしたまま、動けずにいる者。
霊山は、その光景の真ん中に立っていた。
いや、立っているというより、漂うようにそこにあった。
黒狼はもう動かない。
少なくとも、この場の脅威は一度途切れた。
それでも胸の奥は、少しも軽くならなかった。
自分が助けた女の子はどうなった。
そのことが気になって、霊山はすぐに周囲を見回した。
いた。
少し離れた場所で、若い母親が女の子を強く抱きしめている。女の子は泣きじゃくっていたが、意識はある。足を痛めたらしく顔をしかめているが、生きている。
助かった。
その事実に、ようやく少しだけ力が抜けた。
霊山は二人の方へ近づく。
母親は涙声で何度も「大丈夫、大丈夫」と繰り返していた。
女の子はしゃくりあげながら、ふと顔を上げる。
その視線が、霊山を捉えた。
「……おにいちゃん」
霊山の意識が止まる。
女の子の声を聞いて、母親も顔を上げた。
そして、霊山を見た瞬間、びくりと肩を震わせる。
「ひっ……」
短い悲鳴。
娘を抱く腕に、ぎゅっと力がこもる。
無理もなかった。
今の霊山は、ゴーストだ自分の手を見てわかる通り、体は透けて幽霊にしか見えない。
霊山は慌てて手を上げた。
違う。
怖がらせたいんじゃない。
無事でよかったと伝えたいだけだ。
けれど、口を開いても何も出ない。
そのとき、女の子が母親の服をきゅっと掴んだ。
「ママ……このおにいちゃん、さっき……」
母親の表情が揺れる。
怯えは消えない。
それでも、目の前の存在が自分たちを助けた相手なのだと気づいたのだろう。
母親は娘を抱きしめたまま、震える声で霊山へ言った。
「……助けて、くれたんですよね」
霊山は強く頷いた。
でも、ちゃんと伝わったかは分からない。
母親はまだ怯えていた。けれど、それでも目を逸らさず、かすれた声で続けた。
「……ありがとうございます。本当に……ありがとうございました……」
助かってよかった、と言いたかった。
なのに、届かない。
そこへ警察官らしい男と駅員が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?怪我は!」
「離れてください、まだ安全か分かりません!」
そのうちの一人が霊山を見つけ、息を呑んだ。
「な、なんだあれ……」
「魔物……!?まだいたのか!?」
別の男が咄嗟に折れた看板の棒を構える。
数歩、霊山から距離を取る。完全に“助けた側の人間”を見る目ではない。
霊山は思わず後ずさった。
違う。
戦うつもりじゃない。
もう終わったんだ。
そう言えたらどれだけよかっただろう。
けれど沈黙しか返らない。
そこへ、近くにいた若い男が震える手でスマホを構えた。
「お、おい……あれ撮れてる……!」
「マジかよ、まだいるぞ、人型のやつ……!」
「え、何あれ……人間じゃないだろ……」
別の誰かも、少し離れた位置からスマホを向けている。
撮られている。
記録される側の存在になっている。
撮られないように身を隠そうとした瞬間。
「誰か、この魔物を退治してくれ……!」
誰かが怯えた声で叫ぶ。
霊山は、自分へ向けられる視線の意味を理解し立ち尽くした。
自分は確かに霊山新なのに、もう誰かへそれを証明できない。
喋れない。
触れられない。
ただ“人型の魔物”として見られるだけだ。
その現実に、霊山はその場から逃げ出したくなるほどの動揺を覚えた。
そこへ、新宿東口の大きな街頭パネルが映像を切り替えた。
広告が途切れ、赤い帯の入った緊急速報へ変わる。
『黒い門のような構造物が出現』
『速報池袋、横浜等、都内各所および全国各地で同様の現象を確認』
『門の内部の詳細は不明』
『正体不明の生物による被害が発生中』
ざわめきがさらに大きくなる。
「全国ってなんだよ……」
「新宿だけじゃないのか!?」
「池袋、横浜でもって……」
「家族に電話……!」
パネルの映像には、別の街の惨状が一瞬ずつ映った。
駅前、交差点、商店街。
どこも同じだ。黒い門。逃げ惑う人々。血。混乱。
ここだけじゃない。
その事実に、霊山の思考が一気に外へ広がった。
学校は。
幼馴染たちは。
今ごろ、どうしてる。
胸が締めつけられる。もう胸なんてないはずなのに、確かにそう感じた。
連絡しないと、と思って近くのスマホへ手を伸ばす。
けれど指先は、やはり何も掴めずにすり抜けた。
喋れない。
触れられない。
伝えられない。
それでも、行くことはできる。
ここで立ち尽くしている場合じゃない。
助けたい相手が、まだいる。
霊山はもう一度だけ、母親に抱かれた女の子の方を見た。
二人は救急隊に支えられ、人の流れの向こうへ消えていくところだった。
無事でよかった。
霊山は、安堵と助けた人々に、魔物だと思われ恐れられたという喪失感で、胸がぐちゃぐちゃになりながらも視線を上げる。
向かう先は、もう決まっていた。
幼馴染たちの安否を確かめるために。
幼馴染たちとの日常を取り返すために。
霊山は、学校の方角へ向かって新宿の空を逃げ出すように滑り出した。
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